43 参戦するのか、しないのか
「葵のこと……?」
尾野の質問に、遠足のときのように、宇喜多はきょとんとした顔をした。
宇喜多の頭の中には、きっと「うちのマネージャーじゃないのか?」という言葉が浮かんでいるんだと思う。
首をひねりながら歩いている宇喜多に、尾野が重ねて言う。
「そうだよ。葵ちゃんのこと。宇喜多はさあ、いつの間にか『葵』って名前呼び捨てにしてるし、葵ちゃんは宇喜多にばっかり相談するし、敬語を気にするし、朝一緒に登校するし、葵ちゃんのこと『必要な存在』とか言うし、カレンダーに誕生日も書いてあるし、宇喜多だけ “さん” 付けだし……。」
最後の方はブツブツと声が小さくなってしまった。
でも俺は、尾野がどれくらい焼きもちを焼いていたのかよく分かった。
一気に出てきた不満の数が多いし、宇喜多のせいじゃないことまでここで持ち出すんだから。
少しの間、宇喜多は尾野を見ていた。
と思ったら、眉間にしわを寄せて嫌な顔をした。
「もしかして、尾野は葵のことが好きなのか?」
ストレートに返されて、尾野が怯む。
けれど、すぐに立ち直り、俺の肩に手を掛けて言った。
「俺だけじゃないよ。こいつも。」
俺はわざわざ宣言するつもりはなかったけど、こうなったら言ってしまった方が簡単だ。
「まあ、そういうこと。」
「なんだよ、二人ともなのか?」
宇喜多が苦い顔で俺たちを見る。
俺たちが頷いて見せると、宇喜多は大きなため息をついた。
「だから女子が入るのは嫌だったんだよ。」
「ああ、そうだったなあ!」
思い出した。
宇喜多は葵が入ったとき、 “女子が入ると恋愛沙汰で揉めたりするから嫌だった” と言っていた。
その予言が的中したってことだ。
感心している俺の横では、尾野が宇喜多の言葉にムッとしていた。
「じゃあ、宇喜多は葵ちゃんがいない方がいいって言うのかよ?」
と食ってかかっている。
そうやって尾野が怒っても、宇喜多は落ち着いたものだ。
「そんなこと言ってないだろ? 葵はもうちゃんとしたうちの部員だよ。俺だって認めてるよ。」
「うー……。」
何も言えなくなった尾野は、そのまま黙ってしまった。
駅に向かう道はほかの生徒も歩いていて、俺はこの手の話をしながら歩くのはちょっと…という気分。
“宇喜多が葵のことをどう思っているのか?” という質問に、結局は答えは返って来ていない。
でも、この様子だと、やっぱり宇喜多は考慮外ということでよさそうだ。
ということで、今の話は終了。
それより葵の情報をもらいたい。
「なあ宇喜多。そのDVD ――― 」
「じゃあ宇喜多は」
話し出したタイミングが尾野と同時だった。
そして、言葉を止めたのは俺。
尾野はゆっくりと、はっきりと話していた。
まっすぐに宇喜多を見つめて。
「この件には無関係ってことでいいな?」
(そこまで確認するのか……。)
尾野の気合いに呆れる気持ちと感心する気持ちが半分ずつ。
これもやっぱり焼きもちのせいなのか?
それとも、俺よりも真剣ということなんだろうか?
「この件?」
話が途切れていたので、宇喜多は一瞬分からなかったらしい。
尾野が質問を言い換えた。
「もしも、葵ちゃんに、 “好きだ” って言われても、お前は、断るんだな?」
確認するように、一語一語ゆっくりと口にする。
宇喜多は真面目な顔で尾野の言葉を聞いていた。
聞き終わると一瞬眉をひそめ、それからハッとしたように目を丸くした。
その顔のまま俺、尾野、また俺と視線を移したあと、パーッと首から耳まで真っ赤になった。
…と思う間に、サッと下を向いてしまう。
(あららららら……。)
あまりにも純情な反応に、俺の方が驚いてしまった。
今までは何があっても、平然としていた宇喜多が。
(まさか、まるっきり考えたことがなかったのか……?)
恋愛沙汰の心配をしていたくせに、自分に当て嵌めて考えたことがなかったのかも知れない。
知識と情報だけは持っていても、宇喜多にとっては他人事でしかなかったってことなのか。
(これじゃあ、断るどころじゃないな。)
この反応を見たら分かる。
可能性を考えただけで、こんな状態になるんだから。
宇喜多なら、その気がなければ平然と「断る」と言えるはずだ。
なのに。
「お前は断るんだな?」
尾野はまったく容赦がない。
ちょっとだけ宇喜多が可哀想になってしまう。
尾野を止めようと口を開いたとき、宇喜多が答えた。
赤い顔のまま、いつになく自信のなさそうな口調で。
「その場になってみないと……。」
「そうだよなあ、宇喜多。」
何か言いかけた尾野を止めるために急いで言う。
「そういうことって、その場になってみないとなあ。」
「うん。」
宇喜多が小さく頷く。
俺を睨んだ尾野に、「もうやめろよ。」と視線で返す。
宇喜多の気持ちはある程度分かったんだからいいじゃないか。
不満気な顔をしながらも、尾野は軽く息をついただけで何も言わなかった。
そのまま俺たちは無言で駅まで歩いた。
何を話題にしても、わざとらしい気がしたから。
それに、宇喜多はどう見ても、話ができそうな様子じゃなかった。
それを見ながら、俺と尾野は何度か顔を見合せた。
改札口を抜けて別れるとき、ようやく宇喜多が顔を上げた。
まだ赤みの残る頬が、何となく可愛らしい。
「あ、あのさ……。」
「どうした?」
今までと違い遠慮がちな様子の宇喜多に、先輩のような気持ちになってしまう。
「あの……、もしかして…… 」
「何だよ?」
尾野が面倒くさそうに促す。
「も、もしかして、葵が…その、そういう兆しって……あるのかな?」
恥ずかしそうに頬を染めたまま尋ねる宇喜多。
( “そういう兆し” ?)
尾野と顔を見合わせる。
(そういう兆しって、つまり……、葵が宇喜多を好きだっていう兆しのことか!?)
「「ねえよ!」」
憤然とした俺たちの声が重なった。
ここだけは、尾野と俺の意見が完全に一致。
「あ、そ、そう。ならいいんだ。じゃあな。」
慌ててホームへの階段を下りて行く宇喜多。
それを見送りながら、二人同時にため息が出た。
「尾野……。」
「あ……?」
何となく疲れてしまった。
すぐに歩き出す気にならない。
「お前…、宇喜多を問い詰めてみてどうだった……?」
「そうだなあ……。」
尾野が駅の天井を見上げて、もう一度大きなため息をつく。
「なんか……、無駄だったって言うか……、余計なことしたなー、みたいな……。」
「だよな……。」
ホームへと下りる間も、尾野はいつもよりおとなしかった。
葵がいないからテンションが上がらない、ということもあるのかも知れないけど。
「なあ、こういうのって三角関係っていうのか?」
反対側のホームにいる宇喜多をなんとなく探していたら、突然尾野が言った。
「ほら、葵ちゃんを囲んで三人で、三角。」
「いや、それって普通は全体で三人のときに使うんじゃないか?」
頭の中に三角形が浮かぶ。
今までは二等辺三角形だったのだろうか?
「じゃあ、今は何だ? 四角?」
四角……?
正方形だと葵と向かい合った頂点が一番遠い。長方形でも。
ああ、そうじゃない四角形もあるな。ブーメランみたいな形の。
でも……。
「いや、三角すい、じゃないか?」
うん。
それが一番近い気がする。
葵をてっぺんにして、俺たちが底面の三つの角で。
「立体か……。」
尾野が皮肉な笑い方をした。
「これ以上増えないといいな。」
ぽつんとつぶやかれた言葉に、頭の中に浮かべた三角すいの底面がパッと十二角形くらいに変わる。
「やめろよ。」
そんな状況、嫌だ。
帰る間ずっと、頭の中の立体図形の頂点があっちへこっちへと傾いていた。
翌日の朝。
教室に着くと、いつものように葵はもう来ていた。
本当は、俺もいつもより2本早い電車に乗ろうと思った。
でも、早く家を出るのは俺には無理だった。
席に着いたとき、葵の肩をつついて話しかける。
「昨日の帰り、宇喜多がDVDを届けに来てたけど?」
他意がないように聞こえる言葉を選んだ。
葵はまったく警戒せずに、いつも通りの笑顔で答えてくれる。
「あ、うん。今朝、駅で会って受け取ったよ。教えてくれてありがとう。」
「ああ、いや。じゃあいいんだ。」
本当は、宇喜多がどんな様子だったか訊きたいところ。
でも、それは口に出せない。
「それがね、見て見て。ねえ、菜月ちゃんも見て。」
葵が季坂にも声を掛けながら、楽しそうにバッグを開ける。
中から取り出したのは、おそらくDVDが入っている紙袋。
「これに入れて来てくれたの。可愛いでしょう?」
「宇喜多が?」
「うわ、ホント、可愛い。」
それはネコの絵が描いてある紙袋だった。
三毛猫やトラ猫たちが何匹も、ゴロゴロと気持ちよさそうに寝そべっている。
「意外だよねー? でね、 “可愛いね” って言ったら、まだ家にあって使い道がないから、今度持って来てくれるって。」
「え〜? それ、宇喜多くんが自分で買ったのかなあ?」
「なんか、そんな感じだったよ。」
「へえ。宇喜多くんって、結構可愛いものが好きだよねー?」
「そうだよねー。うふふふ♪」
嬉しそうに紙袋をながめる葵と季坂。
(宇喜多のヤツ。しっかりアピールしてんじゃねえか。)
笑顔で会話に混ざりながら、やっぱり宇喜多は強敵だと胸に刻んだ。




