心の真実の姿!
今日は、心の姿について話そう。ふつう「姿」とは、目に目えるものを指すが、縁起で成り立っている生命の心を観るには、目に見えるものだけだではなく、目には見えないもの、また、両方の性質を含んだものを観る必要がある。
いわゆる、空・仮・中の三観じゃ。
お釈迦様は、中道の生命の心の姿について、こう述べられた。
「唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」と。
分かりやすく言えば、「この中道の生命の心の姿というのは、ただ仏と仏のみがよく理解し観ることが出来る。それは目に見える『相』、目には見えない『性』、そして両方の性質を合わせた『体』。そして働きの面から観れば、目には見えないが周りに影響を及ぼす『力』や『作』(作用)。そして因果律の面からは目に見えたり見えなかったりする『因』、『縁』、『果』、『報』。そして最後に中道の生命の心を観じることが出来る仏のみが知っている『本末究竟等』じゃ。
そちに教えたが、この世には過去世から積み重ねてきた善悪の業により様々な鏡を持った人たちがいる。
同じ行為をしても、それぞれの人の反応は異なる。善かれと思ってやった行為や、逆に悪かったと思った行為が、相手によって自分の想像とまったく異なる捉え方をする者がいて正反対の反応することもあるんじゃ。
これが、それぞれが過去世から積み重ねてきた心の癖じゃ。
このような人の心の姿を説いたのが、この教えじゃ。
ふつうの人には目に見えるものしか見えないかも知れないが、お釈迦様のような人には、相手の現世で目には見えないものを含めて、過去世、未来世も見えていうことじゃ。
お釈迦様は何故それが分かるのか、分かるか?
それは、「一念三千」の法門で皆を観て、成長するよう願い、働きかけているるからじゃ。
自分を取り巻くこの世界は自らの「一念」で造り出している…。
だからこの世で受けるそれぞれの「相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等」は、それぞれの過去世からの善悪の業により異なる…。
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(次回:「本末究竟等とは…」)
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