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【完結】フェロモンの十戒  作者: 紫陽花
第八章 フェロモンの十戒
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4 最後の悪徳

 戒めの一 唯一の神を崇めよ

 戒めの二 汝、偶像を作るなかれ

 戒めの三 汝、神名をみだりに唱えるなかれ

 戒めの四 汝、安息日を聖なる日とせよ

 戒めの五 汝の父と母を敬え

 戒めの六 汝、殺すなかれ

 戒めの七 汝、姦淫するなかれ

 戒めの八 汝、盗むなかれ

 戒めの九 汝、偽証するなかれ

 戒めの十 汝、隣人の物を欲するなかれ


 人気のない深夜の学校で体育館へ向かう廊下を駆けながら、仄香は郁から『十戒』の悪徳と解釈について、改めて聞かされていた。

 仄香には保健室から続く『十戒』の黒い香りが視えるが、同時に郁の話も聞いているので、脳が中々忙しい。


「戒めの六から十は説明するまでもないよね。四の安息日も、今日って事が分かれば良い」

「一から三は、アタシでも分かるわ。悪魔を崇めて、偶像に祈って、サタンとかルシファーとか悪魔の名前を呼べば良いんでしょ?」

「うん。細かいところは正直、ボクも分からないけど、大筋は合っていると思う。問題は『戒めの五:汝の父と母を敬え』だね。これに反する悪徳は、ちょっと想像したくない」

「なんでよ。親に反抗すれば良いんじゃないの?」

「それは普通の事だよ。悪徳ってほどの事じゃない。ボクらの世代が何て呼ばれてるのか、知ってる?」

「何よ?」

「反抗期」

「そりゃ……、そうだけどさ。じゃあ、何が正解なのよ」

「極端な事を言えば、……親殺し」

「まさか……、いくら何でも、自分の欲望の為に親を……その……、殺す?」

「極端な話だよ。そもそも『戒めの五』は、『十戒』の条文の中でも異質なんだ。戒めの一から四は神との相対し方を示し、六から十は人としての禁忌を示している。でも、『戒めの五』だけは、親との関わりを示しているんだ。もちろん、宗教的戒律としてなら問題は無いんだけど、魔香としての『十戒』と考えると、六から十の禁忌なんて比べ物にならない悪徳になるような気がするんだ」


 郁の言う通り、親を殺す、あるいはそれに相当する行為を成すのだとすれば、確かにそれは人の道を踏み外すものになるだろう。果たして、ただの高校生に過ぎない潤一が、そんな事をするだろうか。

 仄香の知る潤一は瑞希の元カレであり、そして女の敵である。

 クラスメイトの瑞希からは、彼女が潤一と付き合っていた頃、同時に何人もの女子生徒とも付き合っていたという話を聞いた。パッと見はカッコ良くて、学校でも人気のイケメン男子だが、裏では泣いていた女子生徒も多いらしい。瑞希もその一人であり、そして上手く関係を切る事が出来ず、仄香の香水によってなんとか撃退したのである。

 とはいえ、潤一の本質は、女にだらしのないだけの男である。ウサギを何匹も殺しまわったり、元カノの身体を無理矢理に暴いたりするような少年では無かったはずだ。


「『十戒』の香りを長く吸っていると、落ち着かなくなるって言ってたよね、仄香?」

「うん。曽田さんも、麻薬に似た酩酊成分が入ってたって言ってたし」

「でも、それだけじゃなくって、『十戒』って何かこう……ヒトを作り変えるような、心を狂わすような、そんな感じがするんだ。悪徳って、やっぱりそんな簡単な事じゃないと思うんだよ」

「瑞希を泣かせたのよ? 多分、アイツは元々そういうヤツだったのよ」


 そうこう言っているうちに、仄香と郁は体育館への渡り廊下まで来ていた。昼間であれば、右手に校庭が、左手に裏山が見える。だが、校舎と体育館を繋ぐ屋根だけの渡り廊下は、左右を見回しても灯一つ見えない闇が広がっていた。

 そのせいで、渡り廊下の向こうに見える体育館が、何か異界染みているように見える。それは、周囲に感じる『十戒』の香りのせいだけではないのだろう。


「開けるよ」

「うん……」


 体育館の重々しい扉に手をかけた郁は、力一杯に開いた。ガラガラと重い音を立てて、異界と現世を繋ぐ扉を開ける。


「うっぷ……」

「これは……、なかなかキツイ匂いだな」


 どれほど芳しい香りでも、濃度が高ければ刺激にしかならない。

 押し寄せる真っ黒な香りに、仄香の嗅覚は悲鳴を上げそうになった。隣の郁も、あまりの匂いに頭をフラフラとさせている。

 その香りは既に、(にお)いというよりは(にお)いと呼ぶべきものであった。


「遅かったな、香水女!」


 と、突然、舞台の方から男子の声が聞こえてきた。黒く染まった視界を振り払って、仄香は声の聞こえた舞台へ目をやる。


「オレの勝ちだ!」


 いったい何が勝ちだというのか、舞台の上で振り返った潤一は、そう言って逆手に握っていた大ぶりなナイフを放り出した。カラカラと金属的な音を立てて、ナイフが舞台の上を転がる。

 彼の前には、不格好ながらも禍々しい像が立っていた。高さは大体、潤一の腰上くらいである。それは悪魔の像か、それとも邪神像なのだろうか。おそらく、今しがた放り出したナイフで、潤一自身が彫ったのだろう。周りには、それと思しき木クズが散乱している。

 潤一の様子は、明らかに異常であった。その表情は凶相を示し、口角からは涎が垂れている。女子生徒から黄色い声を浴びせられていた爽やかな男子生徒と、とても同一人物とは思えない。

 あるいは、さっき仄香が口にしたように、これが彼の本性だったのだろうか。口調までもが、乱暴な言葉遣いになっている。『十戒』によって変わってしまったのか、それとも元々彼は『十戒』を使うに相応しい人間だったのか。

 潤一の口ぶりでは、仄香たちが儀式の場へ来る事を知っていたようである。そして、それを阻止しようとしている事も。

 事ここに至れば、あの黒い女が黒幕であるのは疑いようがない。『十戒』を用意したのも、潤一に使い方を指南したのも、そして仄香たちがここへ来る事を教えたのも、馥山佳苗に違いない。

 なぜそんな事をしたのかは未だに分からない。だが、目の前で悪魔召喚の儀式が行なわれるのなら、絶対に阻止しないといけない。

 それは、単純に悪い事はダメという話ではない。それがどんなものであれ、人に害を与える超常的な力を、協和潤一のような人間にもたらしてはいけないと思うからである。

 ただでさえ魔香としての『十戒』は、単体で使用しても周囲の人間に不幸をまき散らす。ましてや悪徳を成して平気な人間が悪魔を呼び出して願いを叶えるとなれば、それはどれほどの災厄となるのだろうか。


「郁、見て! 『十戒』のケースが二つ!」

「一つは薫子さんが手に入れて、仄香の工房から盗まれたヤツだ。もう一つは多分、センパイが持ってたんだろうね。でも……条文が全部光ってる」


 邪神像の前に置かれた二つの『十戒』は、表面にヘブライ語で書かれた条文が光っているのが見える。光っているのは、それぞれ戒めの一から五と、戒めの六から十まで。どうやら潤一は、全ての悪徳を積んで準備が整ったようである。

 像を彫るのにそれなりの体力を使ったのか、潤一はヨロヨロと立ち上がった。そして、自ら掘り出した邪神像に向かって朗々たる声で語りかける。


「悪魔王サタンよ! 我は汝に(こいねが)う! 供物に相応しき力を、我に与えよ!」


 それは、何かを読み上げるかのような詠唱であった。潤一はこれまでの人生で、オカルトなど一切の関わりが無かっただろう。なのに、悪魔を呼ぶ為の詠唱は、辿々しいにせよ迷いがない。

 誰かに教えてもらわない限り、知るはずのない言葉だ。

 そして、潤一の叫んだ悪魔召喚の言葉と共に、世界が歪んだ。


「なに……あれ……?」


 仄香は、自分の見ているものが信じられなかった。

 記憶にある舞台の上には、スポットライトなどの照明器具がズラリとならんでいたはずである。だが、それらは光のみを残して靄の奥に消え、壁と天井に区切られているはずの舞台は、その向こうにさらなる広がりを見せていた。


「向こう側……。彼岸……なのか?」


 仄香の隣で郁が呟いた。どうやら、自分だけが幻を見ているわけではないようである。

 そして、変化は舞台だけではなかった。

 邪神像の前で、その向こう側に現れた虚空に視線を向けていた潤一は、身体をブルブルと震わせていた。それは、身体の内側から溢れる何かを抑え付けられなくなったかのように見える。まるで、解放をテーマにした前衛舞踏のようだ。


「そうか! 『戒めの五:汝の父母を敬え』か! 意味がやっと分かった!」

「どういうコト?」

「父母を敬えというのは、生まれを大事にするって事なんだ!」

「それって、当たり前じゃないの?」

「だからだよ。人として当たり前の事に逆らう。何をやったのかは分からないし、考えたくもないけど、あいつは……潤一は、親との繋がりを捨てたんだ……」

「捨てたら……、どうなるの?」

「親を捨てる。人としてのルーツを断ち切る。つまり、あいつは人である事を捨てたんだ! それがきっと、『十戒』を発動させる最後の悪徳なんだっ!」

「あれは……じゃあ、アタシの気のせいじゃないのね? あれは……アイツは……」


 舞台上の潤一の姿が、段々と人間離れしたものに変わっていった。皮膚は青黒く濁り、口は耳まで裂け、手指には禍々しい爪が伸びている。


「悪魔に……」

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