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【完結】フェロモンの十戒  作者: 紫陽花
第八章 フェロモンの十戒
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2 動き始めた儀式

「……郁?!」


 携帯電話の小さな液晶画面には、仄香の幼馴染みの名前が表示されていた。

 あまりのタイミングに、仄香は自分の気持ちが時空を超越して郁に届いたのかと思ってしまう。もちろん、そんな事はあるわけない。

 携帯電話の画面を見て飛び起きた仄香は、思わず正座をしてしまった。そして誰が見ているわけでもないのに、手櫛で寝乱れた髪を整える。

 呼び出し音を鳴らし続ける古いタイプの携帯電話を手にしたまま、仄香は大きく深呼吸した。そして、意を決したように通話ボタンを押す。


「も……もしもひ、郁?!」


 心を落ち着かせてから通話を始めたのに、仄香はいきなり噛んでしまった。恥ずかしさに顔が熱くなってくる。

 だが、電話の向こうにいる幼馴染みは、良い方に勘違いしてくれたようである。


『ゴメン、仄香。もう寝てた?』

「う、ううん、さっきベッドに入って、うつらうつらしてたとこ。大丈夫ダイジョブ。いったいどーしたの、こんな夜中に?」

『急で悪いんだけどさ、今、家を出て来られるかい?』

「……え、え? 今?」

『そう、それも、出来るだけ早く』


 もしかして、郁も会いたいと思ってくれていたのだろうか。それも、こんな夜中に、待ちきれないといった風に。

 仄香は、自分の心が湧き立つのが抑えられなかった。何か熱いモノが身体を駆け巡り、体温が一度は上がった気がする。

 会いたい。

 郁に会いたい。

 しかも、郁の方から、こんな夜中に会えないかと言ってきている。

 仄香の方に、断る理由は無かった。チラリと壁に掛けられたよそ行きのワンピースを見やる。


「わ、分かった! すぐに行くね! 用意するから、ちょっと待ってて! 郁は今、どこにいるの?」

『学校に向かってるところだよ』

「……学校?」


 と、そこで仄香は違和感を覚えた。電話越しに聞こえる幼馴染みの声は、自分と違って随分と冷めたものではないだろうか。


「ええと……郁?」

『それから、いつもの赤いポーチは必ず持ってきてくれ。何が起こるか分からないからね』

「何が……って、何があるの?」

『今夜、『十戒』を使った悪魔召喚の儀式が行なわれる。いや、もしかしたら、もう始まってるかもしれない』


 期待に沸き上がった仄香の心と対照的に、幼馴染みの声は冷え冷えとしていた。


「き、急に何よ! ワケ分かんない!」

『ゴメン、仄香。これは夢じゃないんだ。合流したら、ちゃんと話すよ。ボクの方が先に学校に着くと思うけど、真夜中だから気をつけて。じゃ』


 そう言って、郁の方から通話が一方的に切られてしまった。どうやら相当慌てていたらしいのは分かった。だが、それ以外の事が何一つ分からない。

 なぜ、悪魔召喚の儀式が今夜だと知ったのか。

 なぜ、儀式の場が学校だと知ったのか。

 犯人が分かったのだろうか。

 これらの事を、誰から聞いたのだろうか。

 何一つとして、分からない。


「ぬがあああっ! 何よ! 何なのよ!」


 携帯電話を握りしめながら、仄香は枕に向かって全力で拳を振り下ろした。乙女らしからぬ声を上げて、何度も枕を叩きまくる。


「ふーっ、ふーっ、……ふう」


 深呼吸して落ち着きを取り戻した仄香は、身体から剥ぎ取るように寝巻きを脱ぎ捨てた。そして、壁に掛けてあったよそ行きのワンピースを手にとって袖を通す。続けて鏡台に腰掛け、簡単にメイクを施すと、明日の為に用意していた香水を手首と胸元に吹きかけた。

 それは、乙女の意地とでもいうものなのかもしれない。

 仄香が今身に付けているのは、明日、郁と会う為に用意したものである。

 郁のいう通り、本当に悪魔召喚の儀式が行なわれるのなら、確かに、この後は何が起こるか分からない。普通に考えれば、もっと活動的な格好でも良いはずである。

 一応、仄香にも言い分はある。出来るだけ早く家を出るのなら、すでに用意していたものを使えば良い。実際、着替えもメイクも、そして香水も迷う事なく身に付けられた。

 姿見に自分の全身を写し、仄香は身支度を確かめた。くるりと一回転すると、ワンピースのフレアー状のスカート部分がふわりと広がる。

 おしゃれは乙女の戦闘服とは、誰が言った言葉であったか。

 そして仄香は、両手で頬をパンと叩いた。


「……よし」


 意を決して、仄香は部屋を出た。ただし、母親の継美に見つからないよう、静かに、ゆっくりと。


   *


「郁!」


 ウサギ小屋の事件の時のように、仄香は全力で自転車を漕いできた。そして、深夜にも関わらず全力でブレーキをかけて、けたたましいスキール音を響かせる。


「やあ、仄香。早かった、ね……」

「……何よ」


 自転車のスタンドを立て、可愛らしいワンピースを翻して駆け寄った仄香を見た郁は、言葉を失ったように固まっていた。何かを言いたそうに口をパクパクさせていたが、結局は何も言わずに学校の方へ視線を向ける。

 郁のこの反応は、昼の光の中で見たかったと仄香は思う。だが、今はこれだけで満足する事にした。


「で? 何で今夜なの?」


 不機嫌な気分を隠そうともせずに、仄香は郁に問いかけた。


「『十戒』の中に安息日ってのがあったの、仄香は覚えてる?」

「うん、日曜日は聖なる日なんで休みましょう、とかそういうのでしょ? ……じゃなくて! 何で今夜だって分かったの?! 誰から聞いたの?! どーして学校?!」


 仄香は、ここへ来るまで全速力で自転車を漕いで来たのだが、何も考えずに来た訳ではない。いくつもの疑問が、頭の中をぐるぐると回った状態で来たのだ。畳みかけるように問いかけたくなるのも無理はない。


「おお落ち着いて、仄香。せっかくの可愛らしい格好が台無しだよ」

「……んなっ!」


 だが、いきなりストレートに褒められて、仄香は勢いを削がれてしまった。仰け反るような体勢のまま、言葉が出てこない。


「落ち着いたかい?」

「……大丈夫よ。落ち着いたわよ。まったくもう……」


 工房の鍵が壊されて『十戒』を盗まれた夜もそうであったが、仄香が慌てたり落ち着きを失ったりした時、幼馴染みはいつも、最適な言葉や態度で落ち着きを取り戻させてくれる。

 それは、自分の事を理解してくれている証だと仄香は思う。

 それが、たまらなく嬉しい。

 だが、ニヤケそうになる自分の顔を安易に見られるのは癪に障る。これは、好き嫌いとは別の話だ。せいぜい不機嫌な態度を取ったまま、仄香は問いを重ねた。


「それで?」

「さっきまで、馥山センパイとフェミレスで話してたんだよ。センパイに誘われて、『十戒』の秘密を聞くために……、って、なんでポーチに手を入れてるの?!」

「何でもないわよ。続けて」

「ったく、もう……。『十戒』はヘブライ語で書かれただろう? ユダヤ教の安息日は、日曜日じゃなくて土曜日なんだ。あと、学校で儀式が行われるというのはボクらも予想した通りで、馥山センパイからずばり聞いたんだ」

「つまり、『十戒』で悪魔召喚の儀式を行なおうとしているセンパイは、それを止める為に私たちを呼んだ、という事?」

「あー、まあ、そうなるね」

「ワケ分かんないんだけど。結局、センパイは何がしたいの?」

「それは、僕も知りたいと思ってる」


 仄香は、喫茶店で佳苗が目の前から消えて以降、彼女の姿を見ていない。

 記憶に残る馥山佳苗は、訳知り顔で意味ありげに微笑んでいる。市松人形のように整った顔は、素直に美人だと思う。だが、晴れやかな美人ではない。なんとなく黄昏時を思い出させる、退廃的な美しさだ。だからこそ、仄香は喫茶店で彼女の年齢を尋ねてしまった。見た目と雰囲気に騙されている。そんな気がしたからである。


「そう……。分かった。それじゃ、行きましょ」

「ちょ……待った待った。学校のどこを探せばいいのか、仄香は分かってるの? 確実なのは、学校の中って事だけだよ?」

「大丈夫よ。郁が言った事をするだけだから」

「ボクが?」


 仄香は、自分の鼻を指差して、自信満々に答えた。


「警察犬ごっこ」

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