21 警戒?
試合の翌朝、通学の電車で会ったのは尾野だった。
「なんだよ〜。どうせなら葵ちゃんに会いたいのに〜。」
俺の顔を見るなりこの言葉。
どこまで本気なのか分からない尾野の態度には、いつも呆れてしまう。
「残念だな。会いたかったら、もっと早い電車じゃないとな。」
彼女はいつも俺よりも先に教室にいる。
俺だってわりと余裕を持って登校している方だから、彼女はかなり早いと思う。
「あ〜、それは無理〜。」
「じゃあ諦めろ。」
電車の中で話すのは、きのうの試合のことやクラスのこと、テレビ番組などありきたりの話題。
それが途切れたとき、尾野が思い出したように言った。
「お前、榎元と付き合うのか?」
思わず周囲をちらりと見回してしまった。
知り合いに今の質問を聞かれていないかと。
「いや。なんで?」
「まあ…、きのうの様子見ててさ。それに、榎元が季坂に、きのうの試合の応援はお前に誘われたって言ったらしいから。」
(俺が誘った……?)
「ああ……、もしかして、あの日のことかな?」
球技大会の日の帰り。
「もともと榎元が、 “行きたい” みたいなことを言ってたから。それに俺は、みんなで来るのかと思ってたんだよ。」
「 “みんな” って、1年のときにお前がつるんでたメンバー?」
「うん。」
「そうか。」
電車が椿ヶ丘に着いて、俺たちも降りる乗客に続く。
隣にいる尾野が、珍しく真面目な顔をしていることに気付いた。
(こういう顔してると、いかにもモテそうなのに……。)
整った顔立ちは横顔も綺麗だ。
足元を見るために目を伏せている今は、表情が少し鋭い感じに見える。
「お前、気を付けろよ。」
尾野がその表情のまま俺を見た。
そんな顔で「気を付けろ」なんて言われると、本当に危険に巻き込まれているような気がしてくる。
「なにが…?」
「榎元だよ。」
ホームを歩きながら、尾野は周囲の生徒に聞こえないように声を落とした。
「その気がないなら誤解させるような態度をとるなよ。面倒なことになるぞ。」
( “面倒な” って……。)
きのうのことを思い出してしまう。
榎元の態度にイラついてしまった自分……。
まるで、尾野にすっかり見透かされているような気がした。
その焦りを誤魔化したくて、わざとふざけてみせる。
「 “誤解されるような態度” なんて、お前に言われたくないなあ。自分はしょっちゅう『葵ちゃ〜ん』ってやってるくせに。」
すると尾野は、俺にニヤリと笑いかけた。
いつもの目尻を下げたふにゃっとした笑顔じゃなく、挑むような笑顔で。
「俺はそういうの、彼女にしかやってないから。」
「な………。」
胸にドスンと何かをぶつけられたような衝撃を受けて、一瞬息ができなかった。
言うべき言葉が見つからない。
一旦開けた口を、ただ閉じるしかなかった。
そんな俺を笑って、尾野はすぐにいつもの調子に戻る。
「俺ってこの美貌だろ〜? うっかりしてると、すぐ女子に『格好いいよね〜』とか言われちゃうんだよね〜。」
(自分で言うのかよ……。)
しかも、 “うっかりしてると” っていうのが嫌味だな。
「だから、それ以上女子に興味持たれないように、こうやってヘラヘラしてるわけ。まあ、俺だっていろいろ考えてるんだぜ〜。」
「へえ……。」
本当なのか、言い訳なのか、よく分からない。
知り合ってからずっと、尾野はこんな調子だった。
ただ、尾野が女子につきまとわれているところを見たことがないのは事実だ。
それは単にお調子者の性格のせいだと思っていたけど、実はそれがわざとだとしたら……?
「相河くん! 尾野くん! おはよう!」
改札口を出たところで榎元の声が。
「お、榎元だ。おっはよう! きのうは応援ありがとね!」
尾野が即座に反応した。
この性格が最初は自分で作り出したものだとしても、今ではしっかりと沁み込んでいると思う。
「俺、これから宿題やらなくちゃならないんだ。お先に〜!」
俺が呆れている間に尾野はそう言うと、さっさと行ってしまった。
「尾野くんって、いつもテンション高いよねえ。」
尾野の後ろ姿を見送りながら、隣に並んだ榎元がくすくす笑う。
その様子になんとなく不安になり、尾野の言葉が急に現実味を帯びて頭に浮かぶ。
『その気がないなら誤解させるような態度をとるなよ』 ――― 。
(誤解……させてるのか? 俺が……?)
そう思うと警戒心が湧いてくる。
(だけど……。)
去年からずっと仲間だった。
たくさんの時間を一緒に過ごした。
そんな相手にどうすれば……?
「ねえねえ、見て、このストラップ。可愛いでしょう? きのうの帰りに見付けて衝動買いしちゃった♪」
榎元がスマートフォンのストラップが見えるように俺の前にかざす。
「え、ああ、うん。」
ここで同意してもいいのか?
並んだ距離が近過ぎないだろうか?
って言うか、一緒に歩いてていいのか?
(あー、分からない!)
あんなことを言った尾野が恨めしくなってくる。
「相河くんはストラップ付けてないよね? 前から思ってたんだけど、つまんなくない? 何か買ってきてあげようか?」
「い、いや、いいよ。チラチラして邪魔だし。」
こういうのが “誤解してる” ってことなのか?
榎元は前からこんなことをよく言っていたような気もするけど……。
尾野が言った「その気がないなら…」というのは、もちろん間違っていない。
ただ、俺の態度がそれに当てはまっているのかどうかが分からない。
それに、周囲の目に俺と榎元がどう映っているのかということも気になる。
(今までこんなふうに思ったことなんてなかったのに……。)
思い出してみると、本当にそうだ。
以前は、榎元と歩いているとき、美人の友達がいることを自慢にさえ思っていた。
なのに今は、周囲に誤解されているんじゃないかと気にしてる。
榎元が誤解していたら困ると思っている。
だいたい俺は、もともとクラスでも女子とよくふざけるタイプだ。
相手も軽いノリでいろいろ言うし、俺が言うことは簡単に受け流される。
もちろん、誰にでもというわけじゃない。そういう相手は何となく見分けが付く。
例えば葵や芳原は、そういうことは苦手なタイプだ。で、榎元は分かっている相手だ。……と思っていた。
(でも、そうじゃない?)
榎元は自分が特別だと思っているのか?
それを望んでいるのか?
(特別……?)
女子の友達の中では、特に親しいというのは間違っていない。
話す回数も多いし、気兼ねがない。
でもそれは、季坂と同じだ。
恋愛感情は存在しない。
「今年の夏休みはたくさん遊ばないとね! 来年は受験生で遊ぶ暇なんかないもの。」
「今から夏休みの話? まだ5月だけど?」
一緒に出かけようと言われているのか?
それは友人ではなく、彼氏としてということなのか?
「いいじゃない。計画を考えるだけでも楽しいんだから♪」
俺はどうしたらいいんだろう?
榎元の気持ちを聞いてみるべきなのか?
俺にその気持ちはないと伝えればいいのか?
だけど、だいたい、どこから友達を越えているんだ?
どうやったら友達のまま仲良くしていられるんだ?
彼氏になることを断ったら、また友達に戻れるのか?
(ダメだ。何も答えが出ない。)
考えても考えても、同じところを堂々巡りしているだけ。
「あ、じゃあ、またね。」
「うん。」
昇降口で、榎元がほかの友達を見付けて離れて行ったことにほっとする。
友達だったはずの榎元と別れてほっとしたことが、今度は罪悪感を呼び醒ます。
(俺が考えなしだからなのか……。)
藁谷はもちろんのこと、お調子者の見本みたいな尾野でさえ、誤解されないように気を配っていた。
それは自分の想う相手のためでもあり、自分を想う相手 ――― いるかどうか分からない相手でも ――― のためでもあるのだ。
「あ。おはようございます。」
6組の教室に入ると、いつものとおり、葵が優しい笑顔であいさつをしてくれた。
「うん…、おはよう。」
(葵には、ほかの女子とのことを誤解されたくない ――― 。)
ひと際強く、そう思った。
俺を頼ってくれと言った相手には。
自分一人で我慢してしまう彼女には。
(これからは気を付けよう。)
彼女の後ろ姿を見ながら、そう心に誓った。




