この世の中は自身の心が造っている!
お師匠様、この世の中の全ては己自身の心が造り出していることについてお話しください。
分かった。結論から言えば、同じ時、同じ空間であっても、その人の心の境界によって、各々のこの世の中の感じ方が異なると言うことじゃ。
また、それは、己自身の心がこの世の中を造り出したとも言えるのじゃ。
お釈迦様達は、心の境界によるこの世の中の差別を三つの次元から説明している。
一つ目が、各々の異なる心の癖が造り出した、地獄界から仏界までの十種の「各々の心身による差別」。
二つ目が、各々異なる心の癖が造り出した、地獄界から仏界までの十種の「グループによる差別」。
三つ目が、各々異なる心の癖が造り出した、地獄界から仏界までの十種の「環境による差別」じゃ。
即ち、十種の「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏」の心の境界は「各々の心身による差別」、「グループによる差別」、「環境による差別」を造り出している。
一つ目の「各々の心身による差別」とは、
①過去世から積み重ねて来た善悪の心の癖は、目に見えるように現れ、各々異なる「身体」を造る。
②目えには見えない心の癖は、各々異なる嗜好の「感覚器官」を造る。
③目には見えない心の癖は、各々異なる「想い」を造る。
④目には見えない心の癖は、各々異なる「身・口・意による行為」を造る。
そして最後に、⑤目には見えない心の癖は、過去世から積み重ねてきた心の上に、さらに各々異なる「心」を積み重ねて行く。
二つ目の「グループによる差別」とは、同じ境界の似た者同士は集まるという心の習性を言う。
三つ目の「環境による区別」とは、前に話した喩え話を覚えているか。
昔、ある男が地獄と極楽へ見学に行って、同じように食事の時間で、同じ長い箸、ご馳走があったそうじゃが、片方は皆が痩せており、もう片方は皆がふくよかな姿をしていたそうじゃ…。
もう分かるじゃろう。同じ時、同じ空間、同じ条件であっても、そこにいる人の心によって、「体つきや表情」、「強者と弱者の取り扱い方」、「愛や子供を育む環境」などは全く異なって行くと言うことじゃ。
(次回:「この世は差別だらけの世界?」)
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