18 県大会ブロック予選
「あ、相河くん。よかった! おはようございます。」
県のブロック大会がある日曜日の朝。
丸宮台駅のホームで電車を待っていたら、葵がやって来た。
急ぎ足で近付いてくる彼女の肩にかかったバッグが重そうだ。
「おはよう。」
「会えてよかったです。初めて行くところだから、途中で迷ったらどうしようかと思って。」
心からほっとしたというように笑う彼女。
今日の会場は私立七海学園の体育館。
広い敷地に近代的な校舎の建つこの学校には、観覧席付きの大きな体育館がある。
その代わり、駅からは少し遠い。
「大丈夫だよ。だって、向こうの駅に集合なんだから。」
「駅から出るまでに迷うかも知れないじゃないですか。」
「いくら何でも、それはないだろ? そんなに大きな駅じゃないし。」
それでも彼女は納得しないみたいだ。
でも、一緒に行くんだから、何も問題はない。
それよりも。
「その荷物、ずいぶん重そうだな。かさばる物は、きのう、先生の車に積み込まなかったっけ?」
ジャージを持ってくる必要のない彼女は、大きなものは昼飯と靴くらいしかないはずだ。
「ああ、これですか……。」
彼女が困ったように自分の荷物を見た。
その間に電車がホームに入って来る。
「お母さんが絶対に持って行けって……。」
「お母さんが?」
停まった電車の中に尾野の姿が見えた。
向こうも俺たちに気付いて、さかんに手を振っている。
終点まで開かない側のドアの前に落ち着いてから、彼女はバッグを開けて見せてくれた。
中には大きな風呂敷包みが入っている。
「レモンの蜂蜜漬けなんですけど……。こんなもの、みなさんいらないですよね……。」
「え、レモンの蜂蜜漬け? もしかして、差し入れってこと?」
尾野が目を輝かせる。
俺も「差し入れ」という言葉に、少しテンションが上がる。
「試合って聞いたお母さんが張り切って、レモンと蜂蜜をたくさん買って来ちゃって……。大きなパック2つ分もあるんです。いつ出したらいいのかもわからないし……。」
「俺ならいつでもいいよ〜♪」
「とりあえず、試合の合間だろ。今日は暑くなるって言ってたから、レモンはちょうどいいんじゃないか?」
俺たちの言葉に、彼女は少しほっとした様子で「だといいんですけど。」と微笑んだ。
「あ、そんなことより。」
彼女が真剣な顔になる。
真剣で、ちょっと心配そうで。
「試合、頑張ってくださいね。」
「もちろんだよ〜。葵ちゃんのために頑張るよ〜。」
(調子がいいんだから……。)
尾野のこの一貫した調子の良さにはときどき感心してしまう。
まあ、どちらかというと、呆れることの方が多いけど。
「いいえ、わたしのためじゃなくて……… 」
微笑んでいる彼女の瞳が一瞬揺れた。
けれど、たちまちそんな気配はきれいに消えて。
「みんなのためです。」
(葵……。)
今、俺たちを見つめる目には何の影もないけれど……。
「うん。もちろん。」
今日の試合で勝ち抜けなければ、3年生は引退する ――― 。
俺たちが会場に着いたとき、植原先生の車も同時に到着した。
荷物を車から出すと、先生と葵は出場の手続きをしに行った。
試合はトーナメント方式。負けたら終わり。
今日中にトーナメントの3回戦までが県内の各会場で行われ、それぞれ勝ちぬけた1校が2週間後の県大会に進める。
俺たちはBブロック、14校。
一回戦からの出場なので、順調に行けば3試合。
二つに区切られた体育館の中は、すでに各校の選手たちの声が響いていた。
ロビーでもミーティングや柔軟体操をしているチームがある。
2階の観覧席も、半分くらい埋まっている。
中でもこの七海学園は強豪校と言われるだけあって、父母会が横断幕まで作って応援に来ている。
その隣にジャージを着た生徒が30人くらいいるのは、ベンチ入りできない生徒らしい。
うちの学校とはえらい差だ。
「七海学園と当たるとしたら3回戦か……。」
宇喜多が隣でつぶやいた。
トーナメントの山が違うから、試合が行われるコートも違う。
気合いの入った応援団がいる学校と当たるのは結構プレッシャーが大きい。
そういう意味で、最後まで当たらないのはほっとする。
俺たちの試合が行われるBコートの上に場所を取ったところで、先生と葵が戻って来た。
荷物整理を交代して、俺たちは着替えるために更衣室へ。
ナンバーが付いたユニフォームは、きのうのうちに渡されている。
半袖の上着は白地に赤で数字と学校名が入っている。短パンは赤地に白い文字。
縞田先輩のユニフォームは「1」。
6番までが3年生で、2年生が五十音順に7番から10番まで。そのあとに1年生が4人。
ベンチに入れるのは選手14人と監督とマネージャー。
前は、葵は「ベンチ入りなんて申し訳ないし」と、マネージャー役を一年生に譲ろうとしていた。
でも、植原先生が「マネージャーデビューだな!」と気楽に背中を叩き、ベンチで俺たちもフォローするということで、ようやく決心した。
きのうとおとといは試合形式の練習のあいだ、必死でスコア付けの練習をしていた。
俺たちの最初の出番はBコートの第2試合。
第1試合が始まるころ、俺たちは一旦ウォーミングアップを終わらせて席に戻った。
ベンチ入りできない1年生たちに、先生がビデオの操作方法を教えている。
葵はベンチに持って行く飲み物や救急箱を、緊張した顔で何度も点検していた。
「おはようございまーす。」
明るい声に振り向くと、箱崎だった。
部員たちがそれぞれに一言声をかけ、葵は「おはよう。」と手を振る。
縞田先輩が立ち上がって、笑顔で何か言いながら箱崎に近付いて行った。
箱崎は嬉しそうに、自分の荷物を持ち上げて見せる。
試合の日の弁当は、いつも箱崎が作って来るのだ。
そんな二人を見たら、葵の様子を確認せずにはいられなかった。
彼女は周りのことなど何も気にならない様子で、手に持った紙を熱心に見ていた。
その姿がすうっと始業式の日の彼女と重なる。
教室で自分の席に座って、誰とも話さずに生徒手帳を見ていた姿と……。
なんとなく一人にしておけなくて、彼女の隣に移動する。
「俺たちよりも緊張してるんじゃないか?」
からかうように声をかける。
あくまでも軽く、気軽に。
「相河くん……。」
こちらを向いた顔は、普段どおりの不安な顔と変わりない。
(強いな、この子は……。)
気弱そうで、しょっちゅう困った顔をしている彼女。
でも、思い返してみると、彼女はいつも最終的には覚悟を決めて頑張っている。
マネージャーも、球技大会も、スコア付けも、途中で投げ出したりしない。
縞田先輩への想いも、笑顔の後ろにかくしたままで。
「せっかくベンチに入るんだから、しっかり見てるんだぞ。」
大会が終わったら引退してしまう縞田先輩の姿を。
「はい。頑張ってくださいね。」
「おう。」
頑張るよ。
葵が先輩の姿を少しでもたくさん見ていられるように。