56 葵の人気
「先輩、先輩! 知ってますか!?」
合宿から一日休んだあとの練習日。
朝の部室に駆け込んできた1年の古森と蔵野が叫ぶように言った。
2年生で到着しているのは宇喜多と俺。
1年生は、この2人で全員だ。
「何だよ?」
着替えの手を止めずに、おざなりに返事をする。
ほかの部員は、誰も2人の方を見ようともしない。
真夏の太陽に温められた部室は、この時間でも、窓を開けて扇風機2台を使ってもまだ暑い。
真剣に話を聞く気なんか起きないんだ。
「今、俺たち、駅から陸上部の1年と一緒に来たんですけど!」
「陸上部〜?」
なんかあったっけ?
校庭の使い方か?
「あいつら、海で葵先輩の水着姿を見たって!」
「「「えええええぇ!?」」」
全員が一気に手を止めて2人を見た。
ものすごい反応に、俺は声を出しそびれて、思わず部員たちを見回してしまった。
「なんで陸上部がっ!?」
「どんなどんな!?」
「写真とかあるのかよ?」
口々に何か言いながら、2人の周りに集まる部員たち。
宇喜多もいつの間にかちゃんと混ざっている。
もちろん俺は、合宿2日目の夜に彼女が言っていた話だと分かった。
でも、水着姿の話が出ている以上、ここで後れを取るつもりはない。
「いや、写真はなかったよ。」
「「なんだ〜。」」
写真がないことにほっとしつつも、1年生と一緒にがっかりしている自分。ああ……。
「でも、どんな水着か聞いたのか?」
少し声をひそめて槌谷が尋ねる。
集まった輪が少し小さくなる。……暑いのに。
「うん。分かれてるやつだって。」
(分かれてる……。)
やっぱりビキニなんだ。
陸上部のヤツらめ!
「やっぱりスクール水着とは違うんだなあ。」
誰かがつぶやくと、周囲が「うんうん。」と頷いた。
「でも、過激なタイプじゃなくて、清純派的って言ってたぜ。」
(清純派……。)
まったく分からない。
もう少し詳しい情報が欲しいんだけど。
「水色のチェックで、この辺に白いフリルが付いてるんだって。」
と、古森が胸の上あたりに、横向きに指で線を描く。
(そうそう、そういう……って!)
じっくり見過ぎじゃないのか?
どのくらいの時間、一緒にいたんだ?
「で、ここのところに、これくらいの幅の白い布のひもがついてて……、」
自分が見たわけじゃないのに、古森の説明は淀みない。
どれほど頭に叩き込んできたんだろう?
授業もこれくらい頭に入るのか?
「こうやって、首の後ろでリボン結びになってるらしいぜ〜。」
古森が自分でひもを結ぶ真似をする。
「「「おおおおおぉ……。」」」
(ひも? ひもなのか?)
感心している1年生たちに、俺は同調できなかった。
(いくら幅が広くても、ひもは結んじゃいけなかったのに!)
しかも、リボン結びなんて、簡単にほどけてしまう。
それを沖縄で着るんだろうか?
着るんだよな?
そのために買ったんだから。
俺の想像の封印が……。
「なんか、葵先輩っぽいよなあ?」
「うんうん。」
「そうだよ。超可愛かったって〜!」
「だよな〜?」
「いいな〜!」
「なんで陸上部が〜。」
「うちの先輩なのに〜。」
1年生が盛り上がっている。
その横で、少しぼんやりしている宇喜多。
「………。」
思わず、そっと肩をたたいてしまった。
お前の気持ち、分かるよ、という気持ちを込めて。
宇喜多はハッと俺を見て、赤くなって目をそらした。
これじゃあ、俺と宇喜多の関係を疑われそうだ。
「おい。暑いから、早く着替えようぜ。」
そろそろ潮時だと思って声を掛ける。
メインの話は聞いたし。
「入るぞ〜。」
という声がして、尾野と藁谷が到着。
あいさつと、「暑いな〜。」という声が入り混じる。
1年生と俺たちは、そっと視線を交わした。
なんとなく、今の話は尾野には知らせないという方向で打ち合わせができていく。
そのとき、隣で着替え始めた尾野が、小声で話しかけてきた。
「お前、おとといの帰りに、葵ちゃんにお土産届けたんだって?」
(!)
なんで知ってるんだ? ……と訊くのが嫌だ。
尾野の自慢げな様子からすると……。
「俺は昨日、行ってきた。」
「へえ、そうか。」
平静を装いながら相槌を打つ。
(その手があったか……。)
彼女に届けられるのは家が近い俺だけだと思っていたけど、一日空いている日なら誰でも可能だ。
(でも、俺が一番乗りだもんな!)
俺の気持ちの方が、ずっとよく伝わってるはずだ!
「かき氷、ご馳走になっちゃった。」
「……え?」
思わず尾野の顔を凝視。
「家で、か?」
「もちろん♪ 宇喜多も一緒に。」
「えぇ!?」
俺の大きな声に、部員たちがこっちを向いた。
「あ、いや、ごめん、なんでも……。」
言い訳をしながら宇喜多を見ても、話が聞こえていないあいつはいつも通りの真面目な顔。
尾野に目を移すと、尾野は得意気にニヤッと笑った。
「……宇喜多と一緒に行ったのか?」
家にあがって彼女と過ごしたというのは、やっぱり羨ましい。
それに、俺のことを尾野たちに話したってことは、彼女が俺の行動を特別だとは思っていない証拠だという気がする。
…悔しい。
「まさか。連絡は別々にしたに決まってんだろ? そしたら葵ちゃんが、『ちょうどいいから』って、同じ時間を指定したんだよ。」
「ああ。」
なるほど。
なんとなく彼女らしい。
(それにしても、宇喜多……。)
純情なくせに、押さえるところはしっかりと押さえてるな。
しかも、尾野と競るほどとは。
その上、口にも顔にも出さないし。
(だけど……。)
最初はどっちか一人だけの予定だったんだよな?
それでも、葵は家に入れるつもりだったのか?
お母さんが仕事に出ていて留守なのに?
(なんて無防備な……。)
海のナンパ男どころの話じゃないぞ!
宇喜多はともかく、尾野なんて……。
(俺……なら?)
………当然だ。
大丈夫に決まってるじゃないか。
(そう言えば、葵はそろそろ……?)
もう部室に来るころかも知れない。
本人がいない間に水着姿の話をしていたっていうのが、ちょっと後ろめたいけど。
様子を見ようと外に出た。
南側にある通路は、直射日光が当たって暑い。
「ありがとうございます!」
「あ、そんなことないの。お世話になったのは ――― 」
(葵の声?)
すぐ近くで笑い声も一緒に聞こえる。
(下か?)
「ぅあっち!」
下を見ようとして手すりに触ったら、ものすごく熱くなっていた。
手を振って風に当てながら、手すりに触らないように下をのぞくと……。
(やっぱり葵だ。……と、西内?)
何人かの男に囲まれて、葵とうちのクラスの西内沙希がいる。
(陸上部か……?)
ということは、あれだ!
海で葵を助けたという1年生。
葵の水着姿を見たという……。
(くっそ〜……。)
やっぱり悔しい。
あの様子だと、葵がお礼でも言ってるんだろう。
だとしても、時間がかかり過ぎないか?
やたらと楽しそうだし。
(俺たちは合宿で練習中だったのに……。)
納得がいかない。
遊んでいたあいつらの方がいい思いをするなんて!
(あ。)
葵が顔を上げた。
そして、俺を目が合うと、嬉しそうににっこりと微笑んだ。
(う………。)
あの顔を見るといつも、怒ったり、拗ねたりしていられなくなる。
でも、彼女の隣でこっちに手を振っている西内の手前、だらしない顔はできないし。
彼女はすぐに陸上部から離れて、階段を駆け上がって来た。
途中でつまずいて、「あっ。」と言いながら。
久しぶりに聞く足音に、気持ちが弾む。
(俺が待っているから、急いでるんだったりして……。)
階段を上りきって少し息を切らした彼女が、俺の前で立ち止まる。
首に掛けたタオルで汗を拭きながら、「暑いねー。」と、またにっこりして。
紺のトレパンに水色のTシャツ、ポニーテールが爽やかだ。
「遅くなっちゃった? もう、みんな着替えたかな?」
窓は開いているけど、カーテンで中は見えない。
でも、彼女が上がって来た音には部員たちは気付いているだろうし、声は聞こえるはずだ。
「あ〜、もうちょっと〜! あと少し待って〜!」
中から尾野の声がした。
「はーい。」
葵が答えて、くすくすと笑う。
強い日差しの下で、彼女の姿がくっきりと見える。
(そうだ!)
太陽を浴びて笑っている彼女に、頭の中でこっそりと、さっき聞いた水着を着せてみる。
(水色のチェック、白いひものリボン結び……、)
ウエストはこのくらい?
そして、仕上げは今の笑顔!
(可愛過ぎるぜ〜!!)
背景に海が見える気がする……。
「葵せんぱ〜い、おはようございま〜す!」
1年生がわらわらと出てきて、俺はあわてて想像を消した。
葵に群がる1年生は、全員が彼女よりも大きい。中には俺より大きいヤツもいる。
でも、彼女の前にいると、みんな子犬みたいだ。
「これ、合宿のお土産でーす。」
「俺も〜。」
「はーい、俺もでーす。」
「え? あ、ありがとう。こんなにみんなで?」
目を丸くしている葵の手の上に、次々と品物が乗せられていく。
どうやら個人で買わなかったのは、藁谷だけだったようだ。




