5 白い香り
「ああっ!」
「どうした、仄香! この後に及んで、まだ何か見落としがあるとか?」
「百円……取り立て損ねた……」
「……さすがに今、その発言は、この先の付き合いを考えたくなるな……」
「なんでよ! 金額の多寡じゃないのよ!」
「いやまあ、言いたい事は分かるんだけどね……。結局、『十戒』を完全には解明出来なかったけど、良いのかい、仄香?」
「良いのよ。あれは……魔香はアタシの目指すものじゃないもの。でも、おかげで人生の目標がハッキリしたわ」
「目標? 薫子さんみたいな調香師になりたいってのとは違うの?」
「ええ。いつかはおばあさまみたいな調香師になりたいっていう夢だったけど、もっと違うモノが見えたの。別に、おばあさまみたいにってのも諦めるワケじゃないけど」
「それは?」
「白い香り。パフューム・ド・ブラン。退魔フェロモンじゃなくって、本当の白い香り。魔香とか邪香とか、そんな後ろ向きのものじゃない、人を幸せにする香り」
「それって、今までとは違うの?」
「うーん、違うという事はハッキリしてるんだけど、具体的にはまだまだね。でも、一つだけ、確実な白い香りをアタシは知っているわ」
「へえ。なら、いつもみたいに、それを解析してレシピにすれば……」
「ダメよ。それはアタシだけの白い香りだから。他の人には意味が無いの」
「仄香だけの? どういう事?」
「それはね……」
そう言って、仄香は郁に抱き着いた。そして首筋に顔を埋め、恋人となった少年の匂いを鼻腔いっぱいに吸い込む。
「アタシの白い香りは、郁の匂いだから」
「……ボクがどんな匂いをしてるのか、教えてほしいよ」
「うふふ、残念。これはアタシだけの香り。でも、郁になら、郁にとっての白い香りを教えてあげる事ができるわ」
それが何を意味するのか察したらしい郁は、身体を離した仄香を見つめて薄く目を閉じた。
仄香に向って、想い人の唇と香りが近付いてくる。
「大好きだよ。ボクの可愛い調香師さん」
「あ、今の呼び方、良いわね。もう一回言って?」
唇同士が触れ合うような距離で、二人は甘い言葉を交わし合う。
「やだよ。こういうのは、ここぞってときに言うのがいいんだから」
「……本当は?」
「恥ずかしいから」
「ふふっ、ホント、郁らしい」
そう言って、仄香はもう一度目をつむった。
今度は郁も、何も言わない。恋人となった愛しい幼馴染みの頬に手を添えて、自分の唇と少女のそれを重ね合わせた。
了