17 お疲れさま
「ああ、本当に惜しかったよねえ。」
「うん。あと1点だったのに。」
季坂と葵が藁谷にこれを言うのは、もう何度めだろう?
球技大会2日目の帰り道。
今週は部活の朝練もあってさらに疲れているけど、鯛焼き屋に向かうみんなの足取りは軽い。
「宇喜多さん、上手なので驚きました。」
葵が優しい笑顔で言うと、榎元も同意した。
「ホントに! 宇喜多くん、去年はバスケでも活躍してたよね? もしかして、スポーツ万能?」
「あはは、そんなことないよ。球技だけ、ちょっと。」
(ふん。)
俺が少し拗ねた気分になっても、誰も文句は言わないと思う。
二日間の球技大会は、あっという間に始まって、終わってしまった。
うちのクラスは男子のバスケットボールが決勝まで残り、最後は3年生に負けた。
宇喜多はソフトボールにキャッチャーで出ていて、2回戦でうちのクラス ――― つまり俺のチーム ――― に勝った。
そして、最終的に3年生を破って優勝。
尾野はバスケでベスト4。
目も当てられないと思ったうちのクラスの女子バレーは、なんと3回戦まで進んだ。
と言っても、ほとんど季坂と2人の女子の活躍によるものと言っていい。
でも、葵もかなり頑張ったと思う。
とりあえず、サーブは8割くらい入った。
ナイスレシーブも数回。
俺は最初の彼女を知っているから、試合が終わるたびにうんと褒めてやった。
初めの試合でサーブが入ったときには、思わず大声で喜んじゃったし。
まあ、彼女が上達したのは当然だ。
俺たちバレー部の2年が、みんなして彼女に教えたんだから。
俺たちは…、たぶんバレー部なら誰でも、バレーボールの話が聞こえると、つい注意を引かれる。
特に、未経験者に誰かが教えていたりすると、自分も何か言いたくなってしまう。
で、「そういうときはさあ」とか「違うだろ?」なんて言いながら話に割り込む。
彼女はまったくの素人だったせいで、どんな話でも素直で熱心に聞いていた。
宇喜多の物理の授業のような解説も、尾野の褒め言葉満載のレクチャーも、藁谷のワンポイントアドバイスも、俺の話も。
片付けの途中や帰り道に毎日、休憩時間には実際にボールも使って。
見ていた先輩たちも、黙っていられなくてやって来た。
3日目くらいに腕に内出血のあざができたとき、彼女はそれを笑いながら俺たちに見せた。
「クラスのみんなに見られたら、ものすごい特訓をしてるって期待されそうだから内緒です。」
と、少し自慢げに。
昼休みの練習は、最後の二日間は男子チームも加わって、やたらと盛り上がっていた。
彼女はそのときにも楽しそうに参加していた。
まあ、たった一週間だから、上達の度合いとしてはたいしたことはない。
でも、初日に比べたら雲泥の差だったと思う。
そんな彼女のことが、俺は誇らしい。
うちの部の一員として、十分に資格があると思う。
けど。
俺は2回戦で負けてしまった。
だからなんとなく居場所がない。
いつもは俺に絡んでくる榎元も、自分が出場したバスケの話ばかりしている。
(あーあ。)
拗ねているくせに、それに気付かれるのは悔しい。
集団の最後尾にちゃんとくっついていて、一つひとつの話に笑ったり、からかったり、それなりに参加してる。
でも、そうすることで、ますますいじけた気分になってくる。
誰も俺の気持ちに気付いてくれないから。
(本当に子どもだな……。)
今度は落ち込む。
こんな自分、嫌いだ。
鯛焼き屋で全員が買うまで小休止。
相変わらず賑やかな話し声が続く中、最後尾にいた俺の隣に、セーラー服が並んだ。
「どれにするの?」
榎元だった。
「つぶ餡。」
この店にはつぶ餡、こし餡、うぐいす餡、クリームの4種類がある。
俺はつぶ餡かうぐいす餡しか食べない。
ねっとりした舌触りのものが苦手だから。
「あたしは今日はクリーム。」
話しかけられて、少し気分が回復していくのが分かった。
自分が忘れられていなかったと分かって、機嫌が直りかけているのだ。
そんなことくらいで、とは思うけど、仕方ない。
「ねえ、相河くんって、葵のこと、呼び方変えたのね?」
「ああ、うん。先週から。」
もう一週間になるのか。
クラスでも部活でもそう呼んでいるから、今では当たり前のように口に出せる。もとからそう呼んでいたように。
動き出した集団の最後を歩きながら、話題の彼女を視線が追う。
やたらと大きく見えるバレー部のバッグを肩から斜めにかけた後ろ姿。
「どうして?」
「え? 何?」
注意が逸れていたせいで、質問の意味が分からなかった。
「どうして急に呼び方を変えたのかな、と思って。」
榎元の口調と表情には、何か……、言い訳せずにはいられない何かがあった。
「単に呼びにくいからだよ。ほら、うちのクラス、バレーの練習してただろ? あれで、名字が同じでややこしいから仕方なく。」
「そう…か。そうだよね。同じ名前なんだもんね。」
納得したように微笑む榎元にほっとする。
でも、微かな居心地の悪さが消えない。
どうにかして話題を変えたい。
「今度の日曜に試合があるんだよ。榎元、前に応援に来てくれるって言ってたけど?」
「あ、うん! 行ってもいいの?」
榎元が一気に明るい表情になった。
自分が選んだ話題が正しかったことにほっとする。
「もちろん。でも、あんまり派手なのは困るけど。」
「うふふ、大丈夫! 何を着て行こうかなあ……?」
それから榎元は、駅までずっと着る物の話に夢中だった。
俺は半分上の空でコーディネートの話を聞いて、目では何となく、ふわふわした髪の後ろ姿を追っていた。
電車で4人になってからは、全員少し疲れが出て、会話が途切れがちになった。
丸宮台で俺たちが降りるとき、尾野はあくびをしながら空いた席へと移動した。
改札口を出て季坂と別れると、何故かとてもほっとして、寛いだ気分になった。
まだ葵が一緒にいるのに。
「本当に “お疲れさま” だな。」
歩く速度も遅くなる。
「そうですね……。」
彼女もどこかぼんやりしているように見える。
普段から運動している俺たちよりも、彼女の方がずっと疲れているんだろう。
「でもわたし、とっても楽しかったです。」
ゆっくりのペースで階段を下りながら、彼女が笑顔で俺を見た。
一歩遅れているせいで、彼女の笑顔が今は同じくらいの高さだ。
「相河くんのお陰です。ありがとうございました。」
ふわり、と柔らかい空気に包まれた気がした。
その心地良い空気を深く吸い込むと、自分の心もほっかりと温まったような気がした。
「俺だけじゃないよ。」
照れくささ半分で少し謙遜。
「いいえ。相河くんが、最初に『教える』って言ってくれたから。だからほかの人も教えてくれたし、わたし、お昼の練習でクラスの人たちともたくさん話せるようになって。本当に感謝しているの。」
(どうして……。)
どうして彼女はこんなにまっすぐなんだろう?
迷いのない瞳で、穏やかな表情で。
「ソフトボールは残念でしたね。」
「ああ、それはまあ……。」
「でも、球技大会は単なるイベントで、お祭りみたいなものですから。」
明るい表情でそう言い切られると、素直に “そうだな” と思えた。
「日曜日の大会の方がずっと重要です。頑張ってくださいね。」
「うん、もちろん。ああ、でも……。」
彼女が首を傾げる。
ちょっと小鳥みたいに。
「俺は出られないかもしれないな。先輩たちは6人いるし。」
「ああ……。」
彼女は人差し指をあごに当てて少し考えたあと、にっこり笑って俺を見た。
「きっと出番があると思います。」
「そうかな?」
気休めに言ってくれてるだけだと分かってる。
でも、彼女の心遣いはやっぱり嬉しい。
「はい。相河くんのサーブはすごいから。」
「え……、そう……?」
「はい。」
予想外に具体的に言われて驚いている俺に、彼女は微笑んだまま続ける。
「2年生では一番だと思います。たぶん、3年生にも負けないと思います。スピードも、威力も。」
(うわ………。)
「褒めすぎだよ。」
嬉しいけど、照れくさい。
「そんなことないです。ホントに ――― 」
(!?)
突然、彼女が視界から消えた。
(え!?)
慌てて見回すと、彼女は足元に座っていた。
階段の下で、まあるく広がったスカートの真ん中に。
(な、なんで? 転んだのか?)
ドキドキしながら手を貸そうと思っている間に、彼女はぴょこんと立ち上がった。
まるで何事もなかったような顔をして。
「ああ、びっくりした……。」
そう言いながら、服に付いた汚れを払っている。
(いや、俺もびっくりしたけど……。)
「怪我……とか、してない……?」
「え? ああ、大丈夫です。上手にポトンと落ちたから。」
(「上手に」って……。)
あまりにもあっという間のできごとだったので、俺の方が慌てている。
「階段が終わりかと思ったら、もう一段あったの。うふふ、大丈夫です。こういうこと、よくあるから。」
“よくある” と、上手に転んだり落ちたりできるようになるんだろうか?
「ほんとに怪我しなかった?」
「はい、どこも痛くありません。あ、ここでサヨナラですね。お疲れさまでした。」
いつものとおり、丁寧にお辞儀をしてくれる彼女。
その膝が少し赤くなっているけれど……。
「うん……、気を付けて。」
もう一度にっこり微笑んでから、彼女は俺に背を向けて歩き出した。
その後ろ姿がなんとなく危なっかしく見えて、今日はなかなか目を離せなかった。
第一章「ふたりのアイカワ」はここまでです。
次から第二章に入ります。