第26話『鮮血に舞う』
「神罰の――始まりだ――」
《ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ》
地面を揺れ動かし、全てを壊そうと迫り来る。
ナニか。大きいものだ。
二メートル、三メートルもいる。
目には見えなくとも気配で感じ取る。
村の安寧が破壊される。
運悪く、俺たちが訪れている日に。
「……めんどくさい。
家族を連れて帰るのも一苦労になった」
「――『人蟲』――だな――」
「ん?」
男が口に出した単語に反応する。
なんだ、その聞くだけで気持ちの悪い名前は。
「『人蟲』――人の顔を持ち――虫の身体を持つ――この気配、この足音――間違いない――」
「……全く。その生物はどんな進化をしてきたんだ」
虫と人間のハイブリッドなど、前の世界では生物学的にあり得ないと一刀両断だろう。
そんなグロテスクなものは見たくもないし。
だが悲しいかな。
その人虫が襲っているのはこの村なわけで――
《ガソガソ、ガサガサ》
「ぼ、ぼくく、あり、がと……ぐそ、くぅ」
――当然、村にいる俺も攻撃対象だ。
「……胸糞悪い生物だ。
絶滅した方が世界のためだぞ? 虫けら」
赤ん坊の顔に、蟻の身体。
全身は濡れていて、その気色悪さをさらに倍増させる。
体長はやはり二メートルほどだ。
二メートルの昆虫などカンブリア紀で十分だろう。
「キャァァァァァア!!」
「な、なんだ!? やめろぉ!!」
「いやぁ! いやぁぁあ!!」
周りの家々からも悲鳴や絶叫が聞こえる。
どうやらすでに村全域に侵入したらしい。
《ヴーー、ヴーー、ヴーー、ヴー》
空から警報魔法のサイレンが聞こえる。
不安を与える不協和音。
人々のためにそう作られたものだが、今夜に限っては不気味さを演出するための装置でしかなかった。
『非常事態警報が――発令――されました――皆様は直ちに――火山麓の宿まで――避難してください』
「対応が早いな。優秀な自治団体だ」
その時、俺の身体に大きな影がかかった――
「ぐ、そく、ぐそくぅぅぅうう!!」
――飛び上がった蟻人間の影だ。
俺の身体をその四肢で引きちぎろうと襲いかかる。
蟻の身体は見た目に反してかなり強力、一度捕まれば逃げることは――
「――躾がなってないな」
そんな速度で俺は襲えない。
俺は一瞬にして背後へ移動、飛び上がった虫の背にめがけて――
「ぎょよえええぁぁああ!!」
――手刀を刺し込み、同時に衝撃でその身体を粉々にした。
鮮血が全身に降り掛かる。
雨のように床を叩きつける。
俺に降りかかるものは火の魔法で全て蒸発させる。
「血は赤いのか。これじゃ虫なのかどうか分からんな」
「ぷ……げ、げ……」
糸のように絡まい合った脚が痙攣を起こし、そして完全に動きを停止した。
「一体一体は弱い。身体も脆いし魔法にも耐性がなさそうだ……だが……」
神殿の縁へと移動し、右側から下を見下ろす。
「いや、いやぁあ!!」
「逃げろぉぉお!! 逃げろってぇえ!!」
「だめぇ!! 息子が!! 息子がぁあ!!」
――数が多い。
ここは村の中心に位置し、
それなりの高さもあるため村の全体がよく見える。
東側だけでも凄まじい量だ。
百体はゆうに超える数の人虫が人々に襲いかかっている。
空を見れば飛んでいる個体もいる。
蝶、トンボ、蝿……うわっ、蚊もいる。
本当に多種多様な生物だ。
これも多様性というやつなのだろうか?
そして……
「……」
「グシャア……ムシャグシャ……ブシャァ」
――そしてどうやら人を食べるようだ。
今真下で、子供がコオロギ人間に食べられている。
腹を裂き、内臓をポテチを食うような要領で食べていた。
その咀嚼音は不快感を募らせ、この村の穏やかな空気を一瞬でおどおどしい代物に変える。
さっき叫んでいた女性の息子だろうか。
違う家の子供でもあろう。
当たり前のことでも考えずにはいられない。
すでに事切れていて、抵抗することもなく食べられている。
胸糞悪い。
「――――――」
後ろを向いてみれば男がじっとこちらを見ている。
「……なんだ?」
「――人として――少しの感情は――持ち合わせているみたい――だな」
「……俺は別に無感情な人間じゃない。
確かに血生臭いことには慣れているが、何も感じないわけじゃない。あくまで天秤で計って自分の命を優先しているだけだ」
「――――」
互いに無言が続く。
辺りでは悲鳴、サイレン、悲鳴、絶叫、サイレン――
「――力を示せ、果てなき者」
「何?」
「――判断がしたい」
「……」
判断? なんのだ。
この虫をどうにかしろと?
この人間達をどうにかしろと?
本当に運がなくて死ぬかもだろう。
一億、一兆分の確率でも俺は死にたくない。
あの暗闇の世界に戻るのは――
「――我が――協力しよう――力を示せたのなら――我は――千二百年を生きている――」
――瞬間、俺の身体が弾けた。
目にも止まらぬ速度で移動する。
建物を抜け、炎を抜け、同時に周りを見渡す。
(神殿から確認した限りでは逃げ遅れは六人、魔力探知、八人か)
村の右側は半径三百メートル。
それぞれの位置は東、南東、北、東、北東……。
やはり村の端、一番遠い場所に人が集まっている。
避難所の宿は村の最北端。
近くまで移動させれば問題はない。
(一部筋力解放、身体強化――七秒で終わらせる)
そして地面を強く踏み込み、俺は救出を開始した。
まず一人、瓦礫をどかし掴む。
二人、子供、人蟲を殺す。
浮遊魔法、効果時間五秒、北側へと放る。
三人、四人、家族は傍にかかえる。
遮る人蟲、顔面を蹴り潰す。
再び浮遊魔法、北へ投げる。
五人、老人、後回し。
六人、着火、水魔法、掴む。
七人、走っている、そのまま腕に抱える。
浮遊魔法、北へ投げる。
あと四秒。
八人、道端から拾う。
五人目の元へ戻り掴む。
北へと移動。
避難所の宿、手前二十メートル、投げる。
上空を見上げる。
効果時間終了まであと一秒。
飛び上がる。
『 』を使用。全員を掴む。
そのまま落下。
宿の前まで移動。
周囲の安全確認。
救助者の生存確認。
「……」
辺りには人蟲は見られない。
北側からは湧き出ていないのだろう。
避難所の手前二百メートルはバリケードがすでに張られていた。
魔法を岩で生成して作られたものだ。
魔法壁も張っているようだ。
「……え、何、が」
「……わしは最後に奇跡を見たようじゃ」
「……??」
助けられた者達は何が起きたのか全く理解できていない。
それはそうだろう。
常人では経験することのない速度に高度。
呑気に周りを見渡して、自らの命の生存に歓喜している。
感謝して欲しいものだ。
俺の貴重な時間を使って助けてやったのだから。
「……ふぅ」
七秒以内。
――俺は宣言通りに救助を完了した。
神殿の方を見やる。
男の姿は見えないが、おそらく俺の一連の動きをみていたことだろう。
何やら判断すると言っていたのだから、
それはもうじっくりと。
あれが嘘で、俺が無駄に命を賭け、時間を使ったのなら絶対にあの男は許さん。
取引は成立したのだ。絶対に支払って貰わねば。
ふと、上の方から視線を感じる。
「……あいつ、あそこに移動してたのか」
宿のてっぺん、そこには件の男が立ち俺を見下ろしていた。
じっと俺を眺めている。何秒経とうが、その姿が動きを見せることはない。
(……まだ何か足りないのか?
もう俺は懲り懲りだぞ。西側も助けに行けとか言うんじゃないだろうな……?)
男の視線を受けたまま、俺はさっきの言葉を思い返す。
「……力を示せ、だったか」
『力を示す』。
俺は先の救出で十分力を見せたはずなのだが。
蟲共を蹂躙しろと?
犯人を探し当てろ?
一体お前は何が見たいのだ。
ふと、男の釣り上がった口が開く。
「――今でなくでも――機会はある――ここにいれば――見ることができそうだ――手は出さん――流れるがままにいろ――勝手にそうなる――片鱗を――」
どうやら俺の力とやらを見るまで、上に居続けるつもりであるらしい。
めんどくさい。本当にめんどくさいやつである。
考えていることも分からないし、何を見ているのかすら分からない。
不気味。ただ不気味。ひとえに不気味。
これほどまでそう感じた者がいただろうか?
「……まぁいい。蹴散らすのは簡単だ。
ゴキブリみたいに潜んでいるんだろうが、今外に出てるやつだけでも――」
剣の持ち手を握る。
足は地面に、蹴り潰す勢いで。
大勢は前屈み、蹴った瞬間に抜刀。
必要な箇所だけに力を入れる。
筋力を一部解放。
最高じゃなくていい、最適な速度で。
「――徹底的に駆除する」
踏み込みにより大地が割れる。
バリケードを超え、蟲共へと剣を這わせる。
総数二百五十辺り。
上位魔法で一斉に焼き尽くしたいが、それで村が消え去ったらマリーネに何を言われるか。
特別な力は必要ない。
ただの剣技、それだけで十分だ。
「ぐ、そくくぅぅう!!」
一体目、飛び出した勢いのまま直線。
捉えきれない速度で――
「グァギャァぁァァァァァア!!」
――抜刀。
反転、二体目、腹部を切断。
襲い来る三体目、逆刃で斬りつける。
四体、喉元を蹴り潰す。
五体、六体、空中より飛来。
だがそんなの関係ない。
狙い易さを重視したいい的だ。
「『サンダラー』」
中級魔法。
雷光が二体の胴体を一斉に貫く。
止まりはしない。
七体、八体、殴り抜けて九体へ。
記念すべき十体目はカマキリのようだ。
刃をこちらへと切りつけてくる。
一瞬にして刈り取る速度、関係ない。
拳で刃ごと折り曲げる。
怯んだところで背後へ移動。
首元にまたがり足で挟む。
身体を一回転すればこの通り。
大きな頭も簡単に千切れ飛ぶ。
まだだ。まだ終わりはしない。
十一、十二、十三、十四――
まだ、まだ、まだ、まだ――
まだ、まだ、まだ、まだ、まだ――
――――――――――――――――――――――
――私は夢を見ているようだ。
あぁそうだ夢だ。夢以外の何ものでもない。
よく夢で見る光景だ。
行動と結末が接続しない。
摩訶不可思議な現象ばかりが起きる。
あぁ、そう夢なのだ。
ついさっきお母さんにおやすみと言われて寝たのを覚えている。
だがらあの警告魔法の音も。
赤ちゃんの顔をした虫も。
空を飛んだことも。
瞬間移動していたことも。
――目の前で行われている蹂躙も、全て夢なのだ。
「アギやァァァァァア!!」
「ほぎゃぅぅう」
「ぎゃうあぁぁああ!」
何かが、何かがあの虫達を切り裂いている。
目には見えない。
いや、見えているのかもしれない。
だが、大きすぎる。
あまりにも大きな何かが、村全体を覆っていた。
何か。星のような輝き、反射による光か。
音がする、斬りつけるような音が。
音は重ねて合い、一秒のズレもなく響き渡る。
鉄を棒で引っ掻いたような音へと変わっている。
斬撃。
斬撃なのだろう。
そして目に見えているのは斬撃の嵐。
さっき私を助けてくれたであろうお兄ちゃん。
あの人が目の前から消えた瞬間に始まった。
あの人が引き起こしたのだ、この嵐を。
いや違う、この嵐を引き起こしたのではない。
斬撃の嵐がその人自身なのだ。
想像を絶する速度。
姿を完全に消し、嵐のように見えるほどの。
斬撃の完全一致。
一秒のズレもない一致。
彼自身が風となり巻き起こす斬撃の嵐。
あんだけいた虫が、全身を刻まれ、痛ぶられ、死んでいく。
百二十、九十、八十、五十……
抵抗はない。
彼を捉えることもない。
そして――
「――――」
それを見つめる悪魔が一人。
先ほどから私の上で、お兄ちゃんの戦いをずっと眺めている。
地獄の死者か。
一体何を思うのか。
だが、その表情には変化があった。
お兄ちゃんが虫を刻むたび、
お兄ちゃんが虫を焼き払うたび、
お兄ちゃんが虫を殴り潰すたび――
「――うぅ――そうか――やはり――そうか」
――悪魔は、大粒の涙を流すのだ。
まるで何かを思い出しているように。
鮮明に、涙に思い出を写して、地面へと落としていく。
その時、斬撃の雨が止んだ。
《――――――――――――――――――》
先ほどの轟音が嘘かのように静かだ。
静寂。誰もが寝静まったかのように。
誰も声を出さない、誰も音を立てない。
月光だけがその場を照らす。
鮮血に濡れた、私達の村を。
「……」
もはや生きている者はいない。
虫の死骸は混ざりに混ざり、どの個体のものかも分からなくなっている。
そしてそんな死骸、最後の一匹の上に立った男は――
「……ふぅ」
――剣を納め、その姿を月光に晒していた。




