12 気になること
新年度が始まって、あっという間に2週間経った。
藍川はバレー部のマネージャーとして、とてもよくやっている。
尾野が誘ったとき、「救急箱と荷物番」なんて言ってたけど、仕事は思っていた以上にある。
今までの先輩たちは、練習の傍らあれをこなしていたのだと思うと、本当に頭が下がる。
日々の雑用をこなすだけじゃなく、彼女は勉強熱心だ。
この前は応急手当の本を持って来ていたし、おとといの練習試合のあとは、スコア付けは難しいのかと訊いてきた。
とにかく役に立とうと一生懸命なのだ。
真面目人間の宇喜多まで、最近は「葵がいると心がやわらかくなるみたいだ。」なんて言い出した。
ときどき藍川がバレーボールのことを質問すると、やたらと熱心に説明したりして、最初とはえらい変わりようだ。
彼女の真面目さが、宇喜多には特に効き目があるらしい。
でも……。
彼女が宇喜多に質問しているところを見ると、俺はなんとなく落ち着かない気分になってしまう。
いや。
正直に言うと、最近、そんな気分になることがよくある。
ちょっとしたことで、 “俺だってそのくらいできるのに” なんて思って。
この、ときどき現れる拗ねたような気分には、いつも困ってしまう。
誰かと自分を比べてばかりいるみたいで。
要するに、自分の能力を誰かに認めてもらいたいんだ。
他人は他人、俺は俺でいいのに。
この前までは、楽しく過ごせればそれで良かったのに。
なのに最近は……物足りなくて、しょっちゅういじけた気分になっている。
そんな自分が情けない気がして、ちょっと落ち込む。
自分の価値を他人に認めてほしいなんて……、大きな声では言えないけど、今ごろ思春期が来たんだろうか?
俺は背が伸び始めるのが、ちょっと遅かったから……。
それとも逆か?
子ども返りしてるのか?
……まあいいや、今は。
藍川のバレー部への一番大きな功績と言えば、たぶん新入部員のことだろう。
今年、1年生は8人も入部した。俺たち2年生の2倍だ。
これだけいれば、先輩たちが引退してからも、試合形式の練習ができる。
俺は、尾野がいくらあんなことを言っても、女子マネージャー目当てに入部する生徒がそれほどいるとは思っていなかった。
あの8人の中に、いても一人か二人程度だろうと。
でも、そうではなかったらしい。
1年生たちは、何かというと「葵せんぱ〜い。」と言って、彼女の周りをウロチョロしている。
何かの置き場所を訊いたり、練習の予定を訊いたり、甘えたり、甘えたり、甘えたり……。
そうかと思うと、いいところを見せようとして、やたらと手伝おうとする。
最初から彼女は準備や片付けを、俺たちに混じってやっていた。
でも、1年生はそれを「重いから俺がやりますよ〜。」とか「先輩はいいですよ〜。」と言っては取り上げてしまうのだ。
けれど、彼女は自分も部員の一人として、一人分の働きをしたいと思っている。
帰りにポツリとそう言った。特別扱いはしてほしくないと。
だから俺は、彼女には無理そうなことだけに手を貸してあげようと思っている。
それに、最近モップ競争の機会が減ったのが、すごく残念だ。
「葵せんぱ〜い。」
(ほら、来たよ……。)
「はーい。どうしましたー?」
今日は外の練習場。
向かい合ってサーブ練習をしている横の方にいた藍川に駆け寄って行く1年生がいる。
1年生が入部してから、毎日のように繰り返されている光景だ。
「絆創膏が欲しいんですけど〜。」
「ああ、どこ? 普通のサイズでいいのかなあ?」
(まったく! 絆創膏くらい自分で出せばいいだろう!?)
毎日毎日、やれ絆創膏だ、冷却スプレーだ、テーピングだと次々と。
お前たちが勝手に使ったって、誰も文句なんか言わないぞ!
あの甘ったれた声を聞くとイライラする。
思わず手元が狂ったふりをしてボールをぶつけたくなる。
(あ?)
と思った途端、向かい側からのサーブが逸れて……。
ボン!
「ぎゃっ!」
「きゃっ!?」
その1年の頭に命中した。
「あ〜、ごめんごめん! 手元が狂っちゃって。」
(尾野……。)
みんなの手が止まる。
ボールが当たった1年生が頭を抱えてうずくまる。
藍川は陸上部の方に転がって行ったボールを慌てて追いかけて行った。
一番端にいた俺も、彼女のあとを追いかける。
(いくら尾野でも手加減はしたはずだけど……。)
そう考えて、自分が勝手にあれはわざとだと決めつけていることに気付いた。
真実は誰にも分からないままになるだろう。
先に追いついた藍川がボールを拾って振り返る。
追って行った俺に気付いて、両手でボールを差し出した。
「びっくりしちゃった。あんなこともあるんですね?」
まさか、わざとだとは言えない。
「うん。だから、練習中によそ見してると危ないんだよ。」
「本当にね。よく分かりました。」
にっこり微笑んで俺を見上げた彼女に、不思議な満足感が湧いてくる。
だから言ってみる気になった。
「救急箱は自由に使わせていいんだぞ。」
「え?」
大きな瞳がまっすぐに俺を見る。
その瞳に心の奥まで見透かされそうな気がして、なんとなく落ち着かない。
べつに隠していることなんかないのに。
「絆創膏くらいでいちいち呼ばれてたら大変だろう? ちょっとくらいのことは自分でやらせて、藍川はなくなったら買い足しておけばいいんだよ。」
「ああ。そうか。」
胸の前で手を合わせてにっこりする彼女。
「そうですよね、もう高校生だもの。…あ、でも、あの子の頭は見てあげなくちゃ。自分では見えない場所だから。」
そう言って、彼女は走って戻って行った。
俺がコートに戻ったとき、彼女は1年生の頭を調べていた。
何度も撫でていたのは、コブができていないか見ていたんだろう。
尾野はと言えば、いつもと変わらない様子で練習をしていた。
(もしかして、本当に手元が狂っただけだったのか……?)
そう思っていたけれど。
「葵ちゃ〜ん。裁縫道具ってあるかな〜?」
休憩時間に尾野の声がした。
「Tシャツに穴空いちゃってさ〜。」
「あら。ちょっと待っててくださいね。」
(あいつ、まさか……。)
ふと視線をずらしたら、藁谷と目が合った。
藁谷は「よくやるよ。」というように肩をすくめた。
「どこですか?」
裁縫箱を持って戻って来た藍川に、尾野がTシャツのお腹のあたりを見せている。
(着たまま縫ってもらうつもりか!?)
それには場所がちょっと微妙じゃないか?
さすがにやり過ぎだろう!
「脱いだ方がやりやすいと思いますけど……?」
「いやあ、今日、これ1枚しか持ってなくて。それとも、上半身裸でもいい?」
「い、いいいい、いいえ! そのままで!」
藍川は慌ててそう言うと、少しの間破れた場所を見ていてから白い糸を取り出した。
適当な長さに切って針に糸を通す手つきは手慣れたものだ。
それから。
「はい、じゃあ、これを持ってください。」
はきはきと指示する声が聞こえた。
尾野は「え?」という顔をして、差し出された針を受け取っている。
「こっち側から縫うんですよ。最初は裏から針を刺して……。」
「くふっ……。」
思わず笑いが漏れてしまった。
もしかすると、さっき俺が「ちょっとくらいのことは自分でやらせて」と言ったのを実践しているのかも。
周りでも、藁谷や先輩たちが向こうを見ないようにしてこっそり笑っている。
「俺、縫い物ってちゃんとやったことないんだけど……。」
「大丈夫ですよ、難しくないですから。一回覚えておけば、あとでほかのときにも使えるし。あ、自分のお腹を刺さないように気を付けてくださいね。」
それから尾野は真剣な顔でTシャツの穴ふさぎを教わっていた。
バレー以外で尾野が真剣な顔をしているのを見るのは、考えてみたら初めてな気がした。
(それにしたって。)
額を寄せ合って尾野の手元を覗き込んでいる二人を見ていたら、なんとなく、胸の中がモヤモヤしてきた。
(ちょっと近付き過ぎじゃないのか?)
まったく、尾野のヤツ!
よくやるよ。
「葵。ちょっと。」
「あ、はい。」
縞田先輩だ。
先輩に呼ばれたんじゃ、尾野はあとは一人でやるしかないな。
縞田先輩に何か指示されて、藍川が頷きながら返事をしている。
最後に大きく頷いて、先輩を見送ってからこちらを向くところは、いかにも彼女らしい礼儀正しさで……。
(あれ?)
彼女の表情がいつもと違う。
笑顔じゃないときでも、あんな顔をしたところは見たことがない。
苦しそうな、淋しそうな……。
「葵ちゃ〜ん。最後はどうするの〜。」
「あ、今行きます。」
その表情は、一瞬で笑顔に変わった。
でも、それは周囲の景色と一緒に、俺の頭の中に写真のように焼き付いた。