あくまで
黒斗「ケイさん、面白い人だったなぁ。にしても、『契約』かぁ…。なんか面白そうなテーマだなぁ。僕もそれで一つ、書いてみるとしようかな?「才を得る」願いも叶うらしいし。」
『記憶。これは、1996年の9月頃の『事実』
エピソード1 太田恵梨香 富
ケイがなにやら、紙にペンを走らせている。
「皆さんは、叶えたい願いはありますか?富、権力、名声…実に色々な欲望を人は持ち、それは願いとなります。我々は、そのような願望を叶える手助けをしているのです。もし興味があれば、下記の地図から場所を確認して、是非一度いらっしゃって…うーむ…」
口に出しながら書いていたのに、急に手を止めて黙り込んでしまった。
そこへ、アイがコーヒーを持って奥からやってきた。
「…何してるの?」
「ああ、アイさんですか。いえ、なんとなく広告でも新しく書いてみようかと思ったのですが、どうにもしっくり来ませんし、そもそも不要ではないかと思いまして。」
「これ以上増えたらこっちも向こうも大変なんじゃないの?」
「確かにそうですね…よし、やめておきましょう。」
そう言って、ケイは紙を仕舞った。
「それがいいと思う。あ、コーヒー淹れたけど、いる?」
とアイが差し出したコーヒーを一瞥してケイは言った。
「…遠慮させていただきます。」
アイは怪訝な顔をして、
「いつもコーヒー飲んでるのに?」
と聞いた。
ケイはどうして私のコーヒーをいつも拒否するのだろう、とでも言いたげに。
「それとこれとは別です…自分の分は、自分で淹れるので放っておいてください。」
そう言うと、ケイは奥に入っていってしまった。
「遠慮しなくてもいいのに…」
そう言って、アイは彼女が淹れたコーヒーに口をつける。
「…今日の豆はあまりよくなかったみたい。」
要するに、不味かったが自分のせいではない、ということだ。
その時、事務所の扉が開いた。
パッとしない女性が、こちらを覗いている。
「こちら願望成就請負所『あくまで』、あなたの目的地に間違いはない?」
アイが尋ねた。定型文だ。
「はい。貼ってあったビラを見て来ました。」
「なるほど。取り敢えずそこにかけてもらって。」
「あ、はい。失礼します。」
その女性は、勧められるままソファに座った。
それに対面するように、アイも席を取った。
「それで、あなたの願いは何?」
「…名前とか聞かないんですか?」
「それが何か?」
「…いえ、何も。」
少しの間を置いて、その女性は言った。
「私の願いは、簡単に言えば…『お金が欲しい』ってことです。」
なるほど、実に世俗的な、そして単純な願いだ。
「なるほど、お金が欲しい、と…それは何故?」
そう言いながら、アイはメモを取っていた。
女性は言った。
「…恥ずかしながら、実は私、ずっと働けてないんです。皆に頼りっぱなしで…」
「なるほど…それはどんな事情で?」
アイは淡々と聞いた。
「それが…面接で落とされるのはいいとして、採用されてもすぐ失敗したり、馴染めなかったり、時間を間違えたり…どうしても辞めたくなる状況になるか、すぐクビになるかの二択で…正社員じゃなくてもパートでも、ってしてるのに…」
「なるほど、無能と。」
アイは完全に一刀両断した。
「ひどくないですか!?初対面ですよね!?」
と、当然の反応…なのか?これは。
…ともかく、アイは動じず、冷静に脅した。
「願い、叶えたいんですよね?」
「…はい。」
「色々考えないといけないし、要約しないとメモに収まらないから。」
アイは理由を言った。
「…はい。」
アイは聞いた。
「それで、どんな形態でお金が欲しいの?」
「まとめて貰えても、なくしたり盗まれたりしそうだし…定期的に振り込まれてる、とか?」
「なるほど。家には何人いる?構成は?」
アイは前のめりになって、しかし冷静に聞いた。
「えっと、家には自分と…猫が。」
猫…猫か。
「持ち家?借家?」
「借家です。ちょっと広めの。」
「なるほど…ちょっと呼んでくる。」
そう言って、アイは奥に行った。
「え、呼んでくるって誰を…」
と女性は問いかけたが、完全に無視してアイは行った。
少しの間があって、ケイがやってきた。
「これは失礼、飲み物一つ出せず。」
コーヒーを二つ持ってきたケイは、にこやかに言った。
「いえ、大丈夫です。」
ケイはコーヒーを一つ、女性に差し出した。
「遠慮はなしで結構ですよ。」
「はぁ。」
「アイさんから聞いたところによると…おっと失礼、自己紹介がまだでしたね。私はケイ。一応、この事務所の唯一の所属者です。」
ケイはそう挨拶をした。
「ケイさん、ですか…あれ、先程の方は?」
「ああ、彼女はアイさんと言いましてね。ただの居候です。多少手伝ってくれているのですが、コーヒーを淹れることに関しては何故か不得手な娘でしてね。ああ、話が逸れてしまいましたね。ところでお名前をお伺いしても?」
ケイは流れるように説明と質問をした。
そうしながらも、メモを手にとって確認しているのがなんともケイらしい。
「太田恵梨香と言います。」
「では太田さん。貴方の希望をまとめると、「毎月、十分なお金が手に入ること」これで合っていますね?」
「あ、はい。」
「アイさんのメモはやはり役に立ちますね。金額は…」
ケイはそう言うと、メモに何やら書き足しているようだ。
そして、手が止まった。
「これを毎月なら十分ですね?」
そう言って、ケイは太田にメモを差し出した。
「…あ、あの」
太田はおずおずと問おうとした。
ケイは、机から特別な紙を取り出して、記入を始めながら答えた。
「こんなにいい条件、何か裏があるんじゃないか、と?ご安心を。こちらに契約書がありますがね、ちゃんと対価はありますよ。よく読んでくださいね。」
そう言うと、ケイは太田にその紙を渡した。
太田はそれを読むなり、少し怪訝な表情になった。
「…つまり、私の願いが叶う代わりに、暫くの期間は見張られるってことですか?」
まあ、妥当な質問だ。
「まあ、そういうことと考えて頂いてよろしいです。ある種のアフターケアです。」
ケイは当然といった顔で答えた。
「プライバシーの侵害じゃないですか!」
太田は怒りながらも、やや引き気味に言った。願いは大事らしい。
「そう思うなら、契約をしなければいいんですよ。」
ケイに痛いところを突かれて、太田は強気な姿勢を崩した。
「…じゃあこの「代償」っていうのは?」
しかし、ケイはその問いを無視して言った。
「…太田さん。話をまとめますよ。貴方の願いは「定期的に不労所得を手に入れる」こと。前の方は「才を得る」ことを願い、その代償に「人としての生を放棄」することになりました。貴方の代償は…はは、それはまだ明かすことはできません。あくまで、私たちは貴方の願いを叶えるだけ。…それでも、契約しますか?」
太田は少しだけ考えて、呟いた。
「…する。」
「はい?何か言いましたか?」
「契約するから、何をすればいいの?」
ケイは少し笑って言った。
「流石、期待していましたよ。簡単なことです。血を一滴、そこの印に付けて下さい。貴方の血を、です。針か何か要りますか?」
「…お願いします。」
ケイは机から慣れた手つきで針を取り出し、渡した。
太田はそれを受け取り、少し躊躇した後にそれを指先に刺した。
美しい紅色が現れた。
太田はケイに確認し、契約書に血印を押した。
「これでいいんですね?」
「ええ…契約成立です。もうじき、最初の振り込みが発生するはずです。ですが忘れないで下さい。契約が成立した以上、例え代償がどんなものであっても不服を言わないこと。」
そう言いながら、ケイは絆創膏を太田に差し出した。
太田は受け取りながら、
「ええ、そのくらい、守ります。まあ、そちらも契約通りのことをしていたら、の話ですが。」
と言ってのけた。
が、ケイは全く動じずに
「この事務所は願望成就率100%ですよ?」
と言った。その通りだが。
「安心しました。では、失礼します。」
とだけ言って、太田は帰って行った。
「さて、この後、どうなるんでしょうねぇ…」
少しだけ間があって、アイが戻ってきた。
「あれ、もう帰ったの?あの人。」
「太田さんなら帰りましたよ。割とすぐに契約していきました。」
「何がいいんだろうね。お金なんてただの金属片か紙切れ、じゃなきゃ情報でしかないのに。」
「とことん君は無欲ですね。」
「ここに置いておいてもらいたいのはあるんだけど。」
「あいにくと、契約しなくてもそれはできますから。さて、今日はもう来なさそうですし、閉じてしまいますか?」
「そうしよ。外食でも行く?」
「いえ、余りもので済ませます。」
「ケチ。」
そう言いながらも、アイは大して不満げでもない顔で電気を落とした。
部屋は暗転した。
エピソード2 宮田由美 名声
ケイは座ってチラシを読んでいる。
「ああ、そういえば、今日はスーパーで特売の日でしたか。アイさんに電話しなければ。」
そう言うと、ケイは携帯電話を操作した。
すると、電話のコール音が二重に聞こえる。
「おや、近くから音が?」
ドアが開いた。
アイが客人を連れて帰ってきた。
「おやアイさん。今丁度連絡しようとしていたところでした。ところで後ろの方は?」
「お客さん。連絡って?」
「あのスーパーは今日が特売でしたから、散歩のついでにでも、買い出しに行って頂こうと思いまして。もう散歩は終わってしまったようですが。」
アイは少しの間ケイを見つめて言った。
「…何買えば?」
「話が早くて助かります。牛乳、卵、鶏むね肉、食パン、バナナ、菓子は必須ですね。あとは…必要だと思ったものを買っておいてもらえますか?」
「はいはい。」
アイは終始表情を変えずにまた出ていった。
「では、そこの貴方。…そう、貴方です。ここは「願望成就請負所『あくまで』」、目的地でお間違いないですか?」
アイに連れられてきたサングラスの女性は、少し戸惑いながらも肯定した。
「でしたら、どうぞそこにおかけ下さい。」
「…では、お言葉に甘えて。」
そう言うと、彼女はサングラスを取ってソファに座った。
ケイは外をチラリと見て言った。
「ところで、何故サングラスを?日差しなどは特段ないようですが。」
「…こんな、一見胡散臭いようなところに女優が入っていったなんて知れたら、色々と面倒ですので。主に事務所が。」
「なるほど。ところでお名前を伺っても?」
「宮田です。一応、駆け出しではありますが女優をさせていただいています。」
そう答えた。
ケイはメモに何か書きながら言った。
「宮田さんですね。では単刀直入にお聞きします。貴方の「願い」を教えてください。」
宮田はすこし引いて、
「いきなりですね。…有名になりたいです。」と答えた。
「なるほど、女優である以上、名前が知れているに越したことはない、と。」
「そういうことです。」
ケイはメモから顔を上げて問うた。
「どの程度の規模がお望みですか?」
「規模、と言いますと?」
「広さ、強さです。世界規模でか、日本中か、一都道府県か…また、皆知っているか、半数程度か、ニッチな層だけか…どの程度の規模がお望みですか?」
宮田は少し悩んで答えた。
「…日本中、情報を集めている人なら知っている程度がいいです。」
「なるほど…すると雑誌や新聞あたりがいいでしょうか…他に何かお望みはありますか?願いは一つまでしか聞けませんが、オプションはある程度決めることができますよ?」
宮田は逡巡の後、特にないと示した。
「そうですか。では一先ず、この契約書に目を通してください。」
そう言って、ケイは宮田に紙を手渡した。
宮田は内容を読み、
「なんとなく、わかりました。」と言った。
「では宮田さん、話をまとめますね。貴方の願いは、「有名になること」。規模は日本中、情報を集めている人なら知っている程度です。前の方は「不労所得を得る」ことを願い、その代償に「身近な人々を手放す」ことになりました。貴方の代償は…はは、それはまだ明かすことはできません。あくまで、私たちは貴方の願いを叶えるだけ。…それでも、契約しますか?」
宮田はケイの言葉を反芻するようにしてから言った。
「…私が差し出せばいいのは、その、「まだ明かせない代償」だけなんですか?」
「そうですね。まあ、正確に言えば、契約をするにあたって、契約書に血を付けて頂きますが、それだけです。」
「…少し、考える時間を頂いても?」
「構いませんよ。契約は慎重に行うものです。それに、まだ食事の時間には早いですから。」
少しの間の後、宮田が口を開いた。
「契約、してみます。」
「この契約は、解除することができません。それでも、よろしいですか?」
宮田は覚悟のできた顔をしていた。
「…ええ。」
「では、契約書に血を付けて頂きます。針か何か要りますか?」
「…お願いします。」
ケイは例によって机から針を取り出して手渡した。
宮田は、躊躇うことなく指先に針を刺した。
「…ここで合ってますか?」
「ええ。そこで間違いありません。」
それを聞いてから、宮田は指先を紙に押し付けた。
「これでいいんですね?」
「ええ…契約成立です。もうじき、貴方の名前は日本中で知られ始めます。ですが、忘れないで下さい。契約が成立した以上、例え代償がどんなものであっても、不服を言わないこと。」
「ええ。それでは、失礼します。」
宮田は荷物を持って帰っていった。
「…さて、この後、どうなるんでしょうねぇ…。おっと、意外ともういい時間ですね。今日はここまでにして、夕食でも作るとしましょう。それにしても…はは、出版社は忙しくなるんでしょうね。」
ケイは照明を落として鍵を掛けた。
エピソード3 若松健司 命
アイが本棚の中身を整えているところに、訪問者があった。
「すみませーん。」
アイは手を止め、向こうに聞こえるような声で言った。
「こちら「願望成就請負所『あくまで』」、目的地で間違いない?」
「間違いないはずです。」
「なら入って。鍵空いてるでしょ。」
ドアの開く音がして、
「あ、ほんとだ。」という間の抜けた声が聞こえた。
若い男性が入ってきた。
「取り敢えずそこにかけてもらって。」
「あ、はい。失礼します。」
彼はソファに座った。
アイは一人掛けのソファに座り、メモを手に取って聞いた。
「それで、あなたの願いは何?」
「…死んだ人を生き返らせることってできますか?」
アイは逡巡の後に答えた。
「…不可能ではない。」
「それが願いです!」
彼は勢いで立ち上がってしまった。
「…落ち着いて。」
彼の興奮は冷めなかった。
「ああ、誰を生き返らせてほしいのか言うのを忘れていましたね。その人は神田千智、僕の…恋人です。」
「ともかく、一旦座って。深呼吸して。」
「あ、これは失礼しました。」
彼はハッとしたようにして言って座った。
「ところで、神田さんは、何故死んだのですか?」
「…実は、それが知りたいというのもあるんです。千智が死んだのは、事故だって聞きました。ですが、あそこの親は千智に虐待をしていたとも聞いていて、その結果…というのも、否定できません。」
「なるほど。蘇生するなら、向こうが拒まないことも大事だけど、大丈夫なの?」
「大丈夫だと思います。千智だって人間ですし…それにもう、千智の親はいませんから。」
「…わかった。でも、契約ができる人は今外に出てるから、暫く待ってもらう。いい?」
「わかりました。」
アイはその答えに少し満足そうに頷くと、本棚の整理に戻った。
彼は大人しく座って携帯電話をいじっている。
少し経って、ケイが帰ってきた。
「ただいま戻りましたよ。ところでアイさん、彼はお客様ですか?」
「そ。メモあるから、よろしく。」
アイはそれだけ言って、部屋に戻っていった。
「あなたが、千智を生き返らせてくれる人ですか!?」
「ああ、どうか落ち着いてください。まずはこちらで状況を把握しますから。少しだけお時間頂いてもよろしいですか?」
ケイの冷静すぎる対応に、彼の興奮はすぐに落ち着いた。
「すみませんね。」
ケイはメモを手に取って、彼の席に座った。
「…なるほど。ところで、お名前をお伺いしても?」
「あ、若松健司です。」
ケイは机から紙を取り出していて、そこに書き込んでいた。
「若松さん、ですね。では、若松さんの願いをまとめると、「神田千智さんを生き返らせてほしい」ということでお間違いないですか?」
「はい。間違いないです。」
「では、こちらの契約書をお読みください。後腐れのないよう、落ち着いて、全てお読みくださいね。」
ケイはその紙を若松に渡した。
程なくして、若松は分かったと言った、
「では若松さん、話をまとめますね。貴方の願いは「故人、神田千智さんを生き返らせる」こと。前の方は「有名になる」ことを願い、その代償に「悪評までも有名になる」ことになりました。貴方の代償は…はは、それはまだ明かすことはできません。あくまで、私たちは貴方の願いを叶えるだけ。…それでも、契約しますか?」
「…します、契約。」
「…唐突な倒置法、嫌いじゃありませんよ。」
「それは...どうも?」
「では、契約書に血を付けて頂きます。少しで構いません。針か何か要りますか?」
「…お願いします。」
ケイはまた例のごとく机から針を取り出して手渡した。
若松は躊躇った後、指先に針を刺した。
「…ここで合ってます?」
「ええ。そこです。」
若松は指先を紙に押し付けた。
「…これで契約成立ですが…これは少し時間がかかりますので、しばらく普通に過ごしてお待ち下さい。」
「元よりそのつもりです。けど…待ちきれないですね。」
若松の去り際に、ケイは言った。
「生き返ることは、確約しますよ。」
そして、戸が閉じてから、彼は呟いた。
「生き返ることは、ですが。」
エピソード4 丸山千穂 救済?
アイがソファに座ってコーヒーを飲んでいたところに、一人の来客があった。
彼女—丸山は無言で歩いていく。
しかし、アイは丸山に反応しない。
丸山はとうとう、アイの目の前のソファに座った。
それでもアイは丸山に反応しない。
暫くして、ケイが帰ってきて言った。
「おや、なんだか昔見たような方がいらっしゃいますね。」
「え、怖いこと言わないでよ。」
「本当のことですよ。わかっていますからね、丸山千穂さん。」
丸山は目を見開いて、目が出るんじゃないかというような反応で
「なんでわかったの!?」と言ったが、アイは聞こえていないように会話を続けた。
「だから怖いんだって。」
「失敬。説明不足でしたね。しかし、話せば長くなってしまうような案件ですから…そうですね、暫く外出するか、上の部屋にでもいて頂けますか?」
アイは不服そうに、
「まあいいけど...後でちゃんと聞くからね。」と言って部屋に行った。
「さて、もう気にしなくていいですよ。それとも、他人に認識されるのが久しぶりで、会話の仕方を忘れてしまった訳では…ありませんよね?
「…失礼ですね。あなたのところの契約でこうなったんでしょう。」
「あなたが望んだ物です。」
「…確かにそうですし、あれに不服があるわけじゃありません。あまりいじられたりするのは好きじゃないだけです。」
「おっと、これは失敬。それで、本日はどのようなご用件で?」
「…あなたについて、聞きに来たんですよ。」
「…ほう。私について、ですか。」
「ええ。さっきまでは半信半疑だったけど...やっぱり、仮説は正しかったみたいです。」
「仮説、ですか。詳しくお聞かせいただいても?」
「あなたが人間ではないか、人間ではないものの制御下にいるのではないか、というものです。」
ケイは意外そうな顔をした。
「それは、何故そう思ったんですか?」
「…私に課せられた「代償」は、「人間から認識されなくなる」ことですから。私を認識できるということは、人間ではないか、少なくとも人間ではないものの影響下にあるということかと思って。」
ケイは少しこちらを見てから言った。
「…なるほど、理にかなってはいますね。しかし、もしそうだとして、何ができるんですか?」
「あなたは、契約することで他人の願いを叶えられるでしょう?つまり、その「願い」が、あなたを人間に戻すものだとしたら…あなたを救えるかもしれない。」
「あなたは、それでいいのですか?あなたは既に「死にかけの弟を救う」という願いを叶えています。代償に「人間から認識されなく」なってまで。そして本来…一人一回しか私の力で願いを叶えることはできません。何故だか分かりますか?」
「…バランスを保つため?」
ケイは表情を変えずに言った。
「いえ、違います。実を言えば、二回以上願いを叶えることはできるのですが、そうすることはおすすめしていません。何故なら、二回目以降は危険だからです。」
「危険、ですか?」
「ええ。勿論、願い方が下手であれば、一回目でも十分破滅に導かれます。しかし、そういう危険ではないのです。」
ハッとしたように、ケイは徐に時計を見た。
予定が入っていたようだ。
「おっとすみません、少し野暮用が入っているのを忘れていました。ですが、続きが気になるでしょう。」
そう言うと、ケイは机から一枚のお札を取り出し、丸山に渡した。
「これは?」
「契約の効果を「一時的に」無視できるようになるお札です。それを使って、アイさんにでも聞いてみてください。呼べば、すぐにでも出て来るはずです。では、しばし出てきますので。」
そう言うと、ケイは薄い上着を羽織り、手荷物を持ってどこかへ行ってしまった。
丸山は、暫くお札を見つめていた。
そして、意を決したを見て、声を上げた。
「す、すみませーん!」
「こちら「願望成就請負所『あくまで』」、あなたの目的地に間違いはない?」
アイはそう言いながら入ってきた。
「あの…私、先ほどケイさんが、言っていた…」
「…なんで今度は見えてる訳?またケイの悪戯じゃなかったの?」
「えっと、このお札を頂いて…」
差し出されたお札をよく見て、アイは言った。
「ああ、なるほど。あなたも、契約で何かを失ったクチってことね。」
「あ、はい。ケイさんが言うには、私の「代償」は「人間から認識されなくなる」ことらしくて…」
「なるほどね。それで、何の用?」
「え?」
「ここにまた来た理由。よっぽどじゃ無いと、ここには戻ってこれないはず。あ、私は「普通の」人間だから、前に来た人のことなんてさっぱりだから。」
「…ケイさんが、何か、悪いものに憑かれているような気がして。」
「悪いものね…」
「あと、さっき思ったんですが…ケイさん、もしかして…」
「ああ、人間じゃないんじゃないかって?」
丸山は驚いた。
「どうしてそれを?」
「だって、あなたが言ったんだもの。「人間から」認識されなくなるって。」
「…じゃあ、貴方なら、何か知っていますか?ケイさんが、何者なのか。」
「何者か、ね…」
呟いた後、アイは少し考え、指差して言った。
「そこの置物。あれ、どう思う?」
「置物、ですか?そうですね…なんか、少し怖いですね。悪魔みたい。」
「そういうこと。」
「え?」
丸山は、上手く理解できていない様子だった。
「だから、そういうこと。」
「あの、仰る意味がわからないんですが…」
「一から千まで説明しないとダメ?」
「なんか多くないですか?」
それは思った。
一呼吸置いて、アイは言った。
「ケイは、そういう存在と契約しているから。」
「…はい?」
「非科学的だけど、説明がつくでしょ?願いがなんでも叶って、代償を支払わなければいけないなんて、悪魔でもいれば全て辻褄が合う。それとも何か違ってる?体験者さん?」
「…いえ。でも、それなら逆に都合がいいくらいかも。」
「と、言うと?」
「何でも、契約すれば叶うんですよね?だったら、私が消えたっていいから、ケイさんを救いたい。」
「なんで、そんなにケイのことを?好きなの?」
と、アイは至極真面目に聞いた。
「好き、かと言われれば絶対に違うんですが…そもそも、どうせ誰からも無視されるんですから、もう私は消えているのと同じです。それならせめて、人の役に立って消えたい。ケイさんなら、救えると思ったんです。傲慢かもしれませんが。」
「悪くない。けど、それは難しいと思う。」
「どうしてですか?」
「…言わない、って言ったら?」
「そしたら、ケイさんに直接聞くしかないですね。」
「なら、言わないことにする。適当に寛いでて。」
そう言うと、アイは机の上の書類を勝手に整理したり、要らないチラシを捨てたりしていた。
少しして、アイは作業を止めずに聞いた。
「…あなたは、怖くないの?」
「え?」
「もし、ケイがちょっと特殊なだけの人間だったら、って。怖くないの?」
「どうして、それが怖いって思うんですか?」
「もしそうだったら、「契約」がもたらすのは、貴方の「代償」だけだから。」
「…いえ、そもそも、代償というのは、代わりに差し出すものですから。何も起こらない契約で取られるような代償なんて、たかが知れています。」
「…だといいんだけど。」
少しの間があって、アイの動きが止まった。
数瞬あって、アイは振り返らずに言った。
「ここは「願望成就請負所『あくまで』」、あなたの目的地に、本当に間違いはない?」
「どうしたんですか、急に。」
「本当に、間違いはない?」
「…はい。あくまで、私はここで、ケイさんを救いたいです。」
「…もうすぐ帰ってくるとは思うから、大人しくそこにいて。」
アイは立ち上がってどこかへ行こうとした。
「アイさんは、どうするんですか?」
「…少し、仮眠でもと思って。」
そう言うと、アイは戸から部屋を出た。
少しして、ケイが帰ってきた。
「おや、まだいらっしゃったんですか。」
そう言いながら、ケイは机に荷物を置いた。
「はい。それに、お陰様で心は決まりましたから。」
「しかし、あなたのそれは私がそれを受け入れることが前提だ。違いますか?」
ケイは席に座って、紙に何か書いていた。
「あ…」
「ですが…私も少し考えてみたんです。私が、本当に望んでいる結果を。…私は、もしかしたら、現状を変えたいのではないか。もしかしたら、貴方の言う「救い」が、名目はどうあれ、私の望む結果を生むのではないか、と。」
「それって…」
「そして私は一つの結論を出しました。今すぐに、貴方の言うように変わることはできません。」
「あ…そう、ですよね。やっぱり…」
「ですが、私は変わることにしました。」
「…え?それってどういう…」
「すぐに変わるのではなく…一歩ずつ変わろうと。もし貴方が、私が変わることを『望み続けるのなら』その度に、私は少しずつでも変わろうと思ったのです。」
「それって…」
「はい。契約を、私は拒みません。後は貴方次第、ですよ。」
ケイは契約書を丸山に渡したが、丸山は目を通すことすらなくそれを置き、勢いよく言った。
「します!私、契約します!」
「では丸山さん、話をまとめますね。貴方の願いは、「貴方が望み続ける限り、『私』が貴方の望む方に、少しずつ変わる」こと。前の方は、「故人の蘇生」を願い、その代償に、「もう一度、今度は目の前で死なれる」ことになりました。貴方の代償は…はは、それはまだ明かすことはできません。あくまで、私たちは貴方の願いを叶えるだけ。…それでも、契約しますか?」
丸山は力強く肯定した。
「では、契約書に血を付けて頂きます。少しで構いません。針か何か…」
「お願いします!」
ケイは、例によって例のごとく、机から針を取り出して手渡した。
丸山は、最早一切の躊躇いなく指先に針を刺して、
「…ここで合ってますよね?」と確認した。
「ええ。そこですよ。」
丸山は、指先を紙に強く押し付けた。
「これで契約成立です。…しかし全く、運命というのは残酷だ。そうは思いませんか?」
「え?」
丸山の表情が、安堵から一気に怪訝になった。
「契約は、「貴方が望み続ける限り」私は変わるというものでした。しかし、貴方が代償に失うのは、まさにその望み。貴方は、これから私について忘れ、望みについて忘れ…契約についても忘れる。」
「そんなのって…」
「契約は、もう成立しました。戻ることはできません。」
丸山は唖然としている。
「嘘…でしょ。」
「契約において、私は嘘を言ったことはありませんよ。」
「痛っ!」
そう叫んで、丸山は頭を抑えてうずくまった。
「ああ、記憶の改竄ともなると、流石に痛みなどはありますか。アイさん、すみませんが、お願いできますか?」
戸のすぐ前にいたアイが入ってきた。
「外の適当なところに連れて行けって?」
「はい。お願いできますか?」
貼られたような笑みでケイはそう言った。
「…いいけど。なかなかに非道いことするね。」
ケイは大仰に礼をして言った。
「最大級の賛辞、痛み入ります。」
「褒めてない。」
アイはそう冷たく言うと、丸山を抱えて、ふと言った。
「私にも、願いが一つ、できたかも。」
「季語がありませんよ。」
「一句読んだわけじゃない。」
「それでは…その願いとは何でしょうか?」
「普通に、欲が出たってこと。ケイが、隠しているケイ自身と向き合って欲しい、って。でも、別に叶えて欲しいわけじゃない。」
ケイは心の底から、少し困惑して聞いた。
「それは…どういうことですか?」
「…願いっていうのは、叶うか叶わないかわからないからこそ、美しいんだから。」
そう言うと、アイはさっさと丸山を連れていってしまった。
「…そうきましたか。それも「あり」ですね。」
ケイは、部屋の悪魔像に向かって歩いて来た。
そして、呟くように、しかしはっきりと、
「…ここは「願望成就請負所『あくまで』」。「悪魔の力で」客人の願いを、客人の大切な何かと引き換えに叶える場所です。「飽くまで」客人は願いが叶い、「悪魔で」客人は何かを失う。希望と絶望、実に美しい。そう、思いませんか?」
ケイは、それ越しに私を見つめて言った。
ああ、正にその通りだ。
然し、一つ訂正したい。私は悪魔なぞではなく、神だと。
』
“あくまで”これはフィクションですが…「事実」ですよ。




