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第1話『天野という男を知らないかい?』

便利な時代になったものだな。とここ二十年ばかりの技術進歩を見て思う。


かつて手紙で行っていたやり取りは、メールとなり、今やリアルタイムで更新される会話アプリだ。


これだけの物が私の若い時代にあれば、彼女との関係も何か変わっただろう。


それが惜しくもある。


しかし、ありもしない過去を夢想したところで得られるもの等ない。


私が欲しいのは未来だ。


故に私はすぐにでも旅立つ為に準備を進めていた。


だが、そんな私の邪魔をする様に懐へ入れていた携帯電話が着信を告げるのだった。


「私だ」


『社長!? 社長、今どちらに!? 早くお戻りいただけないと』


「既に通知済みだが、私は社長を辞任した。後継者も用意してある。彼は優秀な男だ。問題は無いだろう」


『しかし、まだわが社には社長が』


「もう私の時代は終わりだ。後は若い者たちが作っていけ。以上だ」


『社長!』


私は引くつもりが無い電話を切り、電源を落とした。


どの道これから飛行機に乗るのだから、電話を切るのがマナーだろう。


まぁ今まで切った事はないが。


プライベートな旅行くらい、こういう細かい所もしっかりと守ろうと思う。


そうだ。思い返せば彼女はそういう所をよく気にする人だった。


『駄目ですよ』


彼女の口癖が頭の中で浮かび、私は口元に笑みを作りながら鞄に荷物を詰めてゆく。


しかし、多くは要らない。


必要ならば買えば良いのだ。


そう。彼女を捨てて、海を渡った私には腐るほどの金があるのだから。


少しくらい母国に金を落としても良いだろうと、私は母国の貨幣を財布に詰めてゆく。


そして全ての準備が終わった私は、さっさと面倒が追い付いてくる前に飛行場へ向かって移動するのだった。


無論、電車などは使わない。


最悪その辺りには誰かが私を待ち構えている可能性があるし、タクシーで直接飛行場へ向かう方が安全だ。


いつも使うプライベートジェットでは無く、格安の飛行機チケットを内密に入手したし、気づかれる可能性は薄いだろう。


一応変装の為にサングラスを付け帽子を被り、完璧だ。


ふふ。年甲斐もなく何だかワクワクとしてきてしまうな。


私は自宅から少し離れた所にタクシーを呼び、裏口からその場所へ向かう。


そして待っていたタクシーに乗り込んで、ホッと一息吐くのだった。


「お客さん。なんか追われてんのかい?」


「いや。そういう訳じゃ無いんだ。ただ、母国へ戻ろうとしているんだが、友人らに駄目だと引き留められてね」


「オー。それは災難だな。誰にだって故郷の土を踏む権利はあるぜ。よし。任せな。空港まではしっかり送ってやるよ」


「助かる」


「いやいや。俺もこの国の出身じゃねぇから、アンタの気持ち。分かるぜ。どれだけ離れていても、時間が経っても故郷ってのは特別さ」


「そうだな……本当に」


意外と快適だったタクシーは無事飛行場まで送り届けてくれ、私は彼に多めの金額を払いながら飛行機への搭乗手続きを行う。


普段ならファーストクラスを取る所だが、少しでも怪しまれる可能性を下げる為にスタンダードクラスを取った。


そして、この世界で最も大きな海を越える為に、私は座席に体を沈め、帽子を顔に被せて眠る体勢に入るのだった。


しかし、ふと服に違和感を感じ、私は帽子を取って、その違和感の場所へと視線を向けた。


「だぁ、だっ、だぁー」


「おや。どうかしたのかな? 君は」


私の服を幼い子が掴み、笑っていたのだ。


そして飛行機のマニュアルを見ていたその幼子の母親と思わしき人は赤子の様子を見て、顔を青くした。


「あ、あぁ!? 申し訳ございません! た、高そうなスーツに、よだれが、すぐ拭きますから」


「いやいや。気にしなくても良いよ。服は着るものだ。着れば汚れる。それは必然だろう?」


「は、はぁ」


「それよりも。少々この子を抱っこしても良いかな?」


「は、はい! それは、はい」


「ありがとう。では、慎重に行くとしよう」


私は元気な赤子を抱き上げ、私の太ももの上に乗せながら、ちょうどすぐ横から見える窓の景色を見せる。


これから飛び出そうとする飛行機は、まだ滑走路の上にあるが、窓から見える景色はどこまでも蒼く広がる空と、遥か遠くに見える海がキラキラと輝いていた。


「どうだ。綺麗だろう? この景色は私の自慢なんだ」


「あぁー。だっあ? あぁー!」


「喜んでいるようだ。ありがとう。この子のお母さん」


「いえ。こちらこそ、ありがとうございます」


「大した事ではないよ。しかし、飛行機は初めてかい?」


「はい、そうですね。恥ずかしながら」


「何を恥ずかしがる必要がある。人間誰だって初めての事ばかりさ。私だって今日初めて君の大切な子を抱き上げた。これは今までの人生では経験しなかった事だ。だが、私はそれを誇らしく思うが、恥ずかしさなど感じはしないよ」


「ありがとう、ございます」


母親と会話をしていた所、アナウンスがあり、どうやら飛行機はそろそろ飛び立つ様だった。


最後まで邪魔が入らなくて良かったと安心し、子供を母親に返そうとしたのだが、私の服を掴んだまま離さない。


これは仕方ないかと私は母親に許可を貰い、そのまま飛び立つまで、窓の外を見せ続けるのだった。


飛行機が飛び上がっていく景色は何とも言えない感動がある。


何故なら人類の英知がこの場所にあるからだ。


鉄の塊が空を飛ぶなんて、二百年前の人類は考えもしなかっただろう。


そんな事が今は出来る。


メールと同じだな。なんて考えながら、初めての感動に震えている子供を見て、私は笑うのだった。


果たしてこの子はどんな未来を歩むだろうか、と。




長く飛び続けた飛行機は無事母なる海を渡り終え、母国へとたどり着いた。


島国である母国は、その土地柄ゆえか、どこか穏やかな空気に包まれている。


それを懐かしく思いながら私は、彼女の待っている場所を目指した。


飛行場から電車を乗り継いで、山の方へと向かっていく。


窓の向こうには、かつて私が捨てた景色が広がっていた。


『一緒に行こう!』


『貴方の足手まといにはなりたくないの』


『足手まといだなんて。そんな事考える訳が無いだろう!』


『私がそう思うのよ。お願い。真壁さん。分かって』


『必ず迎えに行く。だからそれまで待っていてくれ。何かあればすぐに来るから』


『分かってるわ』


彼女の声を忘れた事はない。


彼女の言葉を忘れた事はない。


彼女の表情を忘れた事はない。


彼女の体温を忘れた事はない。


ただの一日だって、彼女の事を忘れた事はない。


それはきっと、これからも同じだろう。


「こちらの席、空いてますか?」


「……えぇ。空いてますよ」


窓の外を見ていた私は不意に話しかけられ、そちらに視線を向けるとそこには一組の老夫婦が立っていた。


ボックス席はどこも埋まっていたから、私が一人で占領していたこの場所へ来たのだろう。


私は急いで座席に置いていた荷物を網棚に乗せ、どうぞと席を空けた。


「ゆっくりしている所を申し訳なかったね」


「いえ。荷物は専用の場所がありますから」


「かなりの荷物ですね。旅行ですか?」


「えぇ。今から地元に帰る所なんです」


「あら。それは良いですねぇ。あ。そうだ。みかん。召し上がって下さいな」


「ありがとうございます。いただきます」


「お前は本当にみかんが好きだなぁ」


「そうですよ。こうやって電車で食べるみかんは最高じゃないですか」


「ほぅ。では俺も一個貰おうか」


「まぁ! 私の所から取らずにご自分で皮をむけば良いでしょう?」


「ハハハ。固い事を言うな。俺とお前の仲じゃないか」


「もう。本当に困った人ですねぇ」


老夫婦のやり取りを見ながら私はみかんの皮をむき、一つ身を食べた。


確かに美味しい。


だが、甘味の向こうにある酸味が少しだけ胸に染みるのだった。


それから、電車で出会った老夫婦に別れを告げ、私は約二十年ぶりに帰ってきた地元の駅に降り立った。


何もない駅だ。


何でもかんでも電子化された現代になったからか、改札には人がおらず無人であった。


電子カードをどこで通せば良いのか分からず少し手間取ってしまったが、何とか駅の外へ出る事が出来た。


駅を出ると強い日差しが私を照らし、私は帽子を被ってサングラスを掛けた。


遠くでセミの声がする。


夏の匂いがする。


この懐かしい匂いと共に蘇ってくるのは、確かに彼女と過ごした夏の日の思い出だった。


寂れた商店街で花を買い、彼女が待っている山の方へ向けて私は歩き出した。


あまりの暑さに上着を脱いで、腕に掛けながら少々急な山道を登ってゆく。


辿り着いたのは静かな世界であった。


セミの声も、風の音も、木々の揺らぐ音も聞こえる。


だが、この場所にあるのは静寂だけだった。


私は何かに導かれる様に、彼女の元へと向かった。


母国ではお盆の時期だが、まだ誰も来ていないのだろう。供えられた花は萎れており、周囲は落ち葉で汚れていた。


私は上着を近くの木に掛けて、ワイシャツを腕まくりしながら掃除を始めた。


この場所には彼女以外にも彼女の家族が眠っているという。


それなら、失礼が無い様にしたいと思うし。彼女にも、彼女が愛した家族にも気持ちよく眠っていてもらいたいと思うのだ。


そして、大体の掃除が終わり、水を柄杓で撒いてから、肝心な物を忘れていた事に気づいた。


線香が無いじゃないかと。


彼女に会えるという事で夢中になり、すっかり忘れていた。


商店街に売っているだろうかと、立ち上がり商店街への道を見た瞬間……私は記憶の向こうにだけいるはずの彼女を見つけてしまった。


「明美……さん?」


上品な日傘を差し、艶やかな長い黒髪を綺麗に下ろして、やや鋭い目付きで私を困った様に見ている彼女は、すみれの花の様に強く可憐で、別れた時と何も変わらない姿をしていた。


私は知らぬ間にタイムマシンに乗ってしまったのだろうか。


そんなとりとめのない思考をしながら、彼女に一歩近づいた。


しかし、彼女は戸惑った様な表情から一転し、何かに気づいて声を上げた。


「もしかして、真壁勇作さん。ですか? 私、叔母の、森下明美の姪の美月って言います。母は結婚して、森下から飯塚に変わってしまったんですが」


「……そうか。君は、久美子さんの娘さんか」


「母の事もご存じなのですか?」


「あぁ。そこまで話した事は無いがね。手紙によく書かれていたよ」


「そうでしたか。私も真壁さんの事は叔母の手紙で知っていたので、もしかしてと思っていましたが、当たって良かったです」


「そうだね。うん。私は非常に運が良かった」


「真壁さん?」


「実はね。今日ここに来たのは明美さんに会うという目的もあったんだが、他にも二つほど目的があってね。君と出会えたのは実に幸運だった」


私は一歩、一歩と明美さんにそっくりな少女に近づき、問うた。


この国に来た目的を。


私が調べた彼女の死の真相を。


「美月さん。天野という男を知らないかい?」


明美さんの命を奪った男の名を。

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