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【完結】フェロモンの十戒  作者: 紫陽花
第五章 悪徳の栄え
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5 乙女の悩み

「郁くんとはどういう関係なんです?」

「……はい?」


 昨夜、仄香は結局、曽田からの電話に出た。しかし、予想に反して、丁寧な口調で喋る年上の青年は『十戒』の件について何も聞かず、ただ仄香を食事に誘ってきただけであった。

 気分転換もしたかった仄香は、ウサギ惨殺事件の翌日、前回と同じ高級レストランで曽田と夕食を共にしていた。今度は郁を伴わず、仄香一人である。なんとなく言いたく無かったので、郁には曽田と食事をする事も話していない。


「最初に言った通りですよ。とても頼りになる、……タダの幼馴染みです」


 その時に見えた仄香の表情に、曽田は興味を引かれた。

 二人の関係は、どう見ても男女のそれだ。しかし、仄香にしろ郁にしろ、お互いに付き合っているわけではないという。

 だが、付き合いが長すぎてお互いに踏み切れない、という単純な関係でもないようだ。


「それじゃあ、仄香さんは、郁くんのコトをどう思っているんです?」

「随分と食い下がるんですね。アタシのことを好きになっちゃったとか?」

「そうですね。確かに仄香さんは、可愛らしくて魅力的だ」

「そ……、そういう冗談は真顔で言わないでください。本気にしちゃいそうです」


 これがオトナの余裕なのだろうか。面と向かって女の子を褒めるなど、同年代の男子にはあり得ない行為だ。


「最初に冗談を飛ばしたのは仄香さんですよ。でも、僕は冗談を言ったつもりはありません。あなたが魅力的なのは本当です。学校では、結構な数の男子なんかに言い寄られているんじゃないんですか?」

「そぉんなことないですよぉ……」


 これは本当の話である。生まれてこのかた、自分がモテたことなど一度も無い。地味な容姿を好んでしているせいもあるが、クラスの男子とは普通に話したりするものの、良い雰囲気になったことなど皆無なのだ。


「ふむ……。確かに仄香さんは可愛らしいし、恋人がいてもおかしくは無いと思いますよ。でも、あなたには郁くんがいるでしょう?」

「だから、郁とはタダの幼馴染みで、付き合っているわけではないんですってば」

「傍から見るとそうは思えませんよ。あなたに声をかけようとした男子も、きっと郁くんの存在があって引いてしまったんでしょうね」

「……それって、他の男子がアタシに言い寄ってくるのを、郁が邪魔してたってコトですか?」


 もしそうなら、幼馴染みに対する評価を改めなくてはいけなくなる。いけなくなるが、仄香には信じられない。


「それも違います。あなたと郁くんの間には、隙が全くないんです。他の人間が入る余地が見えない。僕も割り込んでみようとしましたが、ちょっと無理のようですね」

「そ、それって……、ホントに、アタシと付き合いたいってコトですか?」

「そうですよ。仄香さんさえ良ければ」


 なんとサラッとした告白だろうか。あまりにも自然で照れの無い、まっすぐな誘い。郁のことが無ければ、素直に応じてしまいそうだ。

 頬をほんのりと赤らめつつ、仄香は年上の青年から目を逸らした。


「でも、あなたたちはお互いしか見ていない」

「そんなこと……!」

「ありますよ。自覚があるのかどうかは分かりませんが、あなたたちは今の距離で隙間が無い。先日、友人が結婚したんですが、雰囲気がとてもよく似ています」


 新婚カップルなど、入り込む隙間が無い関係の最たるものであろう。だが、自分と郁がそんな関係に近いとは思えない。


「とはいえ、ちょっと不思議な関係ですよね。触れ合っているわけではない。言葉を交わしているわけでもない。でも、二人の間には隙がない。そう、とても分厚いガラス越しに、見つめ合っているような感じです」


 遠くから見れば、二人の距離は離れている。しかし、近くに来ると、二人はピッタリとガラス越しに向かい合って、余人の入る隙間が無いのだ。

 では、二人を隔てる見えない壁とは何なのであろうか。


「郁くんのコトをどう思っているんです?」


 全く同じ文句で曽田は聞いてきた。しかし、その声には興味本位ではない真面目な気持ちが加えられている。そう感じた仄香は、曽田の問いかけを冗談として聞き流すことが出来なかった。


「アタシは……、郁のことが好きです。昔からずっと、郁のことが好きなんです」

「郁くんも同じ気持ちだと思いますよ。でも、それじゃあ、なんであなたたちはタダの幼馴染みなんです?」

「それは……、昔、中学生の頃、アタシは郁に振られちゃったんです。それはもう、こっぴどく……」

「え?」


 ナイフとフォークを握りしめながら、仄香は痛々しい笑顔を曽田に向けた。


「仄香さんが、郁くんに告白したんですか?」

「あ……いえ、ちょっと違います。郁に、告白させてしまったんです……。その……、香水を使って……」

「それは……、でも、自分の体香に合わせて、より魅力的な香りを身に着けたということじゃないんですか? あなたの場合はとても強く香水の力が働いたんでしょうけど、誰でも少なからずやっている事でしょう?」


 しかし、仄香は首を横に振った。


「いいえ。アタシが使ったのは、おばあさまに教わった、香りの黒い使い方なんです……」

「! それは……、いや……、でも……」


 黒い香り。

 香水は本来、自分の魅力を引き立てるためのものである。

 しかし、仄香が使ったのは、自分の為の香りではなく、他人を操る為の黒い香りだった。相手の意思に関わりなく、自分の思うままに人の心を操る禁断の香り。


「最初は郁も気付かなかったんです。でも、工房に出入りしているうちに知ってしまったみたいなんです」

「仄香さんが、ノワール・パフュームを使ったと?」

「ノワール?」

「僕らの業界で使われている隠語ですよ。似たような商品名の香水もありますが、それではなく、黒い目的で作られた香水のことです」

「『魔香』とは違うんですか?」

「違います」


 曽田は明快に断言した。


「『魔香』は魔術……、と断言していいのか、とにかく魔法のような手段で作られた香水で、その効果はまさに魔法そのものです。しかし、ノワール・パフュームは純粋に生理科学的な手段と理論で作られた香水です。ただし、その方法と効果は一般に知られてはいけないもので、麻薬を使ったものや、香りを併用した催眠暗示もそれに含まれます」

「ノワール……パフューム……」

「ええ。……しかし、驚きました。あなたは本当に、魔法使いの後継者なんですね」

「? どういう……意味です?」

「先生がなぜ、魔法使いと呼ばれていたのか。その本当の意味を、あなたは知らないものだと思っていました。失礼ながら、あなたが工房を受け継いだのがまだ中学生の頃でしたから、先生からノワール・パフュームのことは教わっていないと思っていたんです」

「私がおばあさまから最初に黒い香りの調え方を教わったのは、小学生の頃でしたよ」

「まさか……! いやはや、先生もとんでもない英才教育をお孫さんに施していたわけですか。というより、あなたの才能が、その頃から傑出していたんですね」

「そ、そんなストレートに褒められても何も出ませんよ。私なんか、まだまだ未熟です……」

「経験が少ないのは仕方のないことですよ。でも、何万時間もの経験を補えるのが才能です」

「で、でも……」

「とはいえ、センスを明確な形にするのには、やはり経験が必要だと思います。しかし、仄香さんは、その経験がないうちから黒い香りを使ってしまった……」

「はい……」

「よかったら、聞かせてもらえますか?」


 曽田は興味本位という事だけで聞いたのではないように見える。年齢に見合わない強い力を持ってしまった少女がどんな失敗をしてしまったのか、大人として話を聞いてくれるというのだろうか。


「聞いてください。アタシの、罪を……」


 誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

 一粒だけ涙を流した仄香は、かつて自分が犯した罪を訥々と語り始めた。

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