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彼女の瞳に映るのは  作者: 虹色
第四章 忙しい夏
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51  葵のいない合宿


(葵は今ごろ海だよな……。)


“バ――――ン!” “ド――――ン!” という音に、「ナイスサーブ!」という掛け声が広い体育館に響いている。

その合間に、ふと、葵のことを思い出す。


夏休みに入った初日から、3泊4日のバレー部の合宿で山梨県に来た。

毎年恒例の行事で、古いけど専用の体育館を持っている民宿に泊まる。今日は2日目。

学校では半面しか使えない体育館も、ここでは全部が俺たち専用で、気持ち良く練習ができる。


富士山の裾野に位置するこのあたりは、昼間でもクーラーは必要ない。

もちろん、練習をしていると暑いけど、窓を開けておけば、昼飯のあとに快適に昼寝ができるのが嬉しい。


同じ宿に少年野球の小学生も泊まっていて、食事の時間は賑やかだ。

話しかけると、元気にたくさん話をしてくれる。

ませた子は「彼女いるの?」なんて訊いてきたりして、ドキッとしてしまうけど。


この合宿に葵が来ないことは、合宿の話が出たときから決まっていた。

分かっていたけど、練習中に周囲を動き回る小さな姿が見えないのは結構淋しい。

ふとした瞬間に、彼女の姿が頭に浮かんできたりする。


(葵は見ているだけでも面白いからなあ……。)


そう思ったら、今までの彼女の失敗を思い出して、可笑しくなってしまった。



彼女はおっとりしているから落ち着いているのかというと、全然そうじゃない。

かなりせっかちで、そそっかしいところがある。


例えば、ビニール袋を手で開けようとしても開かないとき、俺はハサミを使う。

でも葵はハサミを出すことが面倒で、ムキになって力任せに引っ張っり、その結果、袋が破れて中身を撒き散らす……というのを何度かやっている。


部室棟の階段を上って来るときは、結構ペースが速い。

階段のすぐ前にあるうちの部室は、生徒が上がって来る足音がよく聞こえる。

たくさんの足音の中でも、葵は “トントントン” と軽くて速い足取りで上がってくるからすぐに分かる。

そして、3日に一回くらいはつまづいて、“トントントンガツッ” という音と「あっ。」という声がする。

部員たちはそれを聞いて、ニヤニヤしながら顔を見合わせる。

荷物を持って下りる様子もなんとなく危なっかしくて、俺は、下りるときは手すりにつかまるようにと、しょっちゅう言っている。


この前は、部室から出ようとしてドアノブを握ったあと、ドアを開ける前に通ろうとした。

そのときは藁谷と俺と話していて、ドアの方を向いていなかったんだ。

しゃべりながら手探りでドアノブに手を掛けて、そのまま歩いて行って、思いっきりぶつかった。

「ゴン!」という大きな音がして、部室にいた部員みんなが振り向いた。

このときは、額が赤くなった程度で済んだ。


危なかったのは、体育館の扉だ。

あれはつい先週のこと。


練習が終わったあと、外廊下に出る引き戸を閉めているときだった。

引き戸と言っても、鉄か何かでできていてかなり重い。

いち、にの、さん! で力を入れて引っ張って、その勢いで滑らせて閉めるのが普通。

それを葵がやろうとしていた。


重くて大変だから手伝おうと思って、俺はそっちへ向かった。

でも、俺が行き着く前に扉が動き、 “俺は必要なかったかな” と思ったそのとき。

いきなり葵が、動いている扉の前に体を乗り出した。まるで、わざと扉にぶつかろうとするように。


“あ!” と思ったときには閉まって来た扉が頭にぶつかって、彼女は少しよろけたあと尻餅をついた。

俺は、そのときの音はまったく記憶にない。

まるで無言劇を見ていたように、一連の光景だけがくっきりと目に焼き付いている。


あのときは本当にびっくりした。

“血の気が引く” というのは、ああいうときの気分を言うのだと思う。


急いで駆け寄ると、彼女はぎゅっと目を閉じて、右手で頭の横を押さえていた。

血は出ていなかったのでほっとした。

呼びかけると、目を閉じたまま、弱々しく「星がチカっとした……。」と答えた。


受け答えができるようだったので、またほっとして……気付いた。葵の肩に手を掛けていたことに。

気付いたのは、安心した勢いで抱き締めそうになったから。

力を入れかけてハッとして、急に胸が苦しくなって……。


目を開けた葵が情けない顔で「ごめんなさい。もう大丈夫。」と言い、俺はそれにやっとの思いで微笑んで、「びっくりさせんなよ。」と返した。

手を離すのが名残惜しかった。

離す前にキュッと力を込めると、彼女はちょっと………柔らかかった。

部員はみんな片付けをしていたので気付かなかったらしい。


そのときは、頭にこぶができたようだった。

髪の中だったので、外からは見えなかったけど。


体育館を出るまで、隣に付き添って歩いた。

その間に彼女は、あんなことになった理由を説明してくれた。「月が見えるかと思って。」と。

扉を閉めながら急に思い付いて、空を見ようと顔を出したのだそうだ。


そんな理由に呆れる俺に、彼女は笑顔で「相河くんは、やったことない?」と尋ねた。

無いと答えると、彼女は同じことをして頭をぶつけたのは3回目だと言って笑った。


「前はお祖母ちゃんの家で、顔を出したまま、雨戸を閉めようとしたの。」


だそうだ。

3度目だということにも驚いたし、二つのことを同時にやろうとする彼女に感心しながらも笑ってしまった。

そしてその日は「頭を打って心配だから」と、強制的に、彼女の家まで送って行った。




(会いたいな……。)


思い出すと、どうしても会いたくなる。

見送りや出迎えに来てくれるわけではないから、まるまる4日間、彼女に会えない。

いや、帰った翌日は部活が休みで、俺はクラスの友人たちと遊びに行く予定だから、5日間だ。

そんなに連続で顔を見られないのは、知り合ってから初めてのこと。


(今、何をしてるんだろう?)


海に入っているんだろうか。

それとも浜辺でおしゃべりか。

水着姿でウロウロしていないだろうか。


(大人数だから心配ないと思うけど……。)


うちのクラスの女子で行く企画だということは知っている。

修学旅行の説明会のあと、水着を買う話の流れから始まって。

“せっかく買うのに、修学旅行まで着ないのはもったいない” という理由で、あっという間に話が進んだようだった。


女子たちが相談しているのを聞いて、「へえ。」と言ったら、「男子はダメ。」と言われた。

べつに俺は「一緒に行きたい」なんて言わなかったのに。

……そんな顔はしていたのかも知れないけど。


次の日曜日に彼女たちは仲良く水着を買いに行き、月曜日には、行かなかった女子にその報告をしていた。

なにしろきゃあきゃあと楽しそうで、教室の何箇所かに固まった男たちは、気にしないふりをしながら様子を窺っていた。

一人の男がどこの海岸に行くのか訊いたけど、「教えなーい♪」なんて言われていた。


でも、俺は知っている。葵があっさりと教えてくれたから。

丸宮台駅の階段を下りながら訊いたら、いつものようにまっすぐに俺を見て、にこにこしながら、


「崎浦海岸だって。」


と教えてくれた。

口止めされていなかったのか……、というよりも、俺を信用してくれているからじゃないかと思っている。

いや、単に、俺に言っても、合宿中で彼女たちを見に行ったりできないと知っていたからかも。


行き先を聞いて、少しほっとした。


この県には大きな海水浴場は2つある。

一つはサーファーや若者に人気があるメジャーな藤倉海岸、もう一つが比較的ファミリー層が多い崎浦海岸。

彼女たちが行くのか崎浦海岸なら、変な男につきまとわれる心配は少しだけ低い。

まあ、あくまでも “少し” だけど。


(あとでメールでもしてみるかな……。)


昼休みになったら。

本当は声を聞きたいけど、海にいるんだから、出ない確率が高いし。


(夜に電話って……どうなんだろう?)


藁谷は、きのうの夜に季坂に電話していた。

部屋から出てこっそりとだったけど、俺は…、たぶん部員全員が知っている。

電話をかけても、あの二人はちゃんとお互いの気持ちが分かっているんだから、何も問題はない。

相手が喜ぶって分かってるわけだし。


でも葵は……。


いきなり電話なんかしたら、警戒されそうな気がする。

警戒とまではいかなくても、内容のあまりない話をされて困ってしまうとか。

そう思うと、できなかった。


去年は羽村たちと、くだらない話で長電話をしたこともあった。

榎元とだって……、榎元のことは考えるのはやめよう。今は、気分良く思い出すことができないから。


(そうか!)


何か用事があればいいんだ。

昼御飯のあと、何か口実を考えよう。

で、夜に電話だ。


ああ、でもその前に、昼にメールを出しておこう。

万が一、彼女に男がつきまとっていたりした場合に……は、役には立たなそうだけど。

でも、俺のことを思い出してもらえる!


よし。

あとで救急箱のチェックでもしよう。







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