22 *** 葵 : 気付かなくてごめんなさい。
「葵!」
お昼休み、廊下を歩いていたら、階段を上って来た美加さんに呼び止められた。
「あ、きのうは応援ありがとう。遠くて疲れちゃったでしょう?」
階段を走って上って来たようなのに、髪には一筋の乱れもない。
少し上気した頬が、いつもの可愛らしさをますます引き立てている。
(本当に完璧。)
その上、性格も良くて。
会うたびに、自分とのギャップにため息をつきたくなる。
「ふふ、大丈夫。テニス部でも試合のときは同じだから。それに、久しぶりに相河くんとたくさん話せたし。」
「ああ……。」
そう言えば、きのう、美加さんはいつも相河くんの横にいた気がする。
「クラスが別れちゃってからゆっくり話す時間がなくて、ちょっと淋しかったんだよね。」
「そう。よかったね。」
美加さんでもそういうことってあるんだ。
美加さんなら、どこにいてもお友達に囲まれてるような気がしていたけど。
「うん。きのうの応援は、相河くんが誘ってくれたし……。」
「あ、そうなの?」
「うん。聞いてない?」
「うん……。」
(“聞く” って、誰から? 相河くん?)
少しぼーっと考え込んでしまった。
「ねえ、葵って…… 」
そこに聞こえた美加さんの声で我に返る。
「あ、はい?」
何だろう?
なんとなく、美加さんの態度が気になる。
何か言いたいことがあるみたいなのに……。
「葵って……、相河くんにも『葵』って呼ばれてるじゃない? それって……?」
「ああ、うん。やっぱり、同じ名字だから呼びにくいみたいで。」
「そうよねえ!」
(?)
「相河くんも『仕方なく』って言ってたんだけど、なんだか気になっちゃって。」
(何? 何か……?)
笑顔の美加さんを見ながらどこかが変だと思うのだけど、はっきりとは掴み取れない。
これもわたしがトロいから?
「だってね、相河くんは、今まで誰のこともファーストネームで呼んだことなんてなかったから。」
「あ、ああ、そう……。」
「それに、葵が勘違いしてたら可哀想だな、と思って。」
「勘違い……?」
「ほら、 “自分は特別だ” みたいに。でも、ちゃんと分かってるのよね?」
「う、うん……。」
(怖い。)
ふいに浮かんだ言葉にドキッとする。
美加さんが怖いなんて、あり得ないのに。
「ほら、葵ってずっと女子校だったんでしょ? 男の子との距離の取り方も、ちゃんと分からないんじゃないかと思ったの。」
「距離の取り方……?」
「うん。うっかりすると、誤解されちゃうよ?」
「誤解……。」
「そう。特に相河くんは、女子に人気があるから。」
確かに相河くんは人気がある。
クラスの女の子たちは、男の子に頼みたいことがあるときには、たいてい相河くんのところに行く。
(誤解……。)
つまり美加さんは、わたしと相河くんの距離が近過ぎるって言ってるの?
“ほかの人に誤解されるから気を付けて” って……?
「まあ、あたしはね、去年からの付き合いだから。」
「ああ、うん、そうだよね。すごく仲良しだと思ってたよ。」
「うふふ、そう見える?」
「うん。」
そうか。
美加さんは特別なんだ。
でも、わたしはそうじゃない。
だから、気を付けなくちゃダメなんだ。
「もしかしたらね。」
美加さんが声を落とした。
つられて近付いたわたしの耳に、美加さんが囁く。
「相河くんと上手く行くかもって感じなの。」
(あ……。)
思わず顔を見つめたわたしに美加さんが微笑む。
自信に満ちた、素敵な笑顔で。
「そうなんだ……。」
こういうとき、どう言えばいいんだろう?
“よかったね” ? “がんばって” ?
「ええと……、お似合いだと思うな。」
「ほんと? ありがと♪」
間に合わせに探した言葉だったけど、言ってみたらピッタリな気がする。
美人で可愛くて明るい美加さんと、背が高くて気さくな相河くん。
間違いなくお似合いだ。
「あ、いけない。あたし、友達のところに行く途中だったんだ。葵、またね!」
「あ、うん。バイバイ。」
美加さんが行ってしまったあとも、美加さんの言葉が頭の中で渦巻いている。
「距離の取り方も分からないんじゃ…… 」
「上手く行くかも」
「勘違い」
「仕方なく」………。
(ああ、なんだか……。)
頭の中を整理したくて、自分のクラスを通り過ぎて、廊下を突き当たりまで行ってみる。
5階の高さからは、体育館の屋根がすぐ下に見える。
後ろからは廊下を行き交う生徒のざわめきが聞こえて来るけれど、こちら側の階段を使う生徒は少ないから比較的静かだ。
(美加さんが言ったのは……名前のことと、誤解のことと、美加さんと相河くんのこと。)
わたしは「葵」と呼ばれているけど、勘違いしちゃダメだって。
あと、周りの人に、相河くんと仲がいいことを誤解されないように気を付けてって。
それから、美加さんと相河くんは、たぶん、お互いに好きだってこと。
(そうか。)
話を整理してみたら分かる。
美加さんは、わたしが邪魔なのかも知れない。
誤解しそうになったのは美加さんなんだ。
だから、ちょっと焼きもちを焼いてて怖かったんだ。
(そうだよね……。)
応援に誘われるくらい仲がいいのに、相河くんは美加さんを「榎元」としか呼ばない。
なのに、転校してきたばかりで、知り合ってから間もないわたしを「葵」って呼んでる。
クラスが同じでバレー部のマネージャーのわたしは、学校にいるときはほとんど相河くんと一緒にいる。
もしかすると、相河くんが副部長になったことも、美加さんは心配なのかも知れない。
マネージャーと副部長だと、仕事のつながりで仲良くなるんじゃないかって。
「はぁ………。」
(そんな心配、いらないのに。)
美加さんを好きになるような人が、わたしをそういう対象に選ぶわけがない。
そんなことを心配されて、せっかく仲良くなれた美加さんに嫌われたりしたら残念過ぎる。
それに……、美加さんが怒ったら怖そう。
(気を付けよう。)
わたしは転校生なんだし、おとなしくしていた方がいい。
(共学って面倒だな……。)
男の人たちは声は大きかったりするけど、怖いことはなかったし、基本的にみんな親切。
女の子たちも、賑やかな子とか、おとなしい子とか、いろいろいるところは女子校と変わらない。
だけど、一緒にいるから気を付けなくちゃいけないことがある。
ある程度以上は仲良くなっちゃいけないっていうルール。
でも、どこまでが “ある程度” のラインなのか、よく分からない。
さすがに “休日に二人だけで出かける” っていうのはラインを越えていると思うけど、学校の中にいると……。
――― 「これからは、俺を頼れよ。」
きのうの別れ際に相河くんが言ってくれた言葉。
相河くんの声と、姿と、周りの景色も一緒に浮かんでくる。
少し見上げないと顔を見ることができないから、相河くんと話すときにはいつも後ろに空が見える。
あのときはもう暗くて、空は紺色。その下に駅の階段が斜めに見えていた。
急に縞田先輩の名前を出されて、とても驚いた。
わたしの気持ちを知られているのかと思った。
そうじゃなくて、ほっとしたけど。
(ありがとう。でも、大丈夫。)
縞田先輩のことは覚悟していた。
試合を見ながら、きちんと気持ちを整理した。
相河くんは、わたしが転校生で、部活では女子は一人だから心配してくれてるんだと思う。
でも、美加さんからあんなことを言われた今となっては、相河くんを頼ることなんてできない。
頼るどころか、誤解されないように気を付けなくちゃならない。
(そうか……。)
相河くんだけじゃないんだ。
どの男の子が相手でも、同じなんだ……。




