3 転校生デビュー?
季坂は帰りまでの間に、藍川とすっかり仲良くなっていた。
昼前に解散になったとき、まるで彼女の通訳のように、略歴を俺と藁谷に説明してくれた。
今までは中高一貫の女子校に通っていたこと。
彼女が小学校に上がる前にお父さんが亡くなって、東京のH市にあるお母さんの実家でお祖母さんと一緒に暮らしていたこと。
6年の間海外勤務だったお母さんが戻って来て、勤め先に近いこの市に引っ越して来たこと。
その隣で藍川は、朝と同じように手を膝に乗せて行儀よく座っていた。
その表情は格段に柔らかくなり、頷いたり説明を付け加えたりするときもずいぶん落ち着いていた。
「今は、お母さんと二人で暮らしてるんだって。」
と季坂が言う。
「うちらの近くだよ。丸宮小の隣に建った新しいマンションだから。」
(ああ、あそこか……。)
丸宮小学校は俺が通っていた小学校だ。
うちからは徒歩10分くらい。
最寄り駅はこの学校から5つ目の丸宮台。
名字以外でも、彼女とは縁があるらしい。
さらに、この学校は彼女のお父さんの母校なのだそうだ。
高校時代の思い出話をよく聞いていたお母さんの勧めで、転校先をここに決めたという。
「今まで女子校だったのに、か?」
藁谷が不思議そうに尋ねた。
この学校は昔男子校だったせいか、今でも男子生徒の方が多い。
「女子校だったから……と言うか……。」
藍川が少し考えながら説明する。
「母が海外勤務だったので、中学受験のときにはあまり相談できなかったんです。」
「そうだったんだ?」
「はい。それで祖母が “躾の厳しい学校がいい” って言って、その学校に決めたんですけど…。今年、母が帰って来て引っ越すことになったときに、 “世の中には男性と女性がいるんだから、学校だってそうじゃなくちゃ!” って言って。」
「なるほど……。」
お母さんの考えも分かる気がする。
とは言え、藍川はかなり勉強ができるに違いない。
俺が言うのもナンだけど、この九重高校は、このあたりでは学力が優秀な伝統校として知られているのだから。
「それに……。」
藍川が付け加えた。
「母が、『やっぱり制服はセーラー服と詰襟でなくっちゃね!』って張り切ってしまって……。」
「ああ。お母さんもセーラー服だったんだ?」
セーラー服と言っても、この学校のはかなり地味だと思う。
黒に近い紺の上下で、スカーフは白。襟には2本の白いライン。
男子の詰襟の学生服と並ぶと、なんとなく古めかしい感じになる。
俺の質問に彼女は首を横に振った。
「違います。自分が着られなかったから、わたしにって。」
「あはは、そうなの? でも、あたしは好きだよ、ここの制服。葵も似合ってるよ。」
そう言われて、藍川は「そうかな…?」と自分の真新しいセーラー服を見下ろした。
季坂は彼女のことを「葵」と呼ぶことに決めていた。
「藍川」は、字は違うけれど、口に出すと俺と同じで混乱するからと。
俺だって「藍川」は呼びにくい。
でも、おとなしそうな彼女をいきなりファーストネームで呼ぶのは悪い気がするし、今まで女子をそんなふうに呼んだこともない。
まあ、俺が「アイカワ」と言ったら彼女のことだと誰だってわかるはずだから、問題はないんだけど。
「あ〜、いたいた。弁当はどこで食う?」
朝会った尾野がためらいなく教室に入って来て、俺と藁谷の間に割り込んだ。
そのまま隙間を空けるために荷物をずらしている俺たちには構わずに、いきなり藍川の方に身をかがめる。
「見たことない気がする。何組だった?」
「ええと…。」
藍川が思わずという感じで身を引きながら言い淀んだ。
(いきなり来てじろじろ見るから、怖がっちゃってるじゃないか。)
尾野はおしゃべりで子どもっぽい性格だけど、整った顔立ちをしているから、真面目な顔をするとちょっと怖い。
それに、俺たちは3人とも身長が180センチを超えている。
しょっちゅう一緒にいる季坂でも、「2人以上並ぶと威圧感がある。」と言う。
「転校してきたんだって。今日から。」
季坂が代わりに答えた。
「へえ〜、転校生? そうなんだ〜。」
尾野が目尻を下げて笑うと、藍川がほっとしたように微笑んだ。
「俺、尾野翔馬。隣の5組だからよろしく。あ、尾野は “尾っぽ”の “尾” だから。あと、翔馬は羊へんに羽の “翔” に “馬” ね。」
「羊へんに羽……。」
尾野の説明に藍川は考えながらそうつぶやいたあと、急にぱあっと笑った。
そして、両手を胸の前で合わせながら、とても嬉しそうに言った。
「ペガサスですね! 素敵な名前。」
(ん?)
何故か、ドキッとした。
尾野も同じだったらしい。
「え、あ、そう? いや、まあ…ありがとう。」
頭をがりがりと掻いたりして、慌てているのが丸わかりだ。
顔も少し赤いんじゃないか?
「ええと、で、そっちの名前は?」
「藍川です。」
「え? アイカワ?」
尾野が俺に視線を移す。
それを見て、彼女が付け加えた。
「藍色の “藍” に三本の “川” です。下の名前は葵。植物の “葵” です。」
あらたまった様子で背筋を伸ばし、膝に手を重ねて。
畏まっているように見えるけれど、緊張しているわけではなさそう。
「藍川葵ちゃんね。ねえ、 “葵ちゃん” って呼んでいい? コイツと同じ名字だとこんがらがるし。」
(なんだよ、調子のいいヤツめ。)
思わず呆れてしまった。
藍川の方は、驚いたことを隠そうとしているのか、目をパチパチさせている。
「え…と、……はい。そう…ですよね。ええ、はい。」
「ねえねえ、行矢くんだって格好いい名前でしょ?」
季坂が藍川に言う。
自分の彼氏の名前だからって、何も尾野に張り合うことはないのに。
藁谷は「いや…。」と言いかけて黙ってしまった。
こういう女子同士の会話に割り込んでも無駄だと知っているのだ。
「あ、はい。」
藍川が笑顔を季坂に向けた。
「クラス分けの名簿を見たときに、すぐにそう思いました。矢がまっすぐに飛んで行くイメージ、って。」
「そうでしょ? そうだよね?」
「はい。」
「やっぱりねー。そうだよねー。うふふふ。」
(…………。)
笑顔で楽しそうに盛り上がっている二人に、なんとなく気持ちが硬くなる。
べつに自分が普通の名前だからって、拗ねているわけじゃないけど……。
「ねえ、葵ちゃんは部活どうするの? 何かやってたの?」
尾野がすでに当たり前のように「葵ちゃん」と呼ぶと、藍川は一瞬表情を強張らせて返事が遅れた。
その隙に、季坂が代わりに答える。
「今までは学校が遠かったから、部活には入ってなかったんだって。でも、何かやりたいんだよね?」
「はい。母も『何かやりなさい』って言ってくれているんですけど、そうは言っても、途中からは入りにくい気がして……。」
「何か得意なことってないのか? 運動は?」
俺が尋ねると、彼女は自信なさげな顔をした。
「体育は普通ですけど、部活に入るほどには……。」
「茶道部とか、美術部とか?」
「ちょっと…ピンと来ないかな……。」
季坂がいくつかの部を挙げているうちに、尾野がいきなり「あ!」と叫んだ。
そして、興奮したように藁谷と俺の肩を叩く。
「なあ、うちは?」
「「はあ?」」
意味が分からない藁谷と俺の声が重なる。
「うちは男子バレー部だぞ。」
藁谷が呆れた顔で尾野に言うと、尾野が得意気に宣言した。
「だから! マネージャーだよ!」
その尾野に向かって、藁谷は疑わしそうに眉を寄せ、季坂は「ああ!」と笑顔で手を叩いた。
そして当の藍川は ――― 目をまん丸にしたまま固まっていた。