世界でいちばん
放っておけない人って、
どうしてあんなにぼんやり笑うんだろう。
私の幼馴染の山鹿はるとは、春の陽だまりみたいな男子高校生だ。
悪く言えば鈍い。よく言えば素直。
とにかく、ぼんやりしている。
この前なんて、隣のクラスの女子に「付き合って」と言われて、
「どこに?」
と真顔で聞き返したらしい。
本人は至って本気だ。
周りが爆笑している意味もわかっていない。
そんなだから私は、つい口を出してしまう。
「はると、提出物出したの?」
「靴紐ほどけてる」
「シャツ、後ろ出てる」
まるで弟の世話を焼くみたいに。
私は田中真知子。
自分で言うのもなんだけど、わりとしっかり者。
そして、たぶん——お節介だ。
はるとは私より少し背が高いのに、なんだか頼りない。でも、怒られてもへらっと笑うその顔が、
あったかくて。
優しくて。
私は、そんなはるとが好きだ。
だけど。
はるとは私のことを、口うるさい姉くらいにしか思っていないかもしれない。
それが、ずっと胸に引っかかっている。
***
昼休み、教室でのことだった。
私がはるとに数学の小テストの解き直しを教えていると、後ろの席の男子が言った。
「田中ってさ、ほんと口うるさいよな」
くすくす笑いが広がる。
「わかるー。可愛げないっていうか。彼女にしたくはないタイプ」
胸が、きゅっと縮んだ。
冗談だってわかってる。
ただの軽口。
でも、その言葉は、ずっと私が怖れていたもの。
そして、目の前のはるとは、何も言わなかった。
顔がじわっと火照って、耳の奥まで赤くなっていくのがわかる。
(やっぱり、そう見えてるんだ)
私、やっぱり姉ポジションなんだ。
可愛くないし、うるさいし。
反論しようと開いた口は、うまく言葉が出てこない。
正しいことを言ってるつもりだった。
心配してるだけだった。
でも、正しさと可愛げは、同じじゃない。
視線が痛い。
はるとはどう思ってるんだろう、って考えた瞬間、余計に恥ずかしくなる。
笑ってごまかすしかなくて、
「ごめんね、うるさくて」なんて言ってしまう自分が、少しだけ悔しかった。
教室を出て、廊下の窓際に立つ。
春の風が強くて、前髪が目にかかる。
ちょっとだけ、泣きそうだった。
「真知子」
後ろから、聞き慣れた声。
振り向く前に、額にふわっと何かが触れた。
一瞬、何が起きたかわからなかった。
はるとの顔が、すぐそこにあった。
「え……」
おでこに、キス。
はるとは、いつものぼんやりした顔で、でも少しだけ真剣な目をして言った。
「真知子は、世界で一番可愛い女の子だよ」
心臓が止まるかと思った。
「は、はると、なに、急に」
「だって、あいつら間違ってる」
「どこが」
「全部」
即答だった。
「真知子はうるさいんじゃなくて、優しい。俺のことちゃんと見てくれてる。俺、真知子がいなかったら、たぶん色々忘れて死んでる」
「死なないでよ」
思わず笑ってしまう。
はるとは少し首を傾げた。
「俺、付き合うなら真知子がいい」
胸が、どくん、と大きく鳴る。
「どこに?って聞いた方がいいやつ?」
「今は意味わかって言ってる」
頬が熱い。
たぶん真っ赤だ。
「私、口うるさいよ?」
「知ってる」
「可愛げないって言われるよ?」
「世界で一番可愛い」
「……姉みたいじゃない?」
はるとは少し考えてから、にこっと笑った。
「姉じゃない。好きな人」
風が吹いて、桜の花びらが二人の間を通り過ぎる。
はるとはまだ、ちょっと頼りない。
たぶんこれからもぼんやりしてる。
でもその手が、そっと私の手を握った。
あったかい。
ああ、やっぱり。
放っておけない。
私は今、世界で一番幸せな女の子かもしれない。
帰り道、夕焼けがやけに赤かった。
さっきの出来事を思い出すたびに、真知子の胸はまだ落ち着かない。
おでこに触れた、あのやわらかい感触。
しばらく並んで歩いたあと、真知子は思い切って、はるとに聞いた。
「……そういえばさ」
「うん?」
「何でキスしたの?」
言った瞬間、自分で自分の顔が熱くなるのがわかる。
はるとは少し考える素振りをして、あっさり言った。
「びっくりしたら泣き止むかと思って」
真知子は足を止めた。
「……は?」
「小さい子とか、びっくりすると涙止まるでしょ?」
真顔だ。
一ミリも照れがない。
さっきのあの雰囲気はどこへ行ったのか。
「それでキスって発想になる?」
「うん。だめだった?」
首をかしげる。
本気でわかっていない顔。
真知子はしばらく黙ったあと、額を押さえた。
(天然って、怖い……)
ときめきを返してほしいわけじゃない。
でも、せめて少しくらい照れてほしい。
「普通はね、もっとこう……理由があるの」
「理由?」
「す、好きだから、とか」
はるとは目をぱちぱちさせたあと、頷いた。
「それもある」
「“も”って何よ」
「びっくりしてほしかったのと、好きだから」
今度は真知子が言葉を失う番だった。
天然は怖い。
予測不能で、心臓に悪い。
でも。
夕焼けの中で少しだけ照れたはるとの横顔を見て、
真知子は小さく息をつく。
(やっぱり、放っておけない)
怖いけど。
ずるいけど。
好きなんだから、仕方ない。




