10 *** 葵 : 一大決心
(頑張らなくちゃ……。)
体育館の横にある部室棟の前で、終了のミーティングが終わったところ。
菜月ちゃんとの待ち合わせ場所に5人 ――― 2年生の男子4人とわたし ――― で向かいながら、ドスンドスンと打つ心臓を静めるために、息を大きく吸ってみる。
酸素をたくさん取り入れたら、心臓がこんなに頑張らなくてもいいのではないかと思うから。
おとといから始まった男子バレー部のマネージャーの仕事は、少しずつ慣れてきた。
縞田先輩がどんなことでも丁寧に教えてくれるし、ほかのひとたちも親切にしてくれるから。
準備や片付けを手伝っても邪魔にされない。
今日はボール拾いも手伝わせてもらった。
でも、あんまりウロウロすると危ないから、いつも周りに目を配っておく必要があるけど。
部活に出るということそのものが、わたしには初めてで楽しい。
帰りにお腹が空くということも初めての経験。
昨日、みんなで買った鯛焼きは、とても美味しかった。
近くで見る男の子のバレーボールはとても迫力があって、格好いい。
特に体育館ではボールを打つ音が気持ちよく響いて。
最初は「ドカン!」という音がするたびにビクッとしたけど、今日はもう何でもなかった。
一番はやっぱり縞田先輩で……。
縞田先輩のことは、あまり考えないようにしている。
仕事を教えてもらうときは仕方ないけど。
ただ………。
考えるのはやめよう。
わたしはお役に立てれば十分。
それよりも!
わたしは今、ある決心をしている。
それは、宇喜多さんとお話をすること。
それを今日の目標に、一日を過ごしてきた。
男子バレー部の2年生には、始業式の日に会った3人のほかにもう一人、宇喜多雷斗さん、という人がいる。
この人だけは、どうも苦手。
部活に参加した初日、あいさつをしたときにチラリと睨まれてしまった。
それっきり、一度も口を利いてくれないし、わたしの方を見ようともしない。
一応、わたしからはあいさつはしているのだけど。
要するに、…まあ言い方は悪いけれど、無視されているとうこと。
わたしがマネージャーになったことが気に入らないのだと思う。
どんな人か一言で言うと……真面目そう。
わたしが “さん” 付けで考えてしまうのは、どうしても “くん” とは呼べない雰囲気だから。
自分の気遅れのせいばかりではないと思う。
部活中の体操着姿よりも、詰襟の学生服を着ているときの方がしっくりくる。
外見は、細面で飾り気のない髪型、それに、あんまり笑わない……と思う。
もしかしたら、わたしがいなければ笑うのかも知れない。
背はあまり高くない。…とは言っても、バレー部の中では、だけど。
一般的には普通だと思う。
きのうまでの二日間、無視されていることが怖くて、自分から話しかけようなんて考えてもみなかった。
でも、夜になってから、このままではダメだと思った。
これから毎日顔を合わせるのに、こんな状態では困る。
ほかの人たちにも気を遣わせてしまう。
それに、時間がたてば経つほど、今の関係が固定化してどうしようもなくなってしまう。
そうなる前になんとかしなくちゃ、嫌われているとしてもやってみなくちゃ、って思った。
だから、決心した。
とは言っても、どんな話題で話しかけたらいいのか散々悩んでしまった。
朝から考え続けたけど良い考えは浮かばなくて。
でも、今日の部活の時間に気付いたことがあって、今はどうにかなりそうだと思っている。
(さあ、勇気を出して ――― 。)
菜月ちゃんと合流して駅へと向かう道は徒歩15分。
話題によって一緒に歩く相手が変わるから、宇喜多さんが一人になるときもあるはず。
そこを見計らって隣に行けるように、なるべく近くにいようと思っている。
でも、もうそろそろ駅が近い……。
先頭を歩くのは藁谷くんと菜月ちゃん。
二人に話しかけられているわたしがその後ろ。隣に尾野くん。
わたしの後ろに相河くんと宇喜多さん。
「なあ藁谷。次の練習試合って、相手どこだっけ?」
後ろから相河くんが来て、わたしと尾野くんの間に入った。
藁谷くんが手帳を探してバッグを開ける。
(今……?)
いざとなると体が震える。
深く息を吸おうとしても、肺まで空気が入らないような気がする。
(頑張れ!)
藁谷くんが取りだした手帳を4人が覗き込んでいるのを視界の隅に捉えながら、1、2秒足を止めて。
もう一度、震えながら深呼吸をしてから、後ろから来た宇喜多さんをまっすぐに見る。
宇喜多さんはわたしをちらりと見て、すぐに無表情に反対側を向いてしまった。
かなり露骨な態度に、気持ちがくじけそうになる。
(どうしよう……。)
けれどその途端、これからのマネージャー生活が頭に浮かんできた。
宇喜多さんとの関係が悪いままのこれからの部活動……。
(ダメダメダメダメ! そっちの方がもっと嫌!)
今しかチャンスがないかも知れない。
失敗したとしても、やらないよりはマシ。
せっかく頑張って話題を見付けたんだから!
「あの。」
嫌がられていることには気付かないふりをして、笑顔を作って隣に並ぶ。
心臓は爆発しそうだし、声は震えている。
でも、「今しかないかも知れない」と心の中で唱えて勇気を振り絞る。
「宇喜多さんって、重要なポジションなんですね。」
(言えた〜〜〜〜〜〜!!)
ほっとしたせいか、目まいがした。
でも、ここで倒れるわけにはいかない。
「え?」
宇喜多さんがこっちを見た。
さすがに隣に並ばれて、名前を呼ばれて話しかけられたら、無視はできないんだろう。
ちゃんと見てもらったのは初めて。
まだ少し怖い顔をしているけれど。
「どうして?」
(「どうして?」って言ったよね? うん、確かに言った。よし、大丈夫。答えられる。)
予想していた質問だった。
「だって、いつも名前を呼ばれていますよね? 練習中、『雷斗』って、何回も聞こえて…… 」
(……あれ?)
言いながら、自分で違和感があった。
立ち止まってわたしを見ている宇喜多さんの表情も変だ。
(もしかして……? もしかしてもしかしてもしかして!?)
一気に体温が下がった気がした。
(やっちゃったーーーーーー!!)
勘違いをしていた。
部活中に聞こえていた「ライト」は、たぶん右のことだ。
ちゃんと注意して聞いていれば、「レフト」もあったはずなんだ!
宇喜多さんと話すことばかり考えていたから、聞こえてきた言葉を都合良く変換しちゃったんだ!
「ごっ、ごめんなさい! 間違いです!」
もう謝るしかない。謝っても無駄だろうけど。
こんなに馬鹿な勘違いをしてしまうほど無知なわたしがマネージャーだなんて、絶対に認めてもらえないに決まってる。
(もうお終いだ……。)
情けなくて、恥ずかしくて、申し訳なくて、顔を上げられない。
ほかのみんなのところにも行けない。
(このまま一人になりたい! みんな、わたしを置いて行っちゃってください!)
心からそう思った。
「フフッ。」
(え……?)
聞こえたのは笑い声だろうか?
でも、今聞こえるとしたら、笑ったのは……。
「面白いね。本気で間違えたんだ?」
そうっと顔を上げたら、目の前にいたのはやっぱり宇喜多さんだった。
そして、もう無表情じゃなかった。
それどころか微笑んでいるみたい。
「俺はあんまり名前は呼ばれないな。セッターだから。」
「はい……。」
ほっとして、体の力が抜けそうになる。
座り込んでしまいそうな気がするけれど、歩き始めた宇喜多さんに遅れないように、自分の脚を励まして。
「でも、最初にバレーを始めたころは、俺も『ライト』って聞こえるたびに落ち着かなかったよ。」
宇喜多さんの声は、少しとがった低い声だった。
穏やかに微笑んでゆっくりと話してくれる言葉は、わたしの心を静めてくれた。
気付かれないように、何度もそっと深呼吸をする。
「尾野がマネージャーに誘ったって聞いたけど……、バレーのこと、あんまり詳しくない?」
「は…はい。すみません。」
みっともないことを言い当てられて、また落ち込んでしまう。
勉強しなくちゃと思っていたのだけど、後回しにしていたのがまずかった。
けれど、宇喜多さんは怒らずに、「じゃあ、一般的なルールから教えようか。」と言ってくれた。
それから、ちょっと視線を逸らして「無視して悪かったよ。」と……。
なんだか嬉しくて、涙が出そうになってしまった。