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片想いじゃなくなる薬

作者: 夕山晴

 石造りのお店が立ち並ぶ町の、ある脇道に入り、右左右左ととある法則に従って進んだ先に、その店はある。

 看板は無く、何の変哲もない裏口のような扉が、店の入り口だ。


 ──カラン、コロン


 扉に吊るした鈴が鳴った。


「あら、またきたの。いらっしゃい」


 彼女──ミラはこの店の主である。

 ウェーブのかかった黒髪を緩く後ろで纏め、白い襟の黒いワンピース姿がミラの仕事着だ。


「俺はお客さんだからな。いつ来たっていいだろ」


 そう苦笑しながら来店したのは、目立つ顔立ちの剣士で、この店の常連客だ。


「……ヒューイ。確かにその通りではあるけれど」

「なんだ」

「貴方、有名人だってこと、忘れていないでしょう?」

「まあ、な」


 ヒューイは英雄だった。二年前、この町を襲ってきたドラゴンを撃退したのである。


「だが別になりたくて、そうなったわけじゃないからな」

「それは、私もよく知っているけれど」

「だろ。だからこそ、くるんだ、ここに」


 店内の来客用の椅子にドカリと座る。ヒューイのいつもの定位置だ。

 スラリと長い足を組んだ。


「……滅多に人はこないものね」

「あ、いい意味でだぞ」

「はいはい」


 ミラは来客用のカップにお茶を注ぐ。二つだ。

 ヒューイの前のテーブルに一つカップを置き、一つは自分用に店のカウンターに置く。


「投げやりな返事だな。でも本当だろ。俺よりむしろあんたの方が有名なんじゃないか」

「……ある界隈だけでね」

「かもな。でも国外からわざわざ会いに来る奴もいるくらいだ」

「ふう、興味本位でこられても困るのだけれど」

「ま、興味を持つのも仕方ないんじゃないか。──世にも珍しい魔女様なんだから」


 ヒューイはミラを軽く指差し、ミラは首を竦めて見せた。


 魔女──その身に不思議な力を宿し、それを操ることができる。火や水など魔法による物理的な干渉とは違い、精神的に干渉ができるのだ。しかも何の力も無い人間が、それを行使できるように、なる。

 魔女はその力を使う為の媒介を作れるのだ。それさえあれば、ただの人間も、魔女の力を使えるようになる。


「俺もあんたのおかげで今生きてる。俺が英雄だと称えられるのもあんたの力のおかげだ」

「そんなこと。貴方が努力をしていることは知ってるわ。私はただ少し力を貸しただけ」

「ドラゴンに帰省を促すのが?」

「それだって、ただそうできるわけじゃないでしょう。貴方がドラゴンを剣で刺すことができたから」


 魔女の力は、代償や発動時の副作用が必要で、さらには特殊な発動条件が必要な場合もある。求める力の強さによってその対価は大きくなる。

 ヒューイがドラゴンに相対したとき、ミラが作った剣を所持していた。それはドラゴンを撃退するために、無理やり帰省本能を呼び起こすことができる代物だった。

 力の発動条件は、その剣でドラゴンに傷をつけること。空を飛び、巨大な肢体を動かしながら炎を吐く相手は、近づくことすら普通は困難なのだ。


「自分で作ったのだけれど、あの発動条件は、結構高難度だったと思うのよ。だから成し遂げた貴方の力が優れていたということ」

「なんだかなー。まあそういうことにしといてやるよ」

「助かるわ」


 ミラは安心したように息を吐いた。

 ミラは珍しいと言われる魔女だが、それによって今の生活が変わってしまうことが何より苦痛なのだ。


「で、どうなの。最近は」

「特に何も。今まで通りだ」


 ふう、と何でもない素振りで聞く。

 それは聞きたいが、聞きたくない、そんな話。


「そう。……それでヒューイは満足なの?」

「ま、満足なわけではないけどな。俺が何も行動しないんだから、仕方ないというか。別に彼女を困らせたいわけじゃないし」


 彼はここに恋愛相談に訪れる。

 そのついでに店の商品をいくつか買ってくれるのだ。


「貴方に言い寄られて困る女の子なんているのかしら」

「なんだそれ、いるだろ、ふつーに」

「え、だって、貴方、英雄だし。見た目だっていいでしょう?」


 知名度もあり、将来性もあり、お金もある。見た目もいいし努力だって怠らない。

 他に何か必要だろうか。


「あのなあ、それが嫌だって奴もいるんだ」

「へえ?」

「目立ちたくない、とかな」


 言われて納得した。

 確かに、ヒューイといるのは目立つだろう。

 英雄の肩書にしろ、目を引く整った見た目にしろ。


「難儀ねえ」

「……全くだ」


 眉を寄せるヒューイをとても可愛らしく思う自分は、きっと愚かなのだろう。

 五歳も上の女に、いまさら彼が恋愛的な興味を持つはずもない──しかも今は別に興味のある女の子がいるから尚更である。

 だからといって彼がここに来なくなってしまうのは寂しいから。

 ミラは彼の想いを応援する素振りをする。


「ふふ、どうしても必要になったら、声を掛けてくれていいわ」

「何」

「作ってあげる。特製の、お薬」

「はあ。ろくでもないやつか?」


 以前、試験的に作った体力が倍増する薬を飲ませたことをヒューイは根に持っていた。

 それは魔女の力を使用せずに、ただ薬草をブレンドして作った、表通りで売るための薬。

 ミラの店は入り口が二つあり、一つは魔女用の、もう一つは表通りに面した薬屋なのだ。

 効果はまちまちで、おかしな薬も多いことから売上は多いとは言えないけれど、そちらが表の世界で生きていくためのミラの顔だった。


「まさか!ちゃんとしてるやつよ。……私は、片想いも楽しいと思うのよ。相手の一つ一つが気になったり、相手の事をただ想う時間だったり、そういうのもいいと思うの」

「ふうん?」

「だけど、それがもし、楽しくなくなったら。楽しくなくなったら、つまらないでしょう?そしたら作ってあげる」


 立てた人差し指を唇に当てて。内緒話をするように。


「──片想いじゃなくなる薬」


 ヒューイの目の奥が揺れたのをミラは見逃さなかった。




 ◇◇◇




 ミラは薬に使う薬草を採りに森へ出向く際、いつも護衛を連れていた。

 森には魔物が生息しているからだ。

 しかし本来ミラには護衛は必要ない。仮に魔物が出てきても対処できるだけの術を持ち合わせている。

 ただ、軽装備の女が一人、魔物が生息する森に入るのは目立つ。それを避けるための手段だった。費用はかかるが仕方ない。


 ヒューイが英雄になる前──今から五年前ほどだ。

 あるとき、その護衛を引き受けてくれたのがヒューイだったのだ。


 自分より年下、まだ少年の彼に護衛を依頼したのは、別にミラの指示ではなかった。

 その依頼をした時、空いていたのがたまたま彼だっただけのこと。

 ミラは自分の身は自分で守れるし、いざとなれば護衛の身も守れるし、大した実績のないヒューイでも構わなかった。

 そうして薬草を採りに出かけたとき、運悪く魔物と遭遇した。


「……あら。今日は良くないことがありそう」

「おい!何やってんだ!下がれ!」


 ミラとヒューイの温度差は激しかった。

 かたや小さく嘆息、かたや剣を震わせ目を吊り上げる。

 魔物の前から動こうとしないミラにヒューイは自暴自棄になっていると思ったのかもしれない。

 厳しい声で叱責した。


「あんたは俺の依頼主だろ!ちゃんと俺が守ってやるから!」


 ミラははっとした。

 まだ少年の、彼の言い分が正しいと思ったのだ。


 ──彼はこれが仕事なのだ。

 自分の身は自分で守れるけれど、ここは彼に護られようと。


 そろそろっとヒューイの後ろに移動すると、ヒューイの動きは素早かった。魔物の視界にミラを入れないように──視界に動くものがあると魔物は襲ってくるからだ──必ず魔物とミラの間にヒューイは立つ。彼が魔物を剣で切りつけ倒すまで、大人しくミラは護ってもらったのだった。


 このときからヒューイを気に入り、薬草採取にはいつも彼に護衛を依頼することになる。

 見るたびにレベルアップしていく彼を、応援したいと思ったのはいつからだったか。

 気づくと、いつも頑張る彼を可愛らしく愛おしく思っていた。


 親心に近いものだったはずのそれが、恋愛的なものを含んでいると気づいたのは、ヒューイが恋愛相談をしてくるようになってからという──なんとも間抜けな話。




 ◇◇◇




 ある朝、店の開店と同時に、ミラは、金のラインが入った封書を受け取っていた。

 開かずにプラプラと目の前で掲げ、弄ぶ。

 これは、王城からの手紙。王家の紋章があしらわれた封書だ。手渡してくれた配達員も、王城の者。この場所も知られているということだ。ご丁寧に裏──魔女側の入口へと配達してくれた。


「……これは、なにかしら……」


 思い浮かぶのは、英雄ヒューイのドラゴン退治の剣。

 魔女のミラが、王家に関連する大きな出来事に手を貸したのは人生であれが初めてだ。

 そして最後になるはずだった。


 ──カラコロカララン!


「ミラ!」

「あら、ヒューイ。いらっしゃい。そんなに慌ててどうしたの」


 乱暴に足を鳴らして入ってきたヒューイは、ミラの手にある封書をひったくった。


「何をそんなに呑気にしてるんだ!王家からの封書を片手に!バレたんだぞ!」

「……ええ。そうね」


 そもそも隠れていたのがまずかったのかもしれない。

 世にも珍しい魔女様は、影に隠れては生きられないということだ。たとえミラがそれを望んでいなくても。


「なんて書いてあるのかしら」

「………………三日後に、王城にくるように、だと」

「そう……」


 ミラは後ろ髪を解いて、笑う。


「バレちゃった。呼ばれたのは……力を持ってるなら、人の為に──いいえ、王の為に使え、とそういうことでしょうね」

「あんたが嫌なら、行かなくてもいいんじゃないか?」

「そういうわけにもいかないのは、ヒューイもよく知ってるでしょう」


 王に目を付けられれば、どこにも隠れられない。

 ヒューイも英雄として、王家に鎖を繋がれてしまっているようなものだ。

 呼び出されれば参じ、命じられれば戦い、まるでそれが英雄であるための証であるかのように。


「知っているということは、ヒューイのところにも命が下ったのでしょう?魔女を連れてくるように、かしら?……貴方には、本当につらい思いをさせたと思う。そんなつもりはなかったのだけれど。本当に、余計な負担を掛けてしまって、どう謝罪していいのかわからない」

「いや、あんたが悪いわけじゃない。むしろ俺はあの剣がなければ死んでいたんだから」


 ヒューイはドラゴンが現れたとき、強さではそれなりに有名だったが、単なる傭兵だった。

 少しでも街への侵入を食い止められれば、ということで集められたのだ。

 ドラゴンなんて伝説級の生物、まともに立ち向かえば、死ぬのは明白だった。

 ミラは死んでほしくなかったのだ。

 これまで隠していた魔女の力を使って、店にあった飾りの剣に願いを込めた。

 それで作られた、ドラゴンを撃退する剣は、見事に目的を達成したのだった。


「でも、私は、貴方に英雄なんて面倒事をさせるつもりじゃなかった」

「わかってる。ミラにそんなつもりがなかったことくらい」


 ミラの目は暗くなる一方だ。

 そんな慰めを受けたところで、ミラがヒューイに与えてしまった影響は大きい。

 人生を変えるほど。


 どんどん表情が曇るミラを横目に、ヒューイは言いにくそうに頬を掻く。


「ああ、そうだ。じゃあ、一つ願いを聞いてくれよ」

「何?貴方の願いなら、できる限り応えてあげたいわ」

「前言ってたろ」

「え?」

「……片想いじゃなくなる薬。作ってくれよ、今」

「……え?」

「ほら、王城に行ってしまえば、いつ作ってもらえるかわかんないだろ」

「でも私、言ったでしょう。作るのは片想いが楽しくなくなったら、って。今、楽しくないの?」

「……楽しいかどうかわからなくなった。いや、いいんだこの話は。今作ってくれないか」


 ポリポリと頬を掻く姿も、これで見納めになるかもしれない。

 王が魔女を簡単に手放してくれるとは思えないからだ。王城の一室に閉じ込められたとしても不思議ではない。


 気を紛らわせようと言ってくれたのだろう願いに、心の中で感謝と謝罪を繰り返す。


「……いいわ、すぐに」


 ミラはそう言って、ポットに入った水を小瓶に注ぐ。蓋を閉めて、軽く振った。

 目を瞑り念じれば、身体が一瞬光り、魔女の力は発動する。


「はい、どうぞ」

「それだけなのか?」


 力を使うところを見せたのは初めてだった。

 訝しげなヒューイにミラは力無く笑う。

 ただこれだけだが、体力と気力が一気になくなる。体内の魔力が使われるからだ。


「ええ、飲むだけで、大丈夫よ」

「俺が?」

「そうね。飲んだ後は眠くなるかも。ただ、副作用は、わからない」


 発動条件は、魔女自らが設定できた。

 ただ、副作用は、設定できない。発動条件を高く設定すれば多少抑えられるが、その効力に見合うだけの代償や副作用が力を行使した者に与えられる。

 思えばヒューイの英雄としての鎖は、ドラゴン撃退の力を使用した代償だったのかもしれない。

 魔女の力を使用すれば、意にそぐわないことでも甘んじなければならなくなる。


「……そうか。ここで飲んでも?」

「大丈夫よ」


 ミラは小瓶の中を小さな器に入れる。

 ヒューイはなみなみと注がれた水を一気に飲み干した。


「味は、しない、な」


 そう呟いて、ヒューイは目を擦り、椅子に座った。

 そのままテーブルに突っ伏して寝てしまったヒューイの背中にブランケットを掛けながら、ミラは「ごめんなさい」と呟いた。


 片想いじゃなくなる薬──それは両想いになる薬ではなく。

 ヒューイには言わなかったが、それは片想いを忘れる薬だった。

 片想いは楽しい時もあるが、辛くなる時もある──ミラの今がそれだ。それをなくすための薬。

 楽しいかわからないとヒューイは言ったけれど、本来きっと彼には必要のない薬だったはずだ。

 それがわかっているから、詳しく話を聞くこともせず、彼が言った『わからない』を鵜呑みにして、薬を飲ませた。


 本当は、ヒューイが意中の女の子と仲良くなっていく姿を見守るつもりで。

 本当は、本当にヒューイが片想いに疲れたときにこの薬を渡すつもりで。

 どう言い繕っても、もはや言い訳にしかならない。

 ミラは、自分の私欲で──自分がヒューイを見守ることすらできなくなるかもしれないなら、と──ヒューイの気持ちを勝手に消したのだ。


 ミラは小瓶を手に取り、残った水を飲み干した。

 こんなに辛くて醜い思いなんて、消えてしまえと願いながら。







 目を覚ました時、辺りはすっかりと暗くなっていた。

 先に眠っていたはずのヒューイの姿はなくなっている。


「帰ったのね」


 しん、とした店内に、ミラの心がずきんとした。


「副作用かしら?」


 薬は飲んだ。ヒューイへの片想いは綺麗さっぱりなくなった。

 自身に使ったことはなかったが、効果はあるだろう。


「王城に行かなくちゃいけないわ。英雄に迷惑をかけちゃいけないものね」


 手紙では三日後だったが、早く着いたとしても何ら問題ないだろう。

 魔女の力を手に入れるのが早くなるだけだ。

 ミラは店内にあった手ごろな薬をいくつか鞄に入れて、王城へ向かうことにした。



 ◇◇◇




 王城に着いたミラは丁重におもてなしされた。

 思っていた最悪の事態とは異なり、歓迎ムードだったのだ。閉じ込められることもなく、快適な生活を送れている。

 ただ、王城からの外出はやはり困難であるようだった。


 しかしそれよりもミラを悩ませる問題が起きていた。


「……やっぱりおかしいわ」


 作った薬が効いていないのだ。

 いつの間にか魔女の力はなくなってしまった。これまで効かないと苦情をもらったことはなかったのに。


 おいしいご飯を食べ、美しいバラ園を眺め、大きなベッドに潜っても。

 頭をちらつくのはヒューイだった。


 三日前、王城に出向く前に作った、片想いを忘れる薬。

 それをヒューイとともに飲んだにもかかわらず。

 効いていないとわかってから同じ薬を何度か作り、試してみたが、一向に改善する気配はない。


 王から、力を見せてほしいと言われても、こんな状態では何をしてあげることもできず、単なる居候となっている。

 今は体調が優れないと言っているが、いつまで誤魔化せるかはわからない。


 人の為にあるはずの魔女が、自分の私欲の為に騙してまで、ヒューイの片想いを忘れさせようとしたから、きっと。

 魔女の力は失われてしまったのだ。


 今頃、きっとヒューイは両想いになったと喜び、意中の女の子へと突撃しているだろうか。

 両想いにもなれず、片想いをも忘れられない、ただの水を飲み、勘違いした男になっていないだろうか。

 願うなら、突撃したヒューイを受け止めてくれる女の子であってくれますように。

 そう願うしか、ミラにはできない。


『──を、守れ!』

『……めろ!』


 騒がしい物音にはっとし、ミラは扉に近づいた。

 近づいた瞬間、扉が勢いよく開けられる。


「わ!」

「ミラ!!」

「……ヒューイ!?」


 どうしたの、と問う前に、雪崩れ込んでくる近衛兵。


「ヒューイ様!いかに英雄の貴方だろうと不法な侵入は許されることではありません!」

「知るか!俺からミラを奪おうとするからだ!」

「何を……!ミラ様お逃げください!ヒューイ様がご乱心で!」

「何が乱心だ!俺は正常だろうが!」


 正常な人間が、王城に単身乗り込んでくるとは思えないが、ヒューイの目は確かに正常である人間のそれに見えた。


「ヒューイ、どうしたの」

「ああ、ミラ!よかった無事だったんだな」

「ええ、この通り大丈夫よ。貴方は、どうしたの」

「どうしたもこうしたも!あんたが突然いなくなったから!心配で」


 そういえばミラは封書に記載された日よりも早く出てきてしまっていた。

 書き置きくらい残すべきだったかと反省する。


「ごめんなさい」


 でも、ヒューイがあの店にくることはないと思っていたから。


 ヒューイが店にくるときは大概、意中の女の子の話をしにくるときで。

 恋愛相談ができる相手がいないのだと言っていたから、その相手が記憶からなくなればあの店にくることも激減すると思っていた。


「あと、貴方には謝らなければならないことがまだあるの」


 どれだけ彼に謝ればいいのか。彼には本当に迷惑しか掛けていない。

 雪崩れ込んできた近衛兵をなんとか部屋の外へと追い返してから、ヒューイと二人、扉の前で向かい合う。


「あの、実は、出発前に作った薬なのだけれど、効果がないみたいで」

「え?」

「本当にごめんなさい。試しに私も飲んでみたけれど、一向に効かなくて。しかもあれは……両想いになれる薬なんかじゃなくて、片想いを忘れてしまう薬、で」


 嘘は言わなかったが、騙した。詐欺師の手口に近い。

 後ろめたいミラはもうヒューイの目は見ることができなかった。


「え!ちょっと待て!あんたも飲んだのか?」

「え、ええ。気になるのはそこなの?勝手に貴方の片想いを忘れさせようとしたのだけど」

「効かないんだろ?じゃあいい。それよりもあんたに想いを寄せる相手がいたなんて初耳だぞ」

「それは言っていなかったもの」


 本人に向かって言える話ではない。


「はああ、ほんとその薬、効かなくて良かった。焦るわ」

「……もうなんて謝ればいいか……」

「そうだな。勝手にミラへの想いを忘れさせられたら王城へ乗り込むどころじゃなかった」

「え?」


 ミラは思わずヒューイを見た。嫌われたかも侮蔑されたかもと感じたミラの不安は少し潜めた。

 ミラを見るヒューイは普段と変わらない顔だったから。


「……やっぱ薬なんかに頼っちゃ駄目だったな。今の関係を壊したくないしこのままでもいいかとも思っていたんだが、あんたが薬の話なんかするもんだから。確実にこの想いが成就するんなら……と思ってしまった。情けないことに」

「……何を言ってるか、わかってる?」


 みっともない期待が少し心に浮かんではそれを否定する。胡乱げに見つめるが、ヒューイの顔はやはりいつもと変わらない。


「なんだ、あんたも俺を乱心だとか言うんじゃないだろうな。いたって正常。真面目な話。こんなに真摯に話す俺は珍しいぞ」

「……いつもお店で女の子の話、してたじゃない」

「この際だから言うが、全部あんたの話だ。……ああこんなふうに言うはずじゃなかったんだが」

「私のせいね」

「そうだな。責任取ってほしいくらいだ」


 ポリポリと頬を掻くヒューイをミラは相変わらず可愛らしく思う。


「俺があんたから見れば子供じみてるのは知ってる。あんたが好意を向ける相手もいると今知った。だが……どうだ、俺とのお付き合い、考えてみてくれないか?」


 これは夢なのではないだろうかとミラは目を見開いた。

 まさかこんな言葉が、ヒューイの口から聞けるなんて思いもしなかった。


 呆然と立ち尽くすミラに、ヒューイは「急にこんなことを言って困らせるつもりはなかったんだ、返事は慌てなくていい」と言ってくれる。

 その優しさが心に沁み、ミラはいっそう惨めに思う。

 ミラはヒューイの想いを勝手に消そうとしたのに。それは魔女として──人として、やってはいけないことだった。


「そんな、駄目よ、こんな。……貴方への想いを消すために、薬を飲んだのに」

「……は、」

「本当よ。勝手に嫉妬して、ろくに説明もせず、薬なんて飲ませて。……失望されても仕方ないと思ってる。こんな私が、嬉しい、だなんて思う資格なんてないのに」


 嬉しく思う自分がいる。

 情けなさと恥ずかしさでミラは顔を手のひらで覆う。

 ヒューイの溜息が頭上で聴こえた。


「……あー……ろくでもないな。人を好きになるなんて。……そんなあんたでも愛おしいと思ってしまうあたり」


 満面の笑みでぎゅっと抱きしめられて、身近に感じるヒューイの体温が心地よい。

 耳元で聞こえた声はたぶんずっと忘れない。


「ミラ、嫌だろ。目立つの。……逃げるか?」


 扉の外では近衛兵が集まってきているようで、ざわめきは部屋の中にまで聞こえていた。

 そろそろ王から何か指示が出ていてもおかしくない。


 ミラは英雄の顔を見上げる。

 魔女で、英雄のそばで、王に仕えれば好奇の目に晒されるのは必至だ。

 しかしミラにはそれ以上に守りたいものができてしまった。

 もうこの腕の中を誰にも渡したくない。

 ヒューイといることで目立つのなら、受けて立とうじゃないの、と思うくらいに。

 本当、人を好きになるなんて、ろくでもない。


「逃げない。貴方と一緒に目立つのなら、構わないわ」

「何それ格好いいな、あんた」

「ふふ、私が守ってあげる」

「それは俺のセリフだろ」


 そう言って笑い合う。


 片想いじゃなくなる薬。

 効かなかったのは、お互い想い合っていたからなのね、とミラは自分の行いを深く深く反省し。

 二度と私欲の為に魔女の力を使わないことをヒューイに──伝えたところで彼は気にするなと言ってくれたけれど──誓ったのだった。


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