過去
「リョウちゃんっ...痛ぃよ...助けて...」
学校の廊下。
誰もいない放課後。
目の前には、さっきまで明るく笑っていたとは思えないほど、苦悶に満ちた表情でこちらを見つめている女子がいた。
ロングヘアの髪を乱して、隙間から見える少女の目尻には涙が溢れていた。
あるはずの右腕からは、その先がなく血が吹き出していた。
その奥には、血に塗れた腕を頬張っている得体の知れない生き物がいた。
くちゃくちゃとあたりに音が響く。
「りょうちゃん...」
かつて幼馴染だった少女は悲鳴をあげることもできず、だんだんと掠れ声になっていった。
「あ゛ぁ...」
俺は動けなかった。
怖かったから。
それだけだった。
足がすくんでいた。
その異形の何かは、次に少女の下半身に食いついた。
骨の砕ける音がする。
少女は大きな声をあげて、腕をこちらへと伸ばす。
腕がフルフルと震えている。
「助け...」
「りょうちゃん。私、やっぱさ。」
「何?」
「りょうちゃん、好きだよ。」
「...」
初めは何を言っているのかわからなかった。
ボロボロの壁、欠けた電球。
ここには俺のコンプレックスしかない。
そんな場所に、突然穏やかで暖かな自信があった。
橙灯が灯る部屋で、長髪の少女はこちらにゆっくりと顔を近づけてきた。
少女の仄かな匂いが思考をぼやけさせる。
少女の鼻息が顔にかかる。少し暖かくて、心地よかった。
俺は思わず、少女に言った。
「どんなことが起きても、何があっても、俺がお前を助ける。」
昨日「何が起きても俺が助ける」、とか言っていた自分の言葉が嘘みたいだった。
「好きだよ」、と言ってくれた幼馴染の言葉に舞い上がっていたんだ。
そんな言い訳を考えていた時、ふと自分の頭の中に別の何かが語りかける。
「お前、やっぱ大したことないんだな。」
誰だ。そんなことを言ったやつは。怒りで頭が沸騰してくる。
だが、目の前で悲鳴をあげる幼馴染が目に入った瞬間、あることに気づいた。
(あ...これは俺が言っているんだ...)
その時、俺は失望した。
部屋が汚いのも、俺が貧乏なのがコンプレックスだった。
これが全部コンプレックスだったのは、全て俺が俺に失望していたからだ。
口を血で濡らした四足の化け物は、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
俺はただ成り行きに身を任せた。
化け物は顔を近づける。
鼻息が俺にかかる。
その後、目の前が真っ暗になった。
「サキ。ごめんな。」