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心の存在形式!

さて、魔法の法門の「一念三千」の「一念」、この世のすべてを造り出す心の構造・原理については一通り説明が済んだので、次にこの心が造り出す三千の世界について話そう。


この三千世界には、十の心の存在形式と、百の心の境界、そして三つの心を取り巻く環境がある。だから三千世界と呼ばれておる。


今日は、先ず心のあり方について話をする。


改めて問うが、そちは「心」というものを存在すると思っているか?


はい、お師匠様、目には見えませんが、確かに自分自身の心や他の人にも心を感じます。


そうじゃの確かに目には見えないが、自分や他人の心は感じるものじゃ。


それを論理的に説明すれば、「生命」のあるべき姿をイメージしたらよい。


この「生命」は、多種多様な生き物が互いに影響を与え、受けながら、一時も止まることなく、無限に広がり、その時々に姿・名称を変え永遠に発展して行く…。


お釈迦様は、このような生命の世界は、縁起で成り立っていると説いた。


そして、このように縁起で成り立っている生命は、そもそも固定的な自性というものは持ってなく、仮に付けられた一時的な仮の名前でしか表すことしか出来ず、だからこそ生命を表す言葉は「中道」であるとしか表現できない…。


お師匠様、「中道」とは何ですか?


正に言葉通りに、そもそも固定的な自性がなく、固定的な名称が付けることのできない成長・発展途中の生命を「中道」としか呼ぶとしか出来ないと考えた方がよかろ。


さらに難しくなるが、一番的確な表現として、お釈迦様のこの縁起の教えを賛嘆した言葉を紹介しよう。


「生じたということもないし、滅したということもない。常住ということもなく、断じるということもない。同一ということもなく、異なるということもない。また、来るということもなく、去るということもない。よくこの縁起のことわりを説いたお釈迦様に私は感謝申し上げます」


(マサキ君)…。


今のそちには、何が何やら分からないじゃろうが、これからゆっくり説明して行くから安心しなさい。



(次回:「因縁より生ずる所の法…」)



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