16 「葵」
ゴールデンウィークが明けて、新入部員用のジャージとバッグが出来てきた。
あんなに悩んでいた彼女のネームは、 “A.AIKAWA” と入っていた。
「よく考えたら、バッグが同じになってしまうから。」
言われてみると、確かにそうだ。
「こっちの方が格好良くないですか?」
と、彼女は俺に自慢した。
そして、
「こういうの持つの、初めてなんです。」
と、本当に嬉しそうに、長い時間飽きずにながめていた。
「相河くん、お願い〜!」
「え? ちょっと。」
「あ〜、葵、葵!」
「え、わたし?」
「や〜ん、お願い〜!」
「あ、菜月、怖い怖い怖い、ダメ、やめて。」
「打て!」
バシッ!
「やー!」
「きゃ〜!」
「相河!」
「ああ……。」
何をやっているのかと言うと、円陣バレーだ。
昼休みの校庭で、女子7人に俺と木村が混ざって。
「行くぞ〜。ほら。」
「え? 誰、誰、誰? あたし? うそ? えい!」
「さっちゃん、お願い〜!」
どうして急にこんなことをやっているのかと言うと、来週の球技大会のためだ。
やってみて驚いた。
もう少しできるのかと思っていたから……。
メンバーを決めたのは、昨日のLHR。
球技大会はバスケットボール、バレーボール、ソフトボールの3種目。
ソフトボールは男女混合で、あとの2種目は男女別。
その中で、女子のバレーボールは人数が足りなかった。
球技大会の決まりで、各種目の現役の部員はその種目には出られない。
だから俺は、今回はソフトボールにエントリーしている。藁谷はバスケに。
季坂は中学時代にバレーボールをやっていたけど、今はバレー部員じゃないからバレーに出られる。
どういうわけか、女子はソフトボールの希望者が多かった。
つまり、ソフトからバレーに何人か移らなくちゃならない。
ジャンケンで決まったその中に、藍川が入っていた。
彼女は遠慮がちに、
「一応、バレー部なんですけど……。」
と言った。
でも、イベント委員に
「やだなあ。葵はバレー部でも選手じゃなくてマネージャーでしょ! あははは!」
と笑い飛ばされておしまい。
彼女のあまりにもがっかりした顔を見て、季坂が
「大丈夫だよ〜。葵、体育は普通にできるんだから。」
と慰めた。
でも、彼女は情けなさそうに首を振った。
「ダメなの。サーブが入らないし、パスだってどこに飛んで行くか分からないし、コートのどこにいればいいのかも分からないし……。」
それはほとんどまるっきりの初心者だ、と気の毒になった。
だから言った。
「少し練習してみるか?」
と。
それに反応したのは季坂だった。
「え? 相河くん、練習見てくれるの?」
“あれ?” と思っているうちに季坂が大きな声でクラス中に発表し、隣にいた木村が元バレー部ということで一緒にやることになっていた。
ちなみに藁谷は、こういうときには出て来ない。
ノリの軽い俺の方が、女子には向いているのだ。
というわけで、こうやって昼休みに校庭に出てきたわけだけど……。
集まった姿を見て、最初にがっくり来た。
全員がセーラー服にスカートのまま。
まあ、俺と木村だって体操着に着替えたわけじゃないけど、一応、ワイシャツ姿で袖をめくっている。
辛うじて季坂と藍川は、ジャージの上着を羽織っていた。
足元を見ると、7人中3人はローファーだ。
出てくる前に「とりあえず円陣バレーかな。」と話してあったから、それほど動かないで済むと思ったのかも知れない。
軽いパスから始めてみると、これがまた何とも言えない。
経験者の季坂はいいとして、それなりにパスを返せる女子が2人、あとは “どこに飛んで行くか分からない” か “ボールが怖い” か、というところ。
どうりでバレーボールの希望者が少ないわけだ。
こういうとき、届かないボールや逸れたボールは、俺と木村がフォローしなくちゃならない。
(難しいな。)
(どうする?)
息が切れるたび、木村と何度も視線で相談している。
困ったことは、実はもう一つある。
「アイカワ!」
「え?」
「あれ?」
そう。
木村が俺と彼女を同じように呼んでいること。
それに、
「う…、藍川!」
俺が彼女の名前を呼びにくいということ。
クラスの中で、女子は全員が彼女のことをファーストネームで呼んでいる。
今だって、彼女のことは「葵」と言い、俺のことは「相河くん」と呼び分けている。
男は、藁谷が俺のことを「晶紀」と呼ぶので、そう呼んでくるヤツが半分くらいいる。
残りは、俺のことも彼女のことも「アイカワ」と呼ぶ。
クラスの男が彼女に用事があることなんてほとんどないから、今までそれで済んでいたんだ。
俺は、彼女を名字で呼ぶことに決めていたけど、口に出したのはほんの数回。
なぜなら、やっぱり呼びにくいから。
直接顔を見て話していれば、彼女の名前を呼ぶ必要もないし。
だから、1か月以上経った今でも、「藍川」と口に出すことにはまったく慣れていない。
「アイカワ!」
「え?」
「お前じゃない、葵だ、葵!」
「は、はい。」
「おう、上手い上手い。ほら季坂、行ったぞ〜。」
(もしかして、「葵」って言ったのか?)
ボールの行方を追いながら、さっき聞こえた木村の声を思い出してみる。
(間違いなく言った。でも、一度だけかも知れないよな……?)
ちょうど飛んできたボールを、さり気なく彼女にパス。
「あ〜、葵、葵!」
「よし、葵だ!」
女子の声に混じって、木村の声も間違いなく……。
(お前まで「葵」って言うのかよ〜〜〜!?)
なんだか……、何ていうか……。
(納得いかない!)
「ぅお〜い、俺も入れて〜〜〜!」
振り向くと、尾野が走って来る。
「あ〜、尾野くんだ〜。」
「わ〜、どうぞどうぞ〜♪」
(隣のクラスなのにこの馴染みよう……。)
まあ、しょっちゅううちのクラスに来て騒いでるからな。
「いいのかよ、自分のクラスは?」
「だって、うちのクラスはやらないって言ってるもん。」
自信があるのか、気合いが入らないのか。
もしかすると、尾野に相手をしてもらうのが嫌なのかも?
「ほら、葵ちゃん。」
「葵、がんばれ!」
「葵〜!」
(ああもう!)
何だよ、みんなして「葵」「葵」って!
俺への当てつけか!?
俺が「葵」って呼べないでいるのをこっそり笑ってるのか!?
「相河、行ったぞ〜。」
(そうだよ。「アイカワ」は俺なんだよ。)
だから。
「葵、行くぞ!」
「え、はい。あれ?」
緊張していたんだろうか?
彼女にパスしたつもりのボールは、全然別の方向に飛んで行った。
でも。
(どうだ! 言ってやったぜ!)
「相河くんの下手っぴ〜。」
「お前、バレー部として恥ずかしくないのか?」
「あー、悪い悪い。」
(ふふ〜ん、だ。)
野次られても、けなされても、すっきりした気分。
「ほら、行ったよ〜。」
「はーい。」
「菜月は怖いってば!」
「葵だよ〜。」
(これからは俺も呼ぶんだから!)
「葵!」
「ふや〜。」
そうだ。
これからは俺だって、何度でも、どこでも、「葵」って呼ぶぞ!