第4話『理解できない』
――理解できない。
最近の私の頭の中は、この言葉で埋め尽くされている。
今年で一四歳になった私、ミシェルは毎日勉強を頑張っている才女だ。
自分で言うのもなんだけれども、周りがそう言うのだから仕方がない。
魔法は全属性中級以上まで納めた。
剣技もお父様に教えて貰って、太鼓判を押してもらえるぐらいにはなっている。
お父様は昔、王国の騎士団で団長をやっていた。
だから私は他の人達よりもいい鍛錬ができる。
来年には優秀だと認められた者しか入れない『サンジュスト王立大学』に入学する予定だ。
まだ試験は受けていないが、模試の判定がB判定なので、受かる確率は高い。
そんな自他共に認める才女の私には、嫌いで仕方がないやつがいる。
「ふぅ……帰ったよー」
今年で七歳になる私の弟、ミンクレスだ。
私よりも五歳下のこいつは生意気だ。
魔法、剣術、格闘技。
どれにおいても凡才。私の方が優秀。
「おぉ、お帰りミクリィ。今日もトレーニングしてたのか?」
「うんそうだよ。不老不死のためには身体をもっと鍛えないとだからね」
「またそんなこと言って……まったく、変な本でも置いてたかぁ?」
だけどこいつは、頭がおかしい。
あの日。お母様から魔法を教えてもらった日。
おかしくなったのはあの時からだ。
毎朝早く起きてご飯を食べたら、すぐに森に向かうようになった。
魔法と身体のトレーニングをしているらしい。
帰ってくるのは夕方の四時ごろ。
しかも汗を拭いた後、すぐに二階の書斎に籠るのだ。
ずっと勉強をしていてご飯になると降りてくる。
そして夜の九時には寝る。
これを毎日続けているのだ。
家族との交流が疎かになりそうなものだが、そんなことは一切なかった。
頭のスイッチがすぐに切り替わるのだ。
家族との時間は家族だけを見て、
修行の時間は修行だけを見る。
まるで機械だ。人間じゃないみたい。
私は一度、気になって彼の様子を見に行ったことがある。
木の陰からこっそりと、彼を覗いたのだ。
――――――――――――――――――――――
『……嘘でしょ?』
その光景は不気味という言葉でしか言い表せなかった。
『ふぅ……! ふぅ……! ふぅ……!」
まず彼は片手で腕立て伏せをしていた。
子供の筋肉量でできる芸当ではない。
だがそんなことよりもっと恐ろしかったのは――
『イメージ……! イメージを……!」
――あいつはもう片方の手で魔法の練習をしていた。
それだけじゃない。地面には教科書が敷かれ、それを読みながら腕立てをしていたのだ。
つまり一度に三つのことを平然とやっていた。
普通ならばそんなの逆に効率が悪いであろう。
何か一つに集中した方が時間がかからないのは当然の理だ。
だがこいつは違う。おかしいのだ。
『あの横の本……』
腕立てをしているあいつの横には十冊ぐらいの本が縦に並べられていた。
そして逆側には二冊の本。
普通ならその二冊が読み終えた本だと思うだろう。
だが次の行動を見て、私はその事実に戦慄した。
彼は今読み終えた本を、縦に並んだ本の一番上に放り投げて。
『……なによそれ』
――残った本から一冊取り出し、また読み始めた。
それだけでない。
その時、同時に彼の腕には魔力が流れていき、手のひらに炎のが現れて――
《ボゥ……!》
――向こう側の壁へと打ち込まれたのだ。
その時腕立ては一切止まっていない。
彼は全ての動作を、一つも疎かにすることなく全て完璧に実行した。
まるで意識が三つあるみたいに。
狂っている。人間ができる芸当じゃない。
できたとしても毎日のようにできるものでもない。
その後、あいつに聞いた。
――なぜそこまでするのかと。
そしたらあいつは、さも当たり前のような顔をしてこう言った。
『不老不死になるため』
冗談かと思った。だけどあいつの顔を見て、それは違うと一瞬で察した。
本気だ。本気なのだ。本気で不老不死になろうとしている。
そしてそれが難しいことなのだと、七歳にして理解しているのだ。
まだ私でも、きっとできると信じてるものは沢山あるのに。
――理解できない。
そんなあいつの狂った努力は着実に成果を出していった。
魔法は私に追いついた。
魔力の質は私の方が断然上だけど。
子供ながらに逞しい筋肉がついた。
私の方が強いけども。
リヴァリア語も完璧に読み書きができる。
私は第二言語を勉強してるけども。
うちにある大量の本を読破した。
私は新しい本を読んでいるけども。
すごい速度で成長しているのだ。
あらゆることに凡才かもしれないが、あいつは努力する才能だけはあるらしい。
私には勝てないけど。そう、私には勝てない。
――まだ。
「――姉さん?」
「……ッ!!」
思考の海から意識が帰還する。
どうやら考え込みすぎてたようだ。
最近こういったことが増えた気がする。
大人に近づいている証拠だろうか。
……こいつの声で気づいたのは癪だが。
「ボーっとしてたよ? 大丈夫?」
「……あんたに心配される筋合いはないわ」
「いや家族だからあるでしょ」
こいつの方は私を嫌ってはいないらしい。
こんな風に私に普通に喋りかけてくるし、ことあるごとに突っ込んでくる。
逆に二年前ぐらいまではミンクレスの方が私を嫌っていた気がするが。
「そうよー、最近あなた疲れてるのよ。こん詰めて勉強しすぎじゃないかしら?」
ソファに座っていたお母様が心配してくれる。
確かに私は大学受験のために勉強を頑張っているが、別に疲れたと思ったことはない。
「その通りですよお嬢様! ミンクレス様のように馬鹿じゃないんですからしっかり休息は取らないと!」
「おい誰が馬鹿だって?」
「あ! ち、違いますミンクレス様! って痛い痛い! 痛いですー! ごめ、ごめんなさ――」
ママイとミンクレスは専属使用人の関係だからか仲がいい。
ミンクレスの方が立場は上なのが謎だけど。
ミンクレスが生まれる少し前にママイは使用人としてやってきた。
魔法には詳しい人なのだけど、抜けているところがあるので頼りない。
「でもママイの言う通りだよ姉さん。休息はしっかり取らないと」
「……それをあんたが言うのね」
「僕はちゃんと休息取ってるよ。十時間しっかり睡眠を取っているからね」
本当に生意気なやつだ。
こいつのこういうところが嫌いなのだ。
「お父さんも勉強しすぎな気がするけどなぁ。今の成績だったら絶対に合格できるぞ」
「駄目。気を抜いたら負けちゃうの。あと一年間、頑張らないと……」
「お父様は剣術推薦だから勉強はよく分からないからなぁ、ハハハ!」
剣術推薦。選ばれた三人しか手に入れることのできない特待制度だ。
その推薦で入学した者からの推薦が必要、という受け継がれてきた制度である。
学費も免除されるし、寮の部屋だって選び放題。
魔法推薦や薬学推薦など、色々な推薦があるのだけど……
「私じゃ推薦試験に合格できないから仕方ないわ」
お父様に推薦してもらっても、
そこからの推薦試験に受からなければ意味がない。
「私の場合、普通の試験を受けた方が勝率は高いの。だから今頑張らないと……」
「姉さんはよく頑張ってるよ」
……こいつ。
「ものすごく努力してるし、絶対に受かると思う。だから諦めるのだけはダメだからね」
「……自分の部屋で勉強してくるわ」
私は立ち上がって二階へと向かう。
「……?」
あんたにだけは言われたくないの。
そんな風に気を使うな。
あんたの努力と比べたら、私のなんて大したことないじゃない。
なのになんで、私が頑張ってるなんて言えるのよ。
「……チッ」
――あぁ、理解できない。
――――――――――――――――――――――
「行っちゃった……」
最近ずっとこれである。どうやら俺は本格的に嫌われているらしい。
だが褒めてやったのにあれは酷くないか?
「……ミクリィ」
父、ジャンが俺に話しかけてくる。
「何? お父様」
「人にはな。ときに褒められるのが嫌な相手がいるんだ。自分は劣っていると思い込んでたり、その相手のことを評価していたりするとさらにな」
「でも褒めることが悪いことだとは思わないよ」
「あぁそうだ。悪いことなわけがない、でもな。心の底からの言葉でも、それが相手を傷つけることがあるんだよ」
父は俺の頭を撫でる。
「お前は優しいし、賢い子だ。
だからこそ分かるはずだ、相手の気持ちが。
だが相手の気持ちを分かるだけで、仲良くやっていけるもんじゃない」
「同時に自分のことも知らないといけない。
周りから自分がどう見えてるか。
そして自分はどういった存在か。
この両方が分かって初めて、相手に言葉が届くんだ」
「……はい、お父様」
「よし! 偉いぞミクリィ!」
……分からない。自分を知れだと?
俺はただ不老不死を目指していただけ。周りからどう見えているかなんて気にしていなかった。
だから分からない。ミシェルの考えていることが。
自分のことをどう思っているかなんて。
今までどうでもよかったし、正直今もどうでもいい。
――あぁ、理解できない。