03話 死守
目の前に残されたそのナニカの雰囲気が変わり、世界はナニカが現れる前に戻る。
先程まで何も感じなかったのだが、そこに立ち眠るナニカが何処か…。
そう見ているとそのナニカを挟み立っている異形の金縛りが解けるのかその振り下ろしかけている拳が震えており、まるで張っていた糸が切れたようにそこに立つナニカを巻き込むようにして閏花へとその拳を叩きつけた。
その衝撃により地が揺れ、ヒビ割れ、地の欠片がはじけ飛ぶ。
あまりに巨大な破壊力到底それを喰らえばひとたまりもないだろう。
そう手ごたえがあったのかにやける異形だが、その違和感に笑みがゆっくりと解けていく。
振り下ろしたその拳の下には何もなかった。あるのは叩きつけたことにより生じたクレーターのような凹みだけ。
何処へ。目的のモノを探すように気配をたどるとそれは背後から感じ、ゆっくりと振り向く。
そこには先ほどまでもうすぐ死にゆき動けるはずのない人間が、目的のモノを守るように抱えて立っていた。
何で動いている?どうやって背後に?何か変った?そう理解できない謎に異形は頭を悩ますように首を傾げ固まっていた。
閏花は異形が動かない事を確認し抱えている眠るナニカを近くに生え立つその木にもたれるように預け、自身の右手をぐーぱーぐーぱーと動くことを確かめるように眺める。
異形がもったその困惑はその当人も持っていた。
何で俺は動けたんだ。それに先ほどまでの疲労が消えた…元から無かったように体軽い…それに枷が…、だがそんなことなど今はどうでもいい。
疲労は消え動けていても体が治ったというわけではない。左肩より先は失ったままで今なおだらだらと大量の血が零れ落ちている。
瞳を閉じ集中する。
七年ぶりか…。…体の中の流れを、周囲の流れを意識しろ。
体の周囲に突然、薄く緑白く、言い表すなら雪蛍のようなが丸い光が現れゆっくりと彼の肉体へと入るように集まっていく。
そして体に幾つかの緑白の光の閃がその失った肩へと流れる。
すると流れ出ていたその出血が収まり止まる。
荒療治だが止血できたら、今はこれでいい。長いこと血が流れ続けた。俺はもうすぐ本当に動けなくなり、死ぬだろうな。
恐らくあのナニカは御二方から貰ったあの花の種だろう。何の魔法か…何の儀式か…先のナニカが話していたことも分からない。分からないことばかりだ。ただ分かっているのは
そのナニカをこの命を賭して守る。この異形という脅威を俺がぶっ壊して排除すだけだ。
それだけはあの時から変わりはしない。
そう閏花は異形を睨み付け隻腕の右手を前に構える。
「来いよ…化物…」
その雰囲気の変化に警戒しながら理解できないと首を傾げていた異形だが、結局考えは単純であり、獲物でまだ遊ぶことができると、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「来ないのか…ならこちらから行くぞ」
そう言って閏花はフッと力を抜き前に倒れ、強く踏み込みながら超前傾姿勢で突っ込むように走り出す。
あまりに唐突なその速度に異形は驚きながらも腕を振りかぶり迫りくるそれを迎え撃つようにその剛腕を真正面で迎え撃ち振り上げようとする。
だが、それは全く間に合っておらず閏花は異形の懐へと潜り込み右手による掌底を水落へと決め、流れるように上へ活殺、秘中、天突を突く。
上半身の造形、見た目は人間のそれに近い、ならこの急所くらいは…
そう伺い見るがなんてことないように変化のない笑みを浮かべており、振り払うように体と剛腕をおおきく振り回す。
閏花はそれを避けるために遠くもなく近くもないその間に位置を取る。
…まあ、効いてはなさそうだな。
距離を取った閏花に次はこちらからと異形が襲い掛かり、閏花はその猛攻を軽々避け、その右手で器用に弾かれながら要所要所で人体の急所であるカ所に攻撃を刻み込む。
コイツは力も敏捷性も俺より遥かに高いと考えていた。だが力が高いのは確かだが敏捷に関しては恐らく間違いだ。
奴は俺を追いかけるのにわざわざ進行方向を変えるのにも襲い掛かるのにも少し間が空く。それは勢いをしっかり止めて整えるためというのもあるだろうが、その巨体で一からトップスピードが出るなんて本来有り得ない。そう言う魔術を行使していると言われれば何とも言えないが、魔力の反応は無く、使わない所を見るにその感じはない為に違う。となると考えは一つ。奴はその動きを出すためには大きな溜めが必要だという事だ。なら、俺は安全にその溜めをさせる隙を与えない。
とは言ったもの、コイツの肉体で人体と重なる四十あたりの急所を攻撃したが…。
そう異形の顔を見る以前、笑みを絶やしていない。
効果は無いな…。
蹴り上げるそれを利用するように受け距離を取る。
そして異形を見ながらも、まるで諦めたのか構えを辞めるようにその腕を降ろす。
それらで倒せたならよかったんだが、仕方ない。 得意でもなく…成功するかも分からない…だが、そんなこと言ってる場合じゃない。
全く動かないその獲物を見て異形も動きを止めてジッと見つめる。なんで動かなくなったのか、諦めたのか?いや、その顔に諦めの様な物は感じられない。さっきはあちらから来たんだ、なら次はこちらからと異形はやはり楽しんでいるように笑みを浮かべ襲い掛かる。
その瞬間、異形の視界から閏花が消えると同時に視界が揺れ回り地面が急速に迫り顔面を強打した。
異形は何が起こったのか理解できていなかった。理解できたことがるとすればそれは地面に倒れたという事だけ。
ゆっくりと体を起き上がらせ周囲を見るといつの間にか閏花が背後に立っていた。
閏花は異形がすぐそばまで迫った瞬間に一気に距離を詰め懐から回り込み異形の膝裏を蹴り払った。それにより異形はバランスを崩し顔面から地面へと転げた。
だが、そんなこと考える必要も理解する必要もなく、異形はすぐさま襲い掛かる。
しかし再び視界が揺れ回り地面へと叩きつけられるように倒れる。
あの巨体で、でたらめな攻撃の仕方だ。軸が全くなってない。それ故に俺の今の力でも容易くバランスを崩させることができる。
異形は再び起き上がり・襲い掛かり・倒れる・起き上がり・襲い掛かり・倒れる・起き上がり・襲い掛かり・倒れる・起き上がり・襲い掛かり・倒れる・起き上がり・襲い掛かり・倒れる…それを何度も繰り返す。
もうそろそろか。
異形が倒れ数十度目、ゆっくりと起き上がるが直ぐに襲い掛かることはなく、こちらを向いて止まる。
「ようやく消えたな。それにしてもバケモノらしい顔になったな」
異形の顔からは笑みなど等に消えており、プルプルと震え、顔から生える枝や歪みと皺、影で鬼の形相を形作っていた。
そして怒りの雄叫びというような不協和音の咆哮を響かせる。
それもそうだろう、先程まで奴は狩る側、弄ぶ側だったのだから。それなのに攻撃は一切当たらず、理解もできず倒れさせられ、自由が無く、寧ろ弄ばれている。これほどストレスが溜まることはないだろう。
異形は周囲全てを破壊せんとじたばたと暴れながら閏花へと襲い掛かるも、閏花はそれを難なく避け回る。
そして溜めていたのか次第に肥大していき、その剛腕に力をいれ叩き落とそうとする。
そうそれだ…それを待っていた。
先程まで避けてた閏花が初めてそれを受けるというように、そこに立ち止まる。
先程まで体に流れていた緑白の閃が全身から右腕へと集中し流れる。
だが、そんな事は見ても考えてもいない異形は構わずにその右腕を振り降ろす。
閏花はそれを右手で迎え受けるように出し、その拳の攻撃に触れ、受け流すように体を回転させ潜り込む。
その時には異形の攻撃が地面へと叩きつけられるのだが、まるでただその拳を地面に置いただけのように威力が無く先程までのような破壊、地響きは愚か何も起こらない。
そして閏花は攻撃を受けたその右手を異形の胸に掌底を撃つように叩き込み押さえ付ける。
未式 破花
掌底。
異形からすれば先ほども受けた痛くも痒くもない攻撃。そんなもの通じはしない。
だが、それが同じただの掌底だったならの話だ。
「破ぜろ」
すると異形の顔が初めて曇った。それは巨大な衝撃が響くのを、違和感を感じたからだ。それは体の中で肉が歪に暴れている。巨体である自身の両足が地に付いていない。宙に浮いていると。
閏花の攻撃は打ち付けられた胸から衝撃が暴れ内から外へと響かせた。
それにより外へと肉が圧迫され膨張し、
————————バン、と爆発音がなる。
耐えられなくなったその肉が、裂け破れ破裂して肉塊と体液が飛び散たのだ。
そして胸が無くなり留まり場のない両腕と、最後まで何もできていないような顔をした頭が鈍い音を立てて地面に転げ落ちる。
そのおぞましくも思える一瞬。
だが見る者によってはまた違う見え方もあっただろう。
そう、それはまるで花が弾けるように開花したように。
ダラダラと血が流れ落ちていた。
それは止血したはず左肩と、伸ばすその右腕の方から。
構えを辞めその右腕を下す。そこに腕の姿は無かった。
技を放ったその右腕が異形の胸と同じ様に破裂したのだ。
それは異形のそれよりも酷く、肉も骨もが面影などなく木端微塵になってしまう程に。
今回は運が良かった。運が悪ければ化物と同じように胸から破裂、いや最悪化物には何も起こらず自身の体全体だけが跡形もなく木端微塵になっている可能性すらあっただろう。
この技は自己犠牲の一撃、諸刃の剣であり技が放てれるかも分からない博打。そんな無謀ともいえるものだがこれ以外にも方法が無かったのも確かである。何もせず化物にやられるぐらいなら、僅かに可能性のあるコレを使う方がいいと。
何とかなったか…。
弱い息を吐くように空を見上げている。
空には雲一つ見えないのだが、見える筈の星の姿が一つもそこにはなかった。
一体何が起こってるんだろうな…。
そうゆっくりと顔を下へ下していく。異形だったものを見ているが完全に動く気配がない。倒したのだと。そう確認し閏花は力が抜けたようにふらついて倒れる。
本来であればその右腕の損失により悶え苦しむだろうが、全く痛みを感じない。脳は耐えれない程の痛みが生じた時痛覚をシャットダウンするとされているが今のこれはそれとは別のモノなのだろう。
体の端からどんどん体温が無くなるように冷たく、そして感覚が無くなっていくのが分かる。つまり俺は、俺の肉体は現在進行形で死に逝っている。
三百六十六の夜を守り抜けか…。
ナニカが言っていた事を思い出す。
どうやら俺にそれを果たすことはできそうにないな。まあ、いいだろ。すぐそばにあった脅威から守ったのだから。今の俺からすれば上出来だった筈だ…。どうせあいつはこの夜の異変もここまでの事も見ていてこちらへと恐らく向かってきているはずだ。後の事は…あいつが何とかしてくれるだろ…。俺よりもうまく立ち回れるはずだからな…。
閏花は僅かに動く目でゆっくりとナニカを見る。
これがもしも…本当に…御二方が守って欲しい…あったのなら…最後まで…果たしたかったな…。
そう心の中でつぶやくのを最期に閏花は真っ暗な闇の中で眠りつく間際
「マ…マ…?」
そう声が微かに聞えた。