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彼女の瞳に映るのは  作者: 虹色
第一章 二人のアイカワ
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2  どうぞよろしく。


「はい……?」


彼女 ――― 藍川葵は、おずおずと後ろを向いた。

そのまま体を横向きにずらして、両手を膝の上にそっと重ねて。

ふんわりと額に下ろした前髪の下で、丸い大きな目が不安そうに揺れている。


「もしかして、転校生?」


少し小さめの声で尋ねると、不安そうだった目が大きく見開かれた。

同時に開いた口を片手の指先で隠す仕種がいかにも女の子らしい。


そんなふうに驚いたあと、すぐにまた手を膝に戻すと、彼女は恐る恐る言った。


「あの……分かりますか?」


少し身を乗り出した彼女はおとなしそうなひとだった。

ふっくらした頬は、ふわふわした髪と一緒に少し幼い雰囲気を醸し出している。

声は落ち着いた木管楽器を思い出させた。


「うん。その席。」


俺が彼女の椅子を指差すと、彼女は首を傾げた。


「席……?」


「そう。俺、ずっと一番だと思ってたから。」


彼女は自分の机と椅子をちらっと見てから、また指先を口元に当てて「あ。」と言った。


「あの。」


それから慌てたように椅子の背をつかんで後ろに体をひねると、真剣に、心から申し訳なさそうな顔で


「ごめんなさい。1番がよかったですか?」


と言った。


「え? ふぷ………。」


今度は俺が口を押さえる番。

彼女のように上品にではないけど。


「あ、いや、そうなじゃいよ。」


(面白い子だな。)


あんなに真剣な顔で訊いてくるなんて。

高校生にもなって、1番じゃなくちゃ嫌だとか言うヤツがいると、本気で思ってるのだろうか?


漏れそうになる笑いをこらえながらちらりと前を見ると、彼女は困った様子で、膝の上に置いた手を見ていた。

その姿に急に罪悪感が湧く


「ごめん。……そうじゃなくて、逆。俺、1番が嫌だったから。」


「そうなんですか……?」


彼女はまだしょんぼりしたまま、上目づかいに俺を見た。


「うん。俺、小学校からずっと出席番号1番でさ。」


こう言うと、彼女はすっと顔を上げ、真剣な顔でこっくりと頷いた。

五十音順にすると俺よりも早い順番になる彼女には、もちろん、俺と同じ経験があるのだ。


「日直でも、給食当番でも、何でも最初だろ? だから去年、この学校に入学したときに、俺よりも早いヤツがいるかと思って名簿を何度も見たってわけ。だけど結局、俺が全体でも一番早い名前で…。」


俺の話を聞きながら、彼女は何度も同意の頷きを返してくれた。

それに勢いを得て、俺の舌はなめらかになる。


「諦めていたのに、今年は二番目だろ? 驚いたよ。今は解放感いっぱいで、『やった!!』って感じ♪」


浮かれてそこまで言ったとき、彼女が恨めしそうな顔をしていることに気付いた。

彼女は来年も1番は決定ということだ。


「ええと……、つまり、ありがとうございます。」


急に申し訳なくなって頭を下げると、彼女は力なく笑った。


「いいえ。仕方ないですよね。もう慣れました。」


諦めの混じった笑顔は、最初の印象よりも大人っぽかった。

もしかしたら、彼女の声と丁寧な話し方でそう見えるのかも知れない。

紺のセーラー服と白いスカーフが、そんな彼女によく似合っていると思った。


気持ちが共有できることにほっとして、初対面の彼女に親近感が湧く。

リラックスして机に肘を付き、手にあごを乗せて話を続けた。


「慣れたって、やっぱり不公平な気がするよなあ? 1番って逃げられないじゃん?」


「そうですよね。」


相変わらず行儀よく膝に手を重ねたまま、彼女が大きく頷く。


「『出席番号順』って言われても、最後まで行き着かないときだってあるんだぜ。」


「はい。ええ、そうですね。」


「出席を取るときだってさあ、最初と最後は1分以上差があるんだ。1分あったら何メートル走れると思う?」


「さあ……。」


「まあ、だいたい10秒で50メートルだとするだろ? 1分だと300メートルだ。」


「ちょっと、具体的にどのくらいの感じなのか……。」


「え? そう言われると、俺にもよくわからないけど……。」


適当に見積もった話に真面目に首を傾げられて、一瞬思考が止まった。

でもすぐに、自分が言いたかったことを思い出す。


「とにかく、同時に門を入っても、俺は間に合わないのに、名前によっては間に合うヤツもいるってこと。中学のときに、本当にあった話だぜ。」


「ああ。」


彼女が納得したように頷く。

その直後、彼女の背後が暗くなった。

教室に入って来た大きな黒い学生服姿は、同じバレー部の藁谷行矢だった。


「よう。」


一瞬立ち止まって教室を見回した藁谷に声をかける。

藁谷がこちらを見ると同時に、後ろから女子が廊下に向かってしゃべりながら入って来て、藁谷にぶつかった。


「わ。」

「あ、悪い。」


(あれ? 季坂(きさか)も?)


そう言えば、自分が2番になったことが嬉しくて、名簿をじっくり見なかった。

そんなことを思っている間に、二人が俺の方にやって来る。藍川葵のことをちらちらと気にしながら。


「一緒なんだな。」


二人を順番に見ながら言うと、意味が通じた。

顔を見合わせて、季坂は満面の笑顔で「ねー。」と言い、藁谷は無表情に「まあな。」と言った。

この二人は彼氏と彼女の間柄なのだ。


季坂(きさか)菜月(なつき)は俺と同じ中学の出身で、男子バスケ部のマネージャーをやっている。

物怖じしない性格の元気な女子だ。

去年、部活の合間によく俺のところに来て話していたので、気の強い季坂でも、さすがに一年生の間は部の中で遠慮があるのかと思っていた。

でも、そうじゃなかった。

藁谷が目当てだったのだ。


二人が一緒にいるのは俺には見慣れた光景だし、どちらとも遠慮のない仲だから特に気にならない。

でも、藍川は……。


視線を彼女に戻すと、不安そうな顔で遠慮がちに二人を見上げていた。

たぶん、自分がこの場にいてもいいのかどうか迷っているのだろう。

俺の視線を追った季坂が彼女に気付いて、名簿を見ながら一歩近付いた。


「ええと……、藍川さん?」


「あ、はい。」


背筋を伸ばして両手を膝に置いて季坂を見上げる彼女の顔は、ほっとしたようでもあり、緊張したようでもあり…。


「わたし、季坂菜月。席、お隣だから、よろしくね。」


「あの、はい。藍川葵です。よろしくお願いします。」


堅苦しくあいさつをする藍川を見て、季坂が笑った。


「やだ。そんなに丁寧にしなくていいんだよ。同い年なんだから。」


「でも、初対面なので……。」


「え、でも。」


困っている二人の姿はちょっと面白かったけど、藍川が気の毒になって一言。


「転校生なんだって。」


「え、そうなの?」


「はい。」


頷いた藍川に、季坂は「そうなんだー。」と安心させるように微笑んだ。

それから、自分の席に座ると彼女と話し始めた。

藍川の表情もあっという間に明るくなって、笑い声も聞こえる。


「今日も練習出るだろ?」


藁谷の低い声。


「もちろん。ちゃんと弁当持って来たよ。」


藁谷と部活の話をしながら、藍川のために、季坂がいてよかったな、と思った。


(それにしても。)


字が違っても、発音が同じ「アイカワ」というのは、ものすごく呼びにくい!







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