25 *** 葵 : 憂うつな朝
「はぁ……。」
木曜日の朝。
椿ヶ丘で電車を降りながら、ため息が出てしまった。
朝からため息をついている自分が情けなくて、もう一つため息が。
(なんだか気持ちが沈んでる……。)
原因は分かってる。
男の子たちのことで、気を遣い過ぎているからだ。
(もう疲れちゃったな……。)
美加さんに注意されたのが今週の月曜日。
あれからずっと、部活でも教室でも気を張りっぱなし。
男の子と二人だけにならないように。
話をするときに、必要以上に仲良く見えないように。
女の子に、わたしが男の子の気を引こうとしていると思われないように。
一番難しいのは、やっぱり相河くん。
クラスが同じだし、席も近い。
部活でも話をしなくちゃならない場面がどうしてもある。
降りる駅が一緒だし。
ずっと親切にしてくれていた相河くんは、普段からたくさん話しかけてくれていた。
今でも、休み時間には菜月ちゃんや由衣ちゃんも一緒に話すことが多い。
そういうときでも、わたしは前とは同じようにしていられなくなっている。
二人きりじゃないんだからいいのかも知れないけど、中途半端でどうしたらいいのか分からなくて、相河くんの視線を避けるような態度を取ってしまう。
とても失礼だと思うし、相河くんを傷付けているような気がして、結構辛い。
部活のときも、藁谷くんと話すのに気を遣う。
まあ、菜月ちゃんはそんなことで責めないって分かっているけれど、やっぱりそれなりに。
尾野くんや宇喜多さんにも。
きのうとおとといは帰りに美加さんが一緒だったから、一層疲れた。
一人で先に行ってしまいたかったけど、そんなことをしたら心配をかけてしまうと思ってできなかった。
(そうなんだよね……。)
バレー部のみんなは、とても優しい。
だから心配をかけたくない。
そして、その人たちを傷付けるようなことをしている自分が嫌だ。
「はぁ……。」
歩幅が小さくなってしまう。
十分に余裕を持って来ているから、ゆっくり歩いても遅刻はしないはず。
でも……。
「葵。」
(誰!?)
男の子の声に警戒心がパッと表に出た。
思わず体に力が入る。
「おはよう。」
コンビニの前にいたのは宇喜多さんだった。
朝の光の中で爽やかに笑っている。
(そう言えば、ときどき会うんだった……。)
使っている電車の時間が近いらしい。
「おはようございます。」
笑顔を作って親し過ぎない程度にごあいさつ。
このタイミングだと、学校まで一緒に歩くことは避けられない。
(朝からこんなことになるなんて……。)
学校までの道のりが、異様に長いものに思えてしまう。
でも、そんなふうに思うことが、宇喜多さんに申し訳ない。
(そ、そうだ!)
用事があることにしてしまおう。
「宇喜多さん、わたしコンビニでちょっと買うものが ――― 」
「ちょっと待って。」
向きを変えようとする前に引き止められてしまった。
硬い声に思わず顔を見ると、真剣な顔をしていて、ウソが見破られていると思った。
「ごめんなさい……。」
(ああ……、怒られちゃう……。)
下を向いていたら、宇喜多さんがため息をついた気配。
「やっぱりウソだよね? 理由を聞かせてもらえない? ああ、ほら、みんなの邪魔になるから歩こう。」
そっと肩を押されて、一緒に歩き出す。
ほんの1秒くらいだったけれど、肩に触れた指先から優しさが流れ込んできたように感じた。
それだけで、胸の中で硬く結ばれていた紐がゆっくりと解けていくような気がする。
「ここ何日か元気がなかったよ。俺とは話したくないみたいだし。俺、何かしたかな?」
真面目な宇喜多さんらしい、ストレートな質問。
(やっぱり気付かれていたんだ……。)
「いいえ……。」
「じゃあ、どうして? 何か理由があるんだよね?」
(ああ……。)
宇喜多さんには誤魔化しは効かないだろうな。
でも、考えてみると、うちの部の4人の中で一番こういう相談をしやすいのは宇喜多さんかも知れない。
落ち着いているし、何よりも本当の当事者じゃない。
(話しちゃおうかな……。)
うん。
覚悟を決めて話してしまおう。
たった3日でこんなに疲れ切ってしまったし。
ここで宇喜多さんに会ったのは、必然だったのかも!
「ええと、その……、誤解…されないように……。」
決心しても、こういうことって言いにくい。
変な意味にとられると……。
「誤解されないように……? ああ、俺みたいな変なヤツと仲がいいと ――― 」
「違います! それは違います! 絶対に!」
(やっぱり変な意味に〜!)
「じゃあ……?」
「宇喜多さんだけじゃないんです。みんなに……。」
宇喜多さんが驚いている。
「うちの部全員にやってるってこと?」
「ああ、いえ、うちの部だけじゃなくて……、クラスでも……。」
「クラスでも!? つまり……?」
「男の子全部……。」
「男全部!? なんで?」
「ええと…、誤解されて、噂になると困るから……。」
一言答えるたびに、宇喜多さんの驚きの度合いが増していく。
今はとうとう呆れ果てて、口を閉じるのも忘れたみたい。
何秒かそうしてわたしを見ていたあと、ふるふると頭を振り、頭痛がするみたいに額に手を当てた。
それから今度はしっかりとわたしを見つめた。
「ええとそれは、つまり、葵が誰かと噂を立てられないようにするために、男全員を避けてるってこと?」
「はい……。」
「どうしてそんなことを思い付いたの?」
「あ……。」
話が困る方向に向かってる。
美加さんに言われたなんて言いたくない。
そんなことを言ったら、美加さんをあまり好きじゃない宇喜多さんに、余計に悪い印象を与えてしまう。
「え、ええと……、そうだな、女子校だったから、かな!?」
「女子校…だった…から?」
「は、はい。ほら、女子って噂話が好きだから。」
「ああ…、へえ……。」
宇喜多さんが曖昧に頷く。
馴染みのない女子校が原因なら、宇喜多さんだって追及できないはず。
(うん! これで乗り切った気がする!)
「でも、噂話って、そんなに怖い?」
「え? ええ、もうとっても。」
「だからって、男全部を避けてたりしたら疲れない?」
「あ。」
宇喜多さんの新しい質問に、築きかけた土台が崩れた気がした。
一気に疲れが戻って来る。
「疲れます…、ものすごく。今日だって、もう憂うつで……。」
「だよね。フフ……。」
(笑われちゃった……。)
情けない気がしつつも、笑ってくれたことで気持ちが軽くなってきた。
しばらくクスクスと笑ってから、宇喜多さんはわたしを見た。
その顔にはもう呆れた様子はなくて、いつもの真面目で親切な表情が浮かんでいた。
「あのとき、無視してる俺に話しかける勇気はあったのに、噂されることは、可能性だけでも怖いんだ?」
(あ……。)
宇喜多さんの言葉に、あのときの気持ちがよみがえった。
わたしとの関係を拒否している宇喜多さんに話しかけるのは、とても勇気が必要だった。
でもその前に、宇喜多さんに無視されていることそのものに、わたしは少なからず傷付いていた。
それと同じようなことを、わたしはみんなにしているのだ。
「憂うつになるほど大変なのに、 “もしかしたら” って可能性があるだけで、そんなことをやらなくちゃならないの?」
「ごめんなさい……。」
「ああ……、謝らなくてもいいよ。葵にもいろいろ事情があるんだろうから。」
こんなふうに言われると、ますます自分が情けなくなってしまう。
「だけど、やっぱり少し傷付くね。あ、でも葵を無視してた俺が言うのは変だよな。ははは。」
「いいえ。ごめんなさい…。」
いったい、わたしはどうしたらいいんだろう……?
もう一話、葵が続きます。




