この世を造る一念とは!
漠然とした質問じゃのう。
まあよい。おさらいになるが、今まで説明して来たように一念とは心のことじゃ。
心というものは階層的な構造をしており、それは九層に分けられ、四角錐のピラミッドのような形のものとイメージ出来る。
心の階層は下から、生命本来の心である九識(無垢・清浄識)、そしてその上に過去世からの善悪の心の癖を宿した八識(業識)、さらにその上に今世での経験を宿した7識(無意識)、さらに…自分の意思として気付ける意識(六識)、さらに…身体(触感)・口(味覚)・鼻(嗅覚)・耳(聴覚)・目(視覚)の感覚器官」(五識)がある。
このように心というものは九層に積み重ねられており、五識はその下の六識以下の下層の心が基盤となっており、またその六識はその下の七識以下が基盤となっている…。そして、一念とはこの九つの心の全てを指し、全てが三千世界のこの世を造り出す。
しかし、お師匠様…、
まぁ待て、もう少し話を…、
しかしながら、瞬間的に変化する心は五番目の「五識」から、あまり変化しない好き嫌いの嗜好的な心は七番目の「無意識」から、境遇・身の上・境涯・家庭環境などに根差した心は八番目の「業識」から発した心の癖が主なものと考えてよい。
そちが尋ねたい「己自身がこの世を造るという一念とは?」と言うことじゃと思うが、一人一人の己と言う意味での心とは、六番目の「意識」となる。
じゃから、己の境界の変革を望むのなら「意識」を変えねばならぬ。
何故なら、この意識だけが「この現在の心(意識=意思)に過去の因と未来の果がともに同時に具わっているからじゃ。
だから、覚えているかな?「過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい」の言葉を…。
しかし、お師匠様、その私の「意識」の心はその下の七番目の「無意識」や八番目の「業識」、さらに九番目の「無垢・清浄式」が基盤となっています…。
つまり、私は「無垢・清浄識」の大地、「業識」の家の床、その上の「無意識」の椅子に乗っている状態です。
このような状態では、いくら椅子にしがみつき跳び跳ねても椅子が少し上下に動くだけで、家の床や大地を自由自在に歩むことが出来ません。
自分の心の土台となっている家の床や大地に直接、足を触れ歩むことは出来ないのでしょうか?
そうじゃの、そのことはわしも始めから承知じゃ。だから、これからそちに三つの心の変革の方法を教えてやろう。
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(次回:「心の変革の三つ方法!」)
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