44 *** 葵 : 真実はどっち?
「早くテストが終わらないかなあ。」
部活がお休みに入って3日目の帰り。
電車の中で、由衣ちゃんがぼんやりと言った。
「ふふ、まだ始まってもいないのに。気が早いね。」
わたしには転校して初めての定期テスト。
みんながどのくらいできるのか分からないから、とにかく必死で勉強している。
お陰で、もう今から頭の中がぼんやりしてしまっている状態。
「だって、部活に出たいんだもん。」
両手でつり革につかまった由衣ちゃんがうっとりと微笑む。
「早く思いっきり竹刀振りたいなあ。」
「気持ち良さそう。」
「もちろん♪」
剣道は声も出すから、ストレス発散になりそう。
バレーボールだって、思いっきりボールを打ったらきっと気持ちがいいだろうな。
電車の窓から見える景色は雨の中。
今週から梅雨入りしてしまい、毎日雨が続いている。
湿気を含むと広がり放題のわたしの髪は、雨が降る日は前髪までボサボサ。
この髪が、わたしの一番のコンプレックスだ。
「早く梅雨が明けないかなあ……。」
「ふふ、まだ梅雨入りしたばっかりだよ。葵の方があたしよりずっと気が早いよ。」
今度は由衣ちゃんが笑う。
癖のない由衣ちゃんの髪は、こんな日でもつややかで羨ましい。
(きっと美加さんもだね……。)
心の中に、すらりと格好いい美加さんの姿が浮かんでくる。
美加さんのことを思い出したのには理由がある。
今日、菜月ちゃんから美加さんの話を聞いたからだ。
菜月ちゃんは二人の共通のお友達から聞いたって言っていた。
「美加が相河くんに振られたらしいよ。」
お昼休みにこっそりと教えてくれた。
「え、美加さんが?」
そう訊き返したわたしの言葉を、菜月ちゃんは勘違いした。
わたしは「振られたのは美加さんなの?」という意味で言ったのだけど、気付かれなくてよかった。
「うん。なんかね、 “近付くな” みたいな決定的なことを言われたらしいよ。」
驚いてしまった。わたしが相河くんから聞いた話と違っていたから。
それに、あの相河くんが、そんな言葉を言うとは思えなくて。
「最近、帰りに一緒にならないからどうしたのかなーって思ってたんだよね。廊下で会っても、手を振るくらいで行っちゃうし。そういうことだったんだねー。」
頷きながらそう言って、菜月ちゃんは納得しているみたいだった。
わたしも、相河くんから話を聞いたあと、美加さんとは話していない。
教室の階が違うから、もともと顔を合わせる機会は少ないし、帰りは相河くんを避けているのだろうと思っていた。
だから、わたしは美加さんのことは、ときどき遠くから姿を見かけるだけだったのだけど……。
菜月ちゃんの話を聞いてから、わたしはずっと気になってしまっている。
どうして違う話になっているのか。
どちらが本当なのか。
菜月ちゃんの聞いた話が本当なら、どうして相河くんがウソをついたのか。
何が原因で、相河くんが美加さんに「近づくな」なんて言ったのか。
授業中も、由衣ちゃんと話している今も、その疑問が頭の片隅でぐるぐる回ってる。
相河くんに、直接訊けば済むこと。
でも、それは簡単じゃない。
話の内容が、とても個人的なことだから。
教室では相河くんはすぐ後ろに座っているけれど、あまりじっくりと話す機会はない。
やっぱり女の子が周りにいるときには、女の子と話さないといけないような気がするし。
こういうのって、女子校だったせいなのかな?
それとも、美加さんに言われたことが今でも気になっているのかも知れない。
……両方かな。
部活があれば、帰りに丸宮台で降りたときに話せるけれど……。
宇喜多さんも、「噂が本当かどうか、本人に確認する」って言ってたものね。
そうは言っても、こんな話、やっぱり訊きにくい。
でも、気になる。
(わたしって……なんか、ダメだね。)
考えてるばっかり。
あれこれ悩むだけで、前に進めない。
優しい人たちに囲まれて、ぬくぬくし過ぎているのかも。
由衣ちゃんと別れて丸宮台で降りたとき、急に、 “ああ、一人なんだなあ” と思った。
ここで一人になるのは今日が初めてというわけじゃないのに。
(雨のせいかな?)
なんとなくつまらない気分。
髪もボサボサだし。
沈んだ気分を振り払いたくて、手に持った傘を軽く蹴飛ばしてみる…つもりだったのに。
「うわ。」
傘の先を思いっきり踏んでしまった。
(あっぶな…とと!)
足を踏ん張って、みっともないながらも転ぶのはなんとか回避できた。
でも傘は、柄を握ったまま踏んじゃったから曲がっちゃったかも……?
「何やってんだよ?」
「うわっ。」
後ろから声がした。
傘に集中していたせいで、ものすごく驚いた。
「あれ、びっくりした? ごめん。」
ドキドキしながら振り向くと、相河くんだった。
わたしの顔を見て「くっ…。」と笑い出す。
「踏んでたな。」
「見てた…?」
「俺の前を歩いてたから。」
「ああ…、そうだよね……。」
情けない。
自分がそそっかしいと分かっているのだから、傘を蹴とばそうなんて考えなければよかったんだ。
わたしが小さくため息をつくと、相河くんは可笑しそうに笑った。
それを合図に改札口への階段に向かって歩き出す。
(ちょうどよかった…かも知れない。)
美加さんのことを確認したいと思っていた。
教室では訊けなくて、部活がないから帰りも別々で。
「あの。」
「ん?」
階段を上りながら声をかけると、相河くんが明るい表情でこちらを向いた。
「ええと……、同じ電車だったんだね。」
やっぱり言いにくい。
美加さんの名前を口にすることがこんなに難しいなんて。
「え? ああ…うん。隣の車両に乗ってた。」
「そう……。」
「同じ時間に終わるんだから、同じ電車になるよな。あははは。」
「うん。そうだね。」
(どう言えばいいんだろう? 正直に「噂を聞いた」って?)
迷っているうちに改札口も過ぎた。
左側の階段を下りたら、そこで “さよなら” だ。
明日から土日で会わないし、月曜日に訊けるかどうかも分からない。
(どうしよう……?)
こんなふうに下を向いていたら、なんだか機嫌が悪いみたいに見えそう。
そう言えば、相河くんも何も言わない。
もしかしたら、機嫌が悪いと思われちゃってるのかな?
階段手前の屋根が無くなる場所で、傘を開くために立ち止まる。
こっそりと相河くんの顔を見ても、その横顔は何を思っているのかは分からない。
(あ。)
急に、相河くんがこっちを向いた。
見ていたことに気付かれたかも知れないと思うと恥ずかしかったけど、慌てて目を逸らすのも変な気がする。
どうしたらいいのか分からないまま困っていると、相河くんは少し照れくさそうに微笑んだ。
「なんか……久しぶりって感じだな。」
「え?」
「ええと……、一緒にここ通るのが。」
(ああ……。)
「うん。」
わたしも微笑みを返す。
言われてみて気が付いた。わたしもそう感じてる。
たった2日間空いただけなのに、懐かしく感じるなんて不思議だ。
二人で並んで傘をさして、ゆっくりと階段を下りる。
今まで何度もそうしてきたように、いつものリズムで。
それに合わせるように、交わす言葉も静かでゆっくりで。
一段下りるごとに心が凪いでくる。
(もう……いいかな。)
菜月ちゃんの話を思い浮かべながら思った。
何が本当かなんて、確かめる必要はない。
だって、どちらにしても、二人の関係が終わってしまったのは同じこと。
結論が出たときの辛い気持ちを、今さら思い出させる意味はない。
相河くんの話がウソだったとしても、それには何か理由があったはず。
それを追及しても、相河くんは困ってしまうと思う。
わたしは相河くんの優しさを知っている。
だから、相河くんの言葉を信じればいい。
もしも、「あんな断り方をするなんて、相河くんは意地悪だ。」っていう噂なら、「違う」って言ってあげなくちゃいけないけど。
階段を下りきって、さよならを言おうと相河くんを見上げる。
目が合うと、相河くんは微笑んだ。親しみと優しさのこもった表情で。
それを見たら心の底から安心感が広がって、わたしも自然に笑顔になる。
「またな。」
「うん。じゃあね。」
先に歩き出した相河くんの後ろ姿をなんとなく見ていたら、ちらりと振り返った。
それに小さく手を振って、わたしも歩き出す。
(なんか……すっきりした。)
本当のことは分からないまま。
でも、気持ちが晴れている。
相変わらず雨は降っているけれど、傘に当たる雨の音が、心を浮き立たせる楽しげな音に聞こえる。
ここで会えて、良かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけているとよいのですが。
第3章「三角形? 四角形?」はここまでです。
次から第4章「忙しい夏」に入ります。




