第10話『秘密』
《ザアァァァァァアア!!》
「……」
傘をさして街中を歩く。
辺りは雨の影響もあってか人影が見られず、廃墟に一人迷い込んでしまったよう。
「……マリーネ、ちゃん」
行方不明になっている親友のことを考える。
いつも一緒だったのに、あの子は急にいなくなってしまった。
この誘拐事件は、人々から当たり前のようにあった幸せを一瞬で奪っていくのだ。
マルグナントさんの家の子も、毎日元気に街中を走っていたのに、ある日忽然と消えてしまった。
そして帰ってこない。誰も。
家族の元へは帰ってこないのだ。
このままではマリーネちゃんも。
「……私が、私が見つけないと」
お母様とママリの静止を無視して私は家を飛び出した。
彼女のことを一番知っているのは私だ。
だから彼女の行きそうなところも分かる。
あんな弟に頼る必要なんてない、あんな――
「……ちょっと言い過ぎたかな」
あの子は嫌いだ。大嫌い。
天才じゃないのに、天才の私に狂った努力で追いついてくる。
真に天才なのだ。
私と違って。
私にはあそこまでする覚悟はない。
気づいたら、魔法も、強さも全て追い越されてしまっていた。
家族も昔と違って、あの子を私と同じくらい褒めるようになった。
姉としての面目が丸潰れだ。
「なん、なのよ……」
あの子はいつか私が辿り着けないほど遠くにいくだろう。できないことがあっても努力で乗り越えようとする。
いや、あれはそもそも努力と言っていいのだろうか。
あくまであいつは不老不死を目指しているだけ。
きっと本人からすれば当たり前のことなのだ。
本人が努力と思っていなかったら、それはもはや努力と言えないのではないか。
単純に狂っているだけなのではないか。
「なんなのよ……!」
だからこそあいつにマリーネちゃんを助けて欲しかった。
たぶんあいつは分かってる。助けるだけの力もある。
なのに行動しない。
おそらく今も修行しているだろう。
天秤の重りを見に行くと言っていたが、彼の夢を傾けるほどの重りが存在するだろうか? いやしない。
するはずもない。
頼むから動いて欲しい。
そうじゃないと私は、一生後悔する。
あんたのことも心の底から憎んでしまう。
私みたいに力がないわけじゃない。
力があるのに、天才なのに、なんで。
怖い、怖い、怖い。
「なんなのよぉ!!」
――理解できない。
「はぁ、はぁ……ダメ。こんなことしてても時間の無駄、早く……早く探しに行かないと……」
私は、雨に濡れた街を背後に、暗い空の下、広大な畑へと向かった。
――――――――――――――――――――――
「だ、ダメ……いない……!」
探し始めてかなりの時間が経った。
ただでさえ雨雲で暗かった周りが、夕方に近づき漆黒の闇へと変容していく。
大人が行ってないようなところまで調べた。
だが見つからない。見つからない。
「どこに、どこに行ったのよ……!!」
今は二人でよく来ていた畑の広場を探している。
だが、ここに人が来た痕跡すら見つからない。
頭に最悪の可能性が駆け巡る――
「ダメ、そんなこと考えちゃ、絶対に。絶対にいるんだから」
次は向こうの森を探そう。
畑の縁を踏んで入り口へと向かっていく。
いるかもしれない可能性にかける。
そのまま森の中へと進んで――
「……ッ!!」
身体が突然の音に硬直する。
入り口近くの草むらから音がしたのだ。
こんなところに人が、ましてマリーネちゃんがいるわけもない。
「……」
身体が芯の底から震えているのが分かる。
どうやら私は思ったより臆病みたいだ。
(お願い……)
お願い。お願いだから風出会って欲しい。
動物でもいい。熊は嫌だけど。
(怖い……怖い……お願い、お願い……!)
心の中、必死に何かに懇願する。
だが、やはり世界というものは無慈悲だ。
「グルルルゥ……!」
「……ッ!!」
赤い瞳。
花びらのように首周りについた耳。
鋭い牙と、垂れ下がった鋭い下。
あぁ、運がない、これは――
「――タマージ、ドッグ……!」
「グゥゥウ!!」
タマージドッグは容赦のない魔物だ。
獲物を見つけて五秒以内に、必ず仕留めるのだとか。
五秒、それが私の抵抗できる時間。
だけどその五秒は――
「い、いやぁ、あぁぁあぁ……ああ」
――すでに過ぎてしまっていた。
「グアァア!!」
刃物のような舌が私めがけて放たれる。
この魔物は口の中で空気の層を作り、それを押し出して舌を高速で放つ。
狙うのは相手の眉間。
刺した後、舌を巻き戻して頭ごと咀嚼する。
「……あ」
数秒後の未来が見える。
死んだ私。頭のない私。見つけてもらえない私。
あぁ、もう――
「なぁにやってんだぁぁぁあ!!」
「……!?」
腕が高速で迫る舌を掴んだ――!
ありえない。刃物のように鋭いのに、血を一つも流すことなく鷲掴みにしている。
こんな芸当ができるのは一人しかいない。
これは――
「ダ、ダミリアンさん!!」
「大丈夫か!? 怪我してないな!?」
あぁ、もう大丈夫だ。
確かな安心、そして信頼。
私達の英雄がきてくれた。
やっぱりこの人は無敵なのだ。
「まったく、勝手に手出すなんて、許されるわけねぇよなぁ? 犬っころ」
「グ、グルゥウ……!」
舌を掴まれたタマージドッグも彼の威圧に怯えてしまう。
本能的な恐怖を感じたのだろう。
舌を動かして振り解こうとするが、ダミリアンさんの身体は根が張ったように少しも動かない。
ダミリアンさんそのまま掴んだ舌を一気に引っ張った――!
「ギャウウゥ!!」
タマージドッグの身体は吹き飛ばされたかのように彼の元へと引き寄せられ――
「ほぉらよ!!」
「ギャフッッッ!!」
――そのまま頭を巨大な拳で抉り潰された。
「……」
一瞬であった。
人々から恐れられるタマージドッグですら、ダミリアンさんからしたら、ただの子犬にすぎなかった。
彼の肉体の前には犬の舌も、牙も、全て無力なのだ。
「ふぅ……やれやれ」
頭のない死骸が雨にうたれて獣臭をさらに香ばしくする。
ここにはもう脅威がないという証のようであった。
「だ、ダミリアンさん……!」
「おっと……大丈夫か? 怖かったな」
私は思わずダミリアンさんに抱きついてしまう。
この歳でって思われるかもしれない。
だがあんな怖い思いをしたのだ。
これくらい許して欲しい。
「おいおいダメだろ。この森はタマージドッグの巣窟だって、両親から教えてもらわなかったか?」
「う、うぅ……ごめんなさい……」
マリーネちゃんの捜索に必死になりすぎて忘れていた。
この森は幼い頃から近づいてはいけないと言われているところだった。
「何しにここまで来たん……そうか、マリーネの捜索か……」
「うん……ダミリアンさんは?」
「俺は捜索隊が解散した後に、一人で探していたら襲われてる嬢ちゃんを見つけた感じだ」
「……!? 捜索隊解散したの!?」
それは駄目だ。諦めては駄目だ。
そんなことしたら、助けられる確率はゼロになってしまう。
彼女を見殺しにすることになってしまう。
「落ち着け!! 今日は解散しただけだ。日も暮れてきたし、雨ももっと酷くなる。探している方が行方知れずになったら元も子もないだろう?」
「……そうだよね。分かった、ありがとう」
大丈夫。明日からまた探してくれる。
必ず見つかる。
だから私も今日は帰ろう。
ダミリアンさんが言ってた通り私まで行方不明になったら元も子もないのだから。
「今日はほんとにありがとう。ダミリアンさん、今度何かお返ししにくるね」
「おう!」
「じゃあ、さようなら!」
私は街の方に向かって走り出す。
早く帰った方がいいだろう。
あの時は必死だったから意識していなかったが、家族は相当心配しているはずだ。
……あいつにも謝っ――
「おい待ちな嬢ちゃん!」
「……?」
ダミリアンさんに呼び止められる。
なんだろうか、何か父に伝言でもあるのだろうか。
「空を見てみろ!」
言われた通りに見上げてみる。
……厚い雲だ。降ってくる雨粒も一際大きい。
風もさっきより強くなった気がする。
ビュウビュウと音をたて、小さな子供だったら吹き飛ばされそうだ。
天気が荒れるとは聞いていたけど、これほどとは。
「こんな天気だ! 見送ることも考えたが、ここから嬢ちゃんの家までは結構遠い! 今日は家に止めてやる! 着いてきな!」
なんと私を家に泊めてくれるようだ。
風や雨音で声が聞こえにくいので、いつもより一回り声が大きい。
「でも、家族が心配するから遠慮させてもらうわ!! ありがとう!!」
さすがに今何も言わずに帰ってこなかったら、誘拐と勘違いされるだろうし、すごく心配するはずだ。
たまでさえマリーネちゃんの誘拐で気分が落ち込んでいるのだ。そこに追い討ちをかけるわけにはいかない。
「そうか! だがこの雨の中、嬢ちゃんを返すことは大人としてできねぇよ。雨が弱くなるまででいいから寄っていきな」
ダミリアンさんが喋りながら私に近づいて、手を差し伸べてきた。
「でも……」
「大丈夫! 明日一緒に怒られよう! 家族も嬢ちゃんが今この場で雨に流されるより、今夜心配で眠れないほうがマシだろうしな! あの二人なら分かってくれるさ!」
「……」
確かに。
帰っている途中で流されて家族を泣かせるんだったら、彼の家に泊まった方がマシかもしれない。
「ついでにその髪の毛も切ってやるよ! どうだ?」
「……分かった。今日は泊まらせてもらうわ」
ダミリアンさんの顔が安堵に変わる。
この人を心配させたくないし、大人しく今日は泊まっていこう。
するとダミリアンさんは私に小指を差し出してきた。
「よし! じゃあこれは『秘密』だ!」
「『秘密』……?」
「そう! 帰ってから家族には言っていいけど、他の子供達には『秘密』だ! 自分で言うのもなんだがよ。俺って人気者だから、一人を優遇すると喧嘩になっちまうんだよなぁ」
「ふふっ、何よそれ」
私を元気づけようとしてくれているのだろう。
本当に優しい人だ。
あんな馬鹿弟とは比べものにならない。
「わかった! 『秘密』ね!」
私は、大きなダミリアンさんの指と指切りをした。
――雲は、ますます暗くなっていた。