因縁より生ぜしところの法は…!
仏法の教えでは、縁起で成り立っている生命の心をこう説かれている。
「因縁より生ぜしところの法は、われ、即ちこれ空なりと説く、またこれを仮名となす、またこれ中道の義なり」と…。
ここで言う「法」とは、心を示していると考えてよい。
この心のあり方を、成長・発展し続ける生命の特性ゆえ三つの観点から捉えている言葉じゃ。
一番肝心なのは、「因縁より生ぜしところの法」じゃ。
これは、この心の世界、即ち互いに過去世から積み重ねてきた心でもって縁を持った相手を写し、また、写し出されながら万華鏡のように変化・展開する心を言ったものじゃ。
このような心をどう理解し、評価し、対応するかを教えたのが、この三つの観点じゃ。
一つ目が「空観」、二つ目が「仮観」、三つ目が「中観」じゃ。これは、観る方の心の境界にも関係してくる。段階を追うごとに心の境界は高まって行く。
先ず「空観」は、縁起によって成り立つこの心は、固定的な自性はないと観る。
次に「仮観」は、、縁起によって成り立つこの心は、仮に付けられた一時的な名前でしかないと観る。
そして「中観」は、縁起によって成り立つこの心は、互いに鏡のように写し合い、変化・展開し、成長・発展して行くものと観る。
この三つの観点でもって、心の存在形式であ「空」・「仮 」・「中」の三つの真理を観るのである。
じゃが大切なことは「空観」、「仮観」の二つの段階を踏まえた「中観」の境界に達することが重要じゃ。
今日の話はまずはここまでとする。明日はもうちょっと分かりやすく説明するつもりじゃ。
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(次回:「じゅうにょぜ…」)
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