48 言いたいことはきちんと
(あれ?)
7月1日の朝。
教室に着くと、葵の姿がなかった。
(どうしたんだろう?)
いつもならとっくに来ているはずなのに、姿だけじゃなく、荷物もない。
家を出るのが遅れたんだろうか?
同じ電車に乗っていたら、気付いたと思うけど……。
自分の荷物を置いて、集まっている友人たちの仲間入りをする。
後ろの真ん中あたりで6人ほどで話しながら、視界の隅には常に前方の入り口をとらえている。
周囲の友人たちには気付かれないように気を付けながら。
(遅いな。)
彼女はいつも、俺よりも2本も早い電車で通学している。
少し家を出るのが遅れたとしても、俺よりも遅くなるなんてことはないような気がする。
(もしかして、休みなのか?)
具合が悪いのかも知れない。
きのう、なんだか赤い顔をしていたし。
(いや、もしかしたら、本当は尾野の誕生日を祝うのが嫌なのかも。)
そう。
朝からこんなに彼女の動向が気になるのは、今日が尾野の誕生日だからなのだ。
プレゼントを何にしたのか、二人とも教えてくれなかった。
尾野の希望なのか、葵が決めたのかも分からない。
ただ、ときどき二人でくすくす笑っているばかりで。
そういう雰囲気になっていることが、俺にはものすごく気がかりだった。
尾野はそれを分かっていて、わざと見せつけていたんじゃないかと思う。
でも、もしかしたら葵は尾野の誕生日なんか祝ってやりたくなかったのかも知れない。
それが辛くてとうとう ――― 。
(あ。)
見張っていた入口から、すいっと葵が入って来た。
斜めに掛けていたバレー部のバッグをはずして机に置き、周囲にいる女子に小さく手を振りながらあいさつしている。
いつもと同じふわふわのポニーテールが揺れて、ふっくらした頬に少し子どもっぽい笑顔が浮かぶ。
(普段どおりだ。)
ほっとした。
具合が悪いのでも、尾野の誕生日を重荷に感じているわけでもないらしい。
待ちかねていたことを見破られないために、予鈴が鳴るまで席に戻るのは待った。
戻るときも、急いでいないことをわざと強調した。
ようやく自分の席に着いて葵に話しかけるときも、とにかくさり気なさを装って。
「今日、遅かったんだな。」
身を乗り出して声を掛けると、彼女は「あ、おはよう。」と笑顔で言いながら振り向いた。
それから、ちょっと声をひそめて。
「そうなの。今日は尾野くんと一緒に来たから。」
尾野の名前を聞いてドキッとした。
俺が気にしていることを見透かされているようで焦る。
しかも、朝から一緒に来たとは!
「お、え、あ…、尾野と? 一緒に……って?」
「ほら、今日、尾野くんのお誕生日でしょう?」
「ああ…、そうだっけ?」
(気にしてない気にしてない。俺はそんなこと全然気にしてない。)
自分で自分に言い聞かせても、胃のあたりがもぞもぞするのがおさまらない。
「ふふ、そうだったんだよ。でね、プレゼントがなかなか思い付かなくて、最終的にお弁当にしたの。ほら、この前の遠足のときに、お弁当が食べたいって言ってたでしょう?」
「あ、ああ、そういえば、そんなことを言ってた気が……。」
「そうしたら尾野くんが、朝渡してほしいって言うから………、休み時間は教室の移動があったりして忙しいでしょう? だから、同じ電車に乗ればいいってことで、待ち合わせをしてたの。」
「へえ……。」
尾野のヤツ、弁当のほかに朝デートも手に入れたわけか。
さすがに休日に出かけるっていうのは言えなかったんだろう。
秘密にしていたのは、通学経路が同じ俺に邪魔をさせないためだな。
(まったく! 有効に使ってくれちゃって!)
彼女がどんな弁当を作って来たのかも気になる。
人参がハート型に切り抜いてあったりするんだろうか?
それとも彼女の手で握ったおむすびとか?
「あ、そうだ。」
何かを思い出して、葵が胸の前でポンと手を合わせた。
「尾野くんが、夏休みに花火を見に行こうって言ってたよ。」
「花火?」
「8月の初めに、海の方で大きな花火大会があるんでしょう?」
「ああ……、あるな、うん。」
いつもの電車の終点横崎駅で乗り換えて2駅目の海側には、ショッピングセンターやレジャー施設、臨海公園などがあって、ちょっとした観光地になっている。
そこでは毎年8月の初めに、海の上から打ち上げる大規模な花火大会があるのだ。
「せっかくこっちに引っ越して来たんだから見に行こうって。相河くんも行けそう?」
「あ、ああ、大丈夫。」
「そう。よかった。お友達同士で花火を見に行くなんて、楽しみ♪」
(葵……。)
その企画は、水族館と同じ “遠足” なのか?
もしかしたら、 “二人で” っていう意味じゃなかったのか?
「うん、そうだな。」
まあ、 “二人で” の誘いだったとしても、知ってしまったからには俺も行くにきまってるけど。
(残念だったな、尾野。)
大事なことを言うときは、主語をちゃんと言わないと伝わらないぞ。
部室で尾野に会ったとき、わざと何も気付かないふりで言ってみた。
「次の企画は花火大会だって?」
バッグから着替えを出していた尾野は変な顔をして俺を見た。
「企画ってなんだよ?」
「ああ、俺も聞いた。」
タイミング良く藁谷が隣で頷く。
そこで俺が補足する。
「遠足第二弾だろ? 今朝、葵が言ってたよ。」
葵の名前を出すと、すぐに事の次第に気付いたらしい。
2、3秒驚いて動きが止まっていたかと思ったら、ものすごい勢いでやって来て、俺を部室の外に連れ出した。
「葵ちゃんが!? 何て言ったんだよ!?」
手すりの方を向いて俺の首に手をまわし、小声ながらも叫ぶような調子で尋ねる尾野。
この反応は明らかに、あの話が俺に伝えるものではなかったことを示していると思う。
やっぱり二人だけで行くつもりだったんだ。
「え〜?」
少しとぼけて時間を稼ぐ。
慌てている尾野を見るのは面白い。
「馬鹿! 相河、早く言え!」
尾野が首に回した腕を反対の手で引っ張った。
「苦しい! 暑い! やめろ! 言うから!」
ようやく尾野が腕を離してからも、わざとゆっくりと呼吸を整える。
尾野はイライラした様子で俺を睨んでいる。
「今朝、登校してすぐだよ ――― ああ、お前、一緒に来たんだって? どっちから待ち合わせの話をしたんだ?」
「そこはいいだろ?」
すっと尾野が目を逸らした。
尾野にも少しは照れるという奥ゆかしさがあるらしい。
「ええと……、そうだ、席に着いてすぐ、お前が夏休みに花火大会に行こうって言ってた、って。」
「ああ………。」
脱力した声とともに、尾野ががっくりと肩を落とす。
まあ、俺が尾野の立場だったら、同じ気持になるだろうな。
「はっきりと “二人で” って言わなかったのか?」
もしも尾野がそう言っていたら、今ごろ俺はどうしていただろう?
何も知らずにへらへらしていたか、葵からその話を聞いて怒り狂っていたか。
でも、言わなかったと分かっている今は、本当の意図がちゃんと伝わらなかった尾野にちょっとだけ同情している。
「はっきりとは……言わなかったのかも知れない。でも、分かってると思ったのに……。」
もしかしたら、尾野もテンパっていたのかも。
同じ電車に乗る約束をして、会ったら弁当をもらって一緒に学校まで……なんて、まるで本当のカップルみたいだし。
考えてみると、尾野は葵と二人だけで歩いたことがなかったんじゃないのか?
「まあ、いいんじゃないか? “二人だけで” って誘ったら、断られてたかも知れないし。あははは!」
キッと尾野が睨んだ。
「断られてた」が納得できないのか?
「お前も行くのか?」
「当然。葵を守らなくちゃいけないし。」
「守るって、何から?」
「お前の魔の手から。」
「俺は “魔” じゃねえよ!」
言い争っているところに藁谷が部室から出てきた。
早く着替えないと葵が来るぞと急き立てられて、これから部活だったと思い出す。
部室に戻りながら、尾野は大きなため息をついていた。
その日の帰り、葵が宇喜多にも花火大会の話をしていた。
「宇喜多さんも行けそう?」
「うん。たぶん大丈夫だと思う。」
「よかった。花火を目の前で見るのは初めてなの。」
「そうなのか。毎年、うちの方まで音だけは聞こえるよ。」
「本当? じゃあ、そばで見てたら、すごい音なんだね。」
葵の嬉しそうな様子を見ていたら、まだ当分はこんな付き合い方でいいんだな、と思った。
彼女には、二人だけで出かけるのはまだ早いってことだ。
(でも……。)
今朝の尾野の誕生日企画みたいに、理由があれば、二人だけで過ごす時間を作ることはできる。
要するに、 “デート” じゃなければいいわけだ。
家が近いことを利用して、夏休み中に何か考えてもいいかも知れない。
ものすごく楽しい気分になって、電車の中でいろんなシチュエーションを想像してみた。
その景色の中では、葵は俺の顔を見ると、いつも恥ずかしそうにそっと目を逸らしてしまう。
想像の中のその姿に心をかき乱されて、一人でこっそりドキドキしたりして。
(あ〜、なんかもう……。)
けれど、目の前の彼女は落ち着いて微笑んでいるだけ。
俺に向ける目もまっすぐで、信頼に満ちている。
(やっぱり、まだだよな。)
もうちょっと違う感情が芽生えるのはいつだろう?
それは、誰に対してなんだろう?
無理強いはしたくない。
でも、チャンスは自分で作らなくちゃ。




