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彼女の瞳に映るのは  作者: 虹色
第二章 二つの終わり 一つの始まり
20/97

20  伝えたいことは


球技大会の帰りに葵が言ってくれたように、俺はサーブのタイミングで何度か試合に出た。

サービスエースも決めることができたし、バックアタックも成功した。


2回戦も順調に勝った。

点を重ねて盛り上がるベンチの端で、葵は何度か泣きそうな顔をしていた。

それはいつもすぐに試合を見守る熱心な表情に変わってしまった。

でも、俺はその泣きそうな顔が頭から離れない。


何度目かにその表情に気付いたときに分かった。

彼女にとっては、一試合ごとに先輩の引退が近付いてくることに変わりはないんだ。

今日、勝ち抜けて次に進んでも、次が最後になるのは変えられない。


試合の間、スコアを付けながら、彼女は真剣にコートを見つめていた。

まるで祈るように。

それに応えるように、みんなの体がなめらかに動いている気がした。


けれど。


3回戦で予想通り七海学園と当たり、俺たちは負けてしまった。

しかも、2セットとも一桁の点数で。

それほど力の差が大きかった。


葵が泣いてしまうかと思ったけど、彼女は涙を見せなかった。

「お疲れさまでした。」と一人ひとりに言いながら、タオルを渡してくれた。

1年生たちと一緒に荷物の片付けをし、応援に来ていた箱崎たちと穏やかに話をしていた。


着替えが終わって外に出ると、ちょうど太陽が沈み切ったところだった。

体育館の前で軽くミーティングをしたとき、植原先生から3年生の引退が告げられた。

そのときも、葵は表情を変えなかった。

ただ静かに先生の話を聞き、俺たちと一緒に先輩にお礼を言った。


そのあと、次の部長が発表された。

部長は藁谷、そして、副部長は俺だった。


部長はなんとなく藁谷だと思っていた。

でも、自分が副部長になるとは思っていなかった。

驚いていると、縞田先輩が、


「宇喜多っていうセンもあったけど、それだと真面目すぎるコンビになるから相河にした。」


と、笑って教えてくれた。

先生は、


「部長と副部長とマネージャーが同じクラスだと困ることもあるかも知れないけど、便利かも知れないしな。」


と気楽に言った。

尾野が


「俺は名前も挙がらなかったのか…。」


と、がっかりしていた。


先生が、応援に来てくれた女子たちを駅まで車に乗せて行こうかと言ったけど、全員が断った。

俺としては、箱崎と季坂はべつに構わないけど、榎元には乗って行ってほしかった。

今は、榎元の明るさが少し重荷だ。


それに……。



疲れた足取りでのろのろと歩く集団。

尾野の声でさえも、いつもよりもずっと静かだ。

俺の前には季坂と藁谷が並んで歩いている。

その前に葵。

尾野と宇喜多が半分振り向きながら、彼女と話している。


(葵……。)


今はどんな顔をしてる?


淋しい顔をしてもいいんだぞ。

先輩たちが引退するんだから、淋しくて当然なんだ。

今なら、自分の気持ちを我慢しなくていいんだぞ。


「夜になると、まだちょっと寒いね。」


榎元の声がする。


「そうか?」


隣を見たら、榎元は薄いブラウスの腕を両手で抱くようにこすっている。

そう言えば、応援の女子たちは、俺たちと違って私服だった。


「ねえ、相河くんのジャージ、貸してくれない?」


「それは ――― 。」


単純な拒否の言葉が口から出かかったのを止めた。

せっかく来てくれた榎元に、それでは冷たすぎる気がして。


「汗臭いからやめた方がいいな。電車の中でほかの乗客に避けられるぞ。」


「え〜、そんなのヤダ〜。じゃあ、しょうがないか〜。」


そう言いながら、抱いた腕をまたこすった。


「だから先生の車に乗って行けばよかったのに。」


「だって……。」


榎元が不満そうに言う。


( “だって” 、何だよ?)


思わずイラッとした。

急に、榎元の相手をしていることが面倒になる。


(弁当のときだってそうだった。あのとき……。)


みんなで一緒にいるのに、そうじゃないみたいで。

だから、葵のレモンのことも気になっていたのに、声を掛けるタイミングがつかめなくて……。


もちろん、榎元が俺と話したいのは仕方がない。

よく一緒に帰っているとは言っても、このメンバーの中で榎元が一番気兼ねがないのは俺なんだから。

それに、休日にわざわざ遠くまで応援に来てくれた。

だから当然、感謝しなくちゃいけないんだけど……。


(今まで榎元に対して、こんなふうに感じることなんてなかったのに。)


明るくて、話上手で、美人で……、一緒にいると楽しかった。

あのグループの中でも、俺と榎元は特に気が合った。

なのに……。


変わったのは俺なのか?

それとも榎元?

それとも、あれは見せかけだったのだろうか?


「ああ、でも残念だったねえ、負けちゃって。先輩たちも、これで引退なんだね。」


「うん。」


(そうだよ、引退だ。)


話し続ける榎元に適当に相槌を打ちながら、心では葵の心配をしている。

どれだけ淋しいのか、と。


一言ことばを掛けてあげたいのに、今はそれができなくてもどかしい。


(丸宮台に着いたら……。)


でも、何て言えばいいんだろう?




榎元が電車を降りるまで、俺は義務のような気持ちで彼女と話していた。


べつに、二人だけで離れていたわけではない。

でも、何故か彼女と話していると、ほかのメンバーが遠く感じられた。

みんなの話に榎元が加わると、何となく俺が気を遣ってしまった。


榎元と宇喜多が乗り換えで降りて行き、その次に藁谷が降りた。

そして、ようやく丸宮台。

尾野に手を振って降りた季坂と葵が俺の前を歩いて行く。


(あと少し。)


改札を出て季坂と別れると、葵は一息ついてから、にっこりと俺を見上げた。

俺たちと同じバレー部のバッグを斜めに掛けたセーラー服姿が、不思議なほど懐かしく感じる。


(やっとだ……。)


彼女の笑顔を見た途端、自分が今までどれほど緊張していたかが分かった。

こんなに気持ちが落ち着くなんて……。


「副部長さんですね。」


微笑んだままそう言って、ゆっくりと彼女が歩き出す。


「まあ、そうだけど、あれは誰でもよかったって感じだよな。」


「そうかな?」


階段を下りはじめたから彼女は下を向いていたけど、穏やかに微笑んでいるのは声で分かった。


「どうだった、初めての試合? 朝から長かったし、疲れたか?」


「うーん……、少し。」


彼女はちらりと俺を見て、また足元に目を向ける。

ストン…、ストン…、とゆっくりと階段を下りながら、ふと、転びそうになったら支えてあげないと、と思う。


と、彼女がまた顔を上げた。


「でも、わたしは見ていただけだから。相河くんや、ほかのみんなの方が疲れてるでしょう?」


(葵……。)


自分のことは、いつも平気だという顔をする。

俺たちに心配を掛けないようにする。

一人で我慢しようとする。


「縞田先輩……、引退しちゃったな。」


「……はい。」


「淋しいだろ?」


「……え?」


見開かれた瞳が不安げに揺れた。

俺が何を言うのかと警戒している?


「だって…ほら、幼馴染みだし、部長だったし…、頼れる兄貴みたいな感じだったんじゃないのか?」


「ああ……。」


彼女の表情がやわらかく落ち着く。


「そうですね。確かにお兄さんみたいで……。ふふ。」


軽く笑って、彼女は空を見上げた。

もう暗くなった空に、満月に近い月が白く光っている。

ちょうど階段を下りきるところで、俺は思わず手を差し出した。

彼女はそれに気付いて笑った。


「大丈夫。今日は転びません。」


その笑顔と「大丈夫」という言葉が、俺の何かを動かした。


「これからは、俺を頼れよ。」


彼女は「え?」と首を傾げた。

俺は自分で言っておきながら、あまりの気障っぽさに恥ずかしくなってしまった。


(こんなつもりじゃなかったのに……。)


でも、言ってしまったんだから続けるしかない。

それに、口に出してみて分かった。

これは本心だ。


「その…、俺、副部長だし。ほら、部長は藁谷だけど、あいつを頼ると季坂が焼きもちを焼くかもしれないから。」


「ああ。うふふ、そうですね。」


「それに、同じ “アイカワ” だし。」


「はい。」


その場の思い付きの理由に素直に頷く彼女。

その笑顔がなんだか眩しい。


「ありがとう。じゃあ、これで帰ります。お疲れさまでした。」


「おう、気を付けて。明日は部活は休みだぞ。」


「はい。」


笑顔で応えた彼女が軽く頭を下げてから歩き出す。

それに背を向けて歩き出しながら、気分が軽くなっていることに気付いた。

疲れているはずなのに、車が来ない道をダッシュしてみたりした。







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