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彼女の瞳に映るのは  作者: 虹色
第四章 忙しい夏
55/97

55  嬉しくて


(電話してよかった〜!)


駅の階段を下りながら思う。


帰ってくる間、ずっと迷っていた。

“出かけているかも知れない” 、 “迷惑がられてしまうかも知れない” って。


(でも。)


迷惑そうではなかった。

それに、こんなに近くにいるなんて。

こんなにすぐに会えるなんて。

もしかして、会いに来てくれた…とか?


(さすがにそんなことはないか。)


でも……。


期待せずにはいられない。

俺を見たらどんな顔をする?


赤信号が、いつもよりも長い気がする……。



横断歩道を渡ってスマイルストアの自動ドアを抜けると、ひんやりと涼しい空気にほっとした。


(どこだ……?)


平日の夕方のこの時間、それほど広くないスーパーの中は結構混んでいる。

合宿の大きな荷物を持っているから、あんまり中を歩き回らない方がいい気がするけど……。


俺が入った入口は、目の前が野菜売り場、その奥に精肉コーナー。

左側にはレジが並び、駅側の道路に面したガラスの壁の前に袋詰め用の台がある。


(こっちかな。)


袋詰めをしている人たちの後ろを、レジに並ぶお客さんをながめながら進む……と。

4つめのレジに見えたふわふわのポニーテール。

お金を払おうと財布をのぞいている真剣な表情。


(葵…。)


彼女の姿は、しっかり覚えていると思っていた。

でも、記憶と実物は全然違う。

だって実物は、見ただけでこんなに心が躍る。


レモン色に白い花が描いてある袖なしのブラウスに、茶色のキュロット、足首のところを留めるようになっているサンダル。

肩からむき出しの腕が、夏休みなのだと思い出させる。


もらったお釣りを財布に入れて、グレーの買い物カゴを持ち上げながら、葵が俺に向かってにっこりと微笑んだ。


(会えた……。)


胸の中は、幸せでいっぱいだ。


袋詰めの台に葵がカゴを乗せ、隣り合ってもう一度微笑みあって。


「お帰りなさい。横断歩道を渡って来るところが見えたよ。」


懐かしい、優しい声。

言われてみると、確かに目の前に横断歩道が見える。


「ちょっと待っててね。」


彼女がカゴから袋に詰めるのは、野菜に魚……?


「夕飯の買い物?」


「あ、そうなの。今日はムニエルにしようと思って。」


ということは?


「夕飯は、葵が作るのか?」


「うん、そうだよ。お母さんは帰るのが遅いから。」


当たり前の顔をして言われてびっくりした。

うちでは俺や妹が手伝うことはあっても、作る主体は母親だ。

もちろん、そうじゃない家もあることは知っていた。

でも、こんなに身近に、しかも同い年の葵が実際にやっているとは。


(そういえば、葵は弁当も自分で作ってるんだっけ……。)


「もしかして、普段もそうなのか?」


「普段? うーん、半々かな? お買い物は、お母さんが車でまとめてやってるけど。今は夏休み中で、わたしが時間があるから。」


話しながらも手を休めずに、彼女はどんどん品物を袋に詰めて行く。

その手際の良さに、尊敬の念が湧いてくる。


俺は今まで、彼女のことは、守ってあげるべき存在として見ていた。

心配して、面倒を見て、と。


けれど、それだけではないんだ。

彼女は母親と二人だけの家族で、一緒に家を切り盛りする責任を負っている。

俺みたいに、学校のことだけを考えていればいいわけじゃない。


「はい、これ。どうぞ。」


袋詰めが終わった彼女が差し出したのは、みかんのアイス。


「ええと……、一緒に食べようと思って。」


(あ、れ?)


一瞬の何かに、心臓が、トクン、と反応した。

でも、アイスを差し出している彼女は、以前と違うところはなくて。


「うん…、ありがとう。」


「外の自転車置き場のあたりに、ベンチがあったような気がするけど……?」


カゴを片付けて、彼女が先に立って歩き出す。

ここでは、葵の方がテキパキしているような気がする。


だけど。


「ゆっくりしてていいのか? 魚買ったんだろ? 暑い中で傷まないか?」


「……あ。」


立ち止まった彼女が俺を見上げた。

何か言いたそうに。

何か迷うように。


またしても心臓が、トクン。


「あ…、俺…、一緒に葵の家の方をまわって帰るよ。」


(なんだろう、この感じ?)


「でも……、遠回りに……。」


「いいよ。もともとその予定だったんだし、たいした回り道じゃないから。」


言葉を交わしながら、彼女の様子を確かめてみる。

でも、遠慮がちなところはもとからだし……。


(勘違い……かな。)


俺が期待しちゃってるから、過剰に反応しているのかも。


「だけど……。」


「いいから。せっかく会ったんだから、その…、合宿の話もしたいし。」


本当は「合宿の」なんて言わなくてもよかったのに。

どうしても、言い訳めいた言葉が出てしまう。


「うん……。ありがとう。」


「いいよ。これもらったから。」


手に持ったアイスを振ってみせると、彼女が「うん。」と笑顔になった。

それを見たら、幸せで息が苦しいような気がした。


「ときどき思うんだけど、相河くんって、すごーくよく気が付くひとだよね?」


店を出ながら、彼女が振り向いて言う。


「お魚のこととか、買ったわたしの方が忘れてたもん。」


「そうか? ははは。」


(忘れるほど、俺に会って嬉しかったとか?)


……そんなこと、あるわけないか。





アイスを食べながら一緒に歩く彼女は、いつもよりも元気に見えた。

踊るような足取りでくるりと向きを変えたり、早口でしゃべったりして。


単に、軽やかな服装のせいかも知れない。

荷物も少ないし。


いくらそう言い聞かせても、俺の心は、自分勝手に期待してしまう。


俺に会えて嬉しい?

一緒にいると楽しい?

ねえ、葵。

ほんの一言でいい。

何か……、何か……。


でも、心の中の願いは、彼女には届かない。


空しい気分を味わいつつも、同時にアイスをかじって目が合ったときは、すごく楽しくなって、一緒にくすくす笑った。


(こういう二人連れって、どう思われるんだろう?)


スーパーの袋を提げた葵と、制服を着た俺。

高校生のカップル?

もしかしたら、二人で暮らしているみたいに見えるかな?


(二人で? いや〜、そんな!)


「どうしたの?」


「え、あ、ん、いや、その。」


ニヤニヤしてたかな?

何か言い訳を……。


「ええと、向こうで、小学生の野球チームと宿が一緒でさあ。」


「ああ。そうだったんだってね。」


(え? 「だってね」?)


「あれ……? 知ってるのか……?」


俺の質問に、彼女はにこにこと答えてくれた。


「うん。尾野くんが言ってたから。」


「え? 尾野?」


「言ってた」って、いつ?

尾野とはさっき別れたばっかりだし、俺は家に帰る前に葵に会ってるのに……。


「うん。電話をくれたから。」


(え!?)


「む、向こうから?」


「そう。夕ご飯のあととか、夕方とか。いろいろ知らせてくれたの。」


「へ、へえ……。意外に気が利くんだな。ははは。」


俺は見てないぞ。

風呂に入ってるときか?

それに、「とか」って何だ、「とか」って!

一度じゃないってことだよな?


(あ!)


「もしかしたら、宇喜多も……?」


「あ、ああ、うん。宇喜多さんも毎日メールで、みんなの様子を知らせてくれた。」


「ああ、そうか〜。さすがに律儀だよな〜。」


あの二人には、特別な用事なんてないだろ!?

用事がなくても連絡してんのかよ!?

しかも「毎日」!?

もしかして、俺、出遅れてる!?


「あ、あの、ごめん、俺、気が付かなくて…。」


「え? どうして? 相河くんも連絡してくれたじゃない?」


「う、うん、まあ…な。」


俺は1回だけ。(同時だもんな。1回と同じだよ…。)

でも、葵は気にしていない?

俺からは連絡がなくても気にならないってことなのか?

“どうでもいい” って……?


「あ、そうだ。1年生が面白い写真を送ってくれたんだけど……。。」


1年もか!


「写真?」


「見たい?」


うわ。

その顔、可愛いよ。

ぬいぐるみみたいに抱き締めたい!


「うんうん。」


「1年生を怒っちゃダメだよ?」


「うん。」


そんな顔で言われたら、何でも言うこときいちゃうよ。

1年がメールしたくらい、何だって言うんだ!


「尾野くんには内緒ね? 1年生に厳しいから。」


「分かった。」


道路の端に寄って立ち止まり、彼女がスマートフォンの画面を俺の前にかざした。

少し後ろ寄りに立っていた俺は、彼女の肩越しにそれを覗き込む姿勢になり、そのとき視界の隅に ――― 。


(え? 見え……そう、だけ…ど……。)


右隣にいる彼女が、スマホを持ち上げているのは右手。

そのポーズで、広めに開いていたブラウスの胸元に隙間が……。


(視線が落ち着かない〜!)


そのまま動かないでほしい気がする。

いや、動いたらもっと良く………?


「見える?」


「い、いや、よく… 」


(って、違うだろ!)


「え、ええと、これ何…かな?」


「え? あのね、お昼寝してる写真だよ。ほら、これ、相河くんでしょう?」


「え!?」


一気に写真に集中。

スマホを受け取ってよく見たら、座敷にトドのように転がっている自分たちの姿だった。


「……誰から来た?」


「ああ、槌谷くん。面白いでしょう? タイトルがねえ、『まぐろ漁港』って付いてたの。」


「へえ……。」


(やってくれたな……。)


俺を差し置いてメールをした上に、こんな写真まで!


「ねえ、怒ってないよね……?」


「このくらいで怒るかよ〜。あははは。」


「よかった。これはおととい来たやつで、昨日はねえ……。」


(槌谷も毎日か。)


怒らないけど特訓……と行きたいところ。

でも。


「ほら、見て。」


はしゃいだ様子で写真を俺に見せようとする葵。

いつの間にか寄り添うように近くにいて、彼女の肩や髪が触れる。

写真をのぞき込む俺とほんのわずかな距離のところで、「ね?」と微笑む。


(ま、いいか。)


葵とこうやって近付けるチャンスを提供してくれたんだから。







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