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高嶺の花  作者: 鈴木いち
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彼女の決意

「エマは俺のお嫁さんになってくれないの……?」


 顔面蒼白で立ち尽くす男をエマは呆然と見つめていた。右肩の上でゆるく結ばれた髪は今日もまばゆいほどに光を弾き、その金糸を束ねるリボンが冴えない赤茶色であることにこの時初めて気がついた。

 記憶の中の少年とは似ても似つかない逞しい体つき、首が痛くなるほど見上げなければ合わなくなった視線。節くれだった大きな手にはなぜか百合の花が握られている。何もかもがあの頃と違うのに、絶望を映す瞳はやはり幼い日に見惚れた透明な青だった。



 ◆



 エマは限界だった。エマだけでなく同僚も上司も、さらにその上のお偉方まで皆が皆超過労働を示すどす黒いクマを目の下にぶら下げ、蓄積した疲労を引きずりながら幽鬼のような足取りで、それでも忙しなく城内を行き交っていた。

 寝たい。帰りたい。休みが欲しい。共通のささやかな夢を抱きながら、誰もが皆それが叶わないことを知っていた。平時は端正な上司も執務室の住人と化した今はすっかり草臥れてしまって色男が型無しだ。「さすがに数日着たままなのはまずいと思って自分で洗ったらこうなってしまった」と苦く笑う彼のシャツはもはや古紙のような風合いを示している。よれよれシワシワでもかろうじて守られた白さのおかげで清潔感が損なわれていないのが唯一の救いだった。


 数少ない女性文官であるエマは同僚達と執務室で寝るわけにもいかず何とか家に帰っていたが、ただ寝る場所が変わるだけで睡眠時間が増えるわけではない。むしろ通勤時間の分睡眠が削られている。ベッドにたどり着けず玄関で崩れ落ちることもあれば風呂で意識を飛ばしたことも一度や二度ではない。

 この状況がいつまで続くのか誰にもわからない。きっと今がピークで少しずつ落ち着いていくはずだ。それは間違いない。しかし、これがどんな傾斜の下り道なのかは全く、誰にもわからないのだ。


 昨年、大陸を二分した戦争が終わった。

 いつから始まり、なぜ争うのか。国民の多くは正直なところよく知らないまま、生まれた時にはすでに戦争はそこにあった。

 そうして長い長い年月を経て様々なものが変わっていく中で、争いだけがそのまま取り残された。もはや形骸化した建前で殴り合うだけの虚構を終わらせようと言った異国の王はまさしく賢君なのだろう。

 過去積極的に争っていた国々も、その周囲を取り巻く国々も、一斉に足並みを揃えて望外の平和に手を伸ばした。皆、もう十分に疲れていた。今この時、歴史は変わる。変わらなければいけない。広い大陸のあちこちに様々な色形のしこりが残っている。けれど、長い年月の中で戦いの意味が風化したように、それも時間が少しずつ削り取っていくだろう。

 新しい時代。より豊かに、おおらかに我々は交わっていけると人々は期待に胸を膨らませた。


 各国の王がぎこちなく微笑みを交わしていたその日、城内は達成感に包まれていた。

 為政者達が囲む和平のテーブルを出来るだけ穏便に幸福に、渾身の力で調えた文官達は会談終了の一報を受けて互いに手を取り合い、歓声を上げた。脳も身体もそして精神(こころ)も酷使され続けた彼らはこれから訪れる輝かしい未来と、ようやく迎えた平穏な日々に涙を流した。やっと家に帰れる、ゆっくりベッドで眠れる。そんなささやかな希望を夢見るように囁きあった。

 これからもっと忙しくなるなんて、その時は誰も知らなかった。



「エマ〜、財務室からご指名だよ」

「わかりました」

「大丈夫?無理言われてない?」


 後ろから飛んできた心配げな声にエマは表情筋を総動員して笑みを作った。

 自分だって忙しいのに新人を気にかけてくれる先輩達を見ていると、寝ぼけ眼で朝から生け垣に突っ込んだとしても今日も頑張ろうと思える。しかし、それはそれとして休息は欲しい。


 城内を歩くならせめてもと、みっともないスカートの皺を整えながらエマは立ち上がった。


「いえ。昨日晩餐会の予算を申請したのでその件かと。ついでに王子妃様の衣装の確認に行ってまいります」

「君そんなことまでしてるの……?」

「流行に詳しいわけではありませんが、隣国は色に関する伝承があるので仕立てに入る前に軽くデザインの確認だけさせていただいてます。信仰に起因する問題は後を引きますから」

「はぁ……さすがだね。我々は後宮には入れないし、本当にエマがいてくれてよかったよ」

「恐縮です。私なんて、偶然ディンケルに生まれただけですよ」


 情熱的に愛を語る男性が好まれる国だからか、いつも惜しみなく褒めてくれる同僚達にそっけなく謙遜しながら、エマの表情にはほのかに照れが浮かんでいた。

 百戦錬磨のベテラン文官達に混ざって働く期待の新人はどこか自己評価が低く、褒められ慣れていない。その様子が懐かない猫のようで、周囲はまたあれこれ構いたくなってしまうのだった。


「……エマ君」

「はい」


 せっかく財務室に行くのならと周囲から提出書類を集めていたエマに部屋の主から声が掛かった。重々しい響きに何をやらかしたのかと記憶をさらっていると、深刻な声がもう一度エマの名を呼んだ。


「絶対帰って来てくれ」

「はい?」

「財務室に行くたびに君を返せと言われるんだ……『せっかく本人の希望通り財務室配属になったのに、よりによって激務の"外衝(がいしょう)"に攫われるなんて』と。すまない……だが、どうか、どうか我々を見捨てないでくれ……」


 悲壮な表情で懇願しながら上司が机に隠し持っていた菓子を差し出してくる。呆気にとられている間にそうだそうだと周囲からも集まってきて、あっという間にエマの両手は菓子の山を抱えていた。何とも可愛らしい買収に堪えきれず笑いがこぼれる。


「戻ったらお茶を淹れましょう」


 皆がこんな調子だからエマは頑張ってしまうのだ。特別なところなんて何もない、運だけでここにいるエマに。



 通称外衝(がいしょう)──外務問題等調整室がエマの職場である。文官になった当初の配置は財務室だったが、配属から半年ほど経ったある日、突然外衝の長が「エマ・ディンケルを借り受けたい」と乗り込んできたのだ。それからすぐにエマは通訳として連れ回され、翌週には貸し出された(・・・・・・)はずのエマの机が外衝の室内に移動、一年目の新人が上級文官に引き上げられていた。驚きのスピード出世である。エマは任命書を受け取ってすぐにあり得ない、何かの間違いだと財務室の上官に訴えたが、何もできないと言われてしまった。途方に暮れるエマを元凶である外衝の面々が慰め、熱烈に歓迎し、隣国にまつわる案件をエマの机にドドンと積んでいった。こうしてエマは"外務関係の何でも屋"である外衝の一員となった。



「無理だと思ったら正直に言うんだよ。あちらの強引さには長官もお怒りなんだから」

「はい」

「これから私生活が忙しくなったらあそこでは大変だろう」

「はい?」


 ほぼ存在しない私生活への配慮に首を傾げながら、古巣の財務室を出たエマは続いて城の最奥に位置する後宮へと足を向けた。半年ほどしか在籍していなかったにも関わらず、こうして若いエマを心配してくれる元先輩達の言葉もまた、慣れない業務に奮闘するエマには本当にありがたかった。

 とは言っても自分に出来るところまでは外衝で頑張るつもりだ。他に適任が見つかればエマはすぐにお役御免になるだろう。だからこそ今は少しだけここで踏ん張ってみたいと思う。

 よし、と心の中で小さく気合いを入れ、両手いっぱいに抱えた資料をぎゅっと抱き直した。


 エマが外衝に引き抜かれたのは何も優秀だからではない。

 エマの父であるディンケル子爵が治める領地は国境に位置している。先の戦争において対立する立場をとっていた両国も民間レベルの交流は連綿と続いており、その中心がディンケルだった。

 隣国の言葉を話せ、文化を肌で知っていて、すぐに動かせる便利な人材。それがエマだ。

 ただの偶然、純然たる運だが、エマのように何も持たない人間にとっては運も実力のうちだと自分に言い聞かせ、今日も城内を奔走する。



「外衝のエマ・ディンケルです。王子妃様の衣装の確認に参りました」

「お待ちしておりました」


 後宮の入口で待ち構えていた侍女に連れられて応接室へ入ると、挨拶もそこそこに打ち合わせが始まった。

 年齢や性別を理由に侮られることの多いエマはどんな尋問にも耐えられるようたくさんの資料を持参していたが、今日それらが役に立つことはなさそうだ。未婚の女性が主である後宮の侍女達はエマをいたずらに貶めない。仕事相手として対等に向き合い、エマを信頼する彼女達の態度は摩耗したエマの自尊心に回復の魔法をかけてくれる。これでまたもう少し歩いていけるだろう。


「隣国では紫と銀色の組み合わせは聖職者の色とされています。今回の布地は青ですが、光の加減で変化して見える可能性を考慮して念の為銀色の装飾具や糸は全て避けてください」

「わかりました。急ぎ仕立て屋に確認しますわ」

「ご協力に感謝いたします」


 サクサクと話がまとまったところでテーブルに置かれた異国の織物に視線を落とし、自然と笑みがこぼれた。まだ年若い王子妃様は見慣れない色や模様の異国の布にも果敢に挑戦してくれる。堂々と艶やかに笑う彼女が流行を作り出し、見知らぬ異国への憧れが生まれる。


 エマは少しずつ変わっていく王城の中や街の雰囲気を見るのが好きだ。

 終戦に伴い、それまで制限されていた人や物の移動が大幅に緩和された。もちろん仔細に検討し、会談の場で取り決めがなされたが、それはそれだ。実際動き始めれば大小様々な問題が数限りなく発生する。言語も文化も通貨も、何もかもが違う人間同士が行き来するのだ。現実はめでたしめでたしでは終わらない。

 終戦から1年、広大な大陸には何種もの水と油をぶちまけて雑にかき混ぜたような混沌が広がっていた。ところどころで混ざり合い、反発し合う。その複雑なマーブル模様に一つずつ標識を立てていくのがエマ達の仕事だった。王子妃様のように大きな流れを作る力はない。毎日毎日気の遠くなるような地道な作業の繰り返し。それでもきっと少しずつ変わっていく。変えている。祈るようにそう信じて、日々机にかじりついている。


「ところで」

「はい?」


 一段落したところで一流の侍女が淹れてくれたお茶の味に感心していると、向かいに座る彼女達の目がキラリと光った。


「あの麗しの騎士様のお相手がエマ様だとどうして教えてくださらなかったのです」

「は……?麗しの騎士様とは……?」

「レイフ・エスコラ様ですわ」

「レイフが何か……?」


 突然出てきた幼馴染の名前にひたすら困惑していると、紅の引かれた美しい唇から更なる衝撃がもたらされた。


「あれだけ人気がありながらご令嬢方の誘いを全てお断りされているエスコラ様が自分の結婚相手はエマ様だと仰ったとか」

「はぁ!?」

「普段無表情なエスコラ様が回廊を歩くエマ様を見つけた時だけ花が綻ぶような笑みを浮かべると専らの噂です」

「いえ……あの、幼馴染なので気安いだけかと」

「まあ!お二人は幼い頃からの仲なのですね!?エマ様を選ぶとは見る目がお有りだと思いましたけれど、一途にずっと想い続けているなんて、ますます素敵ですわ!」

「いえ、あの、違います……本当に……」


 ギラギラとした目で詰め寄ってくる彼女らに気が遠くなりながら、否定の言葉だけを重ねて何とか部屋を抜け出した。

 この国一の女性に仕える美しい侍女達。彼女らには自分のこのみすぼらしい姿が見えていないのだろうか。目の下の大きなクマに伸ばしっぱなしの髪。仕事に追われる毎日は元々地味なエマの容姿をさらに曇らせていた。

 "麗しの騎士様"─などというむずがゆいあだ名は今日初めて聞いたが─とボロボロの新人文官に恋の噂など立つはずがない。

 早急に幼馴染みと話をしなくてはと、エマは拳をきつく握りしめた。



 ◆



 翌日、遅い昼休憩の時間を使ってエマは城内にある騎士の訓練場に来ていた。午後の照りつける陽射しの中、大きな声を出しながらそこかしこで騎士が打ち合っている。

 エマの幼馴染み以外にも終戦により王都に帰還した者がたくさんいるのだろう。決して狭くない広場には汗だくの男達がみっしりと詰まっていた。激しい動きに合わせて砂埃が舞い、お世辞にも爽やかな光景とは言えないが、デスクワークで萎れたエマの目には十分に健康的でまぶしく映る。

 しょぼしょぼとまばたきをを繰り返しながら目当ての人物を探していると、騎士達の中からひときわまぶしい金髪がこちらに走って来るのが見えた。


「エマ!」

「レイフ、今少しいいかしら」

「エマ、またクマがひどくなった」


 キラキラと日光を反射させながら一直線にこちらに向かってきた彼はその長い足であっという間にエマとの距離を詰めてしまう。


「気のせいよ」

「そんなわけない。ちゃんと休まないと駄目だ」


 大きな手がエマの頬を包み、節くれだった指が目の下をなぞった。

 幼馴染みの気安さからか、レイフは昔からエマに対してとても距離が近い。幼い頃はそれでも問題なかったが、今目の前にいる"麗しの騎士様"は切なげに眉を寄せる表情まで美しく、優しく触れる仕草は恋愛小説に出てくる王子様のようだ。

 目の前でキラキラと輝いている男を見て、エマは改めて思った。これはダメだ。無理だ。この綺麗な男にあまりにも不釣り合いで不名誉な噂を一刻も早く清算してあげなければ。


「レイフ、少し話がしたいのだけどいつなら時間が取れるかしら」

「今日はこの後警邏に出るけど、明日は一日(ここ)にいるよ」

「じゃあ明日の夕方にでも」

「わかった。忙しいエマが忘れないように迎えに行く」

「忘れないわよ!」


 笑いながら訓練場に戻っていくレイフの背中を見送り、エマはまぶしさに目を細めた。

 自分はきっとこのまま一人で文官として生きていくだろう。しかし、美しい幼馴染みにはもっとふさわしい相手との輝かしい未来が待っているはずだ。



 昼休憩を終え、仕事に戻ったエマを待っていたのはまた新たなトラブルだった。心身ともに疲弊しながら馬車馬のように働いて、城を出た時にはすっかり夜中になっていた。

 まばらな街灯に照らされた薄暗い道をふらふらと歩く。鉛のように重い身体と心が睡眠不足で鈍った脳をいびつに働かせ、何度も繰り返しぐるぐると同じ場面を突きつけた。


 ──「君だけか」

 午後、我が国に入った隣国の貿易船と港を所有する領主の間で揉め事が発生したと聞き、エマはありったけの資料をかき集めて部屋に飛び込んだ。そこでエマを待っていたはずの男達は入ってきた新人女性文官(エマ)を見て、あからさまに落胆した表情を見せた。

 こんなことは日常茶飯事で、エマは毎度笑顔で謝罪をする。

 これは、当たり前のこと。相手の心証に配慮して担当を変わっていてはエマにできる仕事はない。エマができることはエマがやるべきだ。

 言葉、文化、通貨、品物、商習慣。何もかもが違う両者ができる限り歩み寄って行けるように。資料を示しながら誠実に丁寧に絡まった糸を解いていく。


 そうして神経をすり減らしながら双方と話をし、やっとまとまったところで壮年の男性が和やかに言った。


「さすがディンケル子爵のご令嬢だ。しかし、君が子爵かご子息であったらもっと早く済んだだろうね」


 エマはまた笑顔で謝罪を述べた。

 ここではエマがエマであることが駄目なのだ。

 結果が同じでも、新人女性文官(エマ)の言葉には信用する価値がない。だから、余計な時間がかかる。

 それは外衝に配属されてから繰り返し感じていたこと。

 何度も同じようなことを言葉で、視線で、言われてきたのに、それでもまだ丁寧に傷ついてしまう。心に溜まっていく小さな傷を数えてしまう。

 どんなに頑張ってもエマは文官2年目の小娘で、それを変える術はない。その上強くも鈍感にもなれない。

 たどり着いた小さな部屋で砂を噛むように食事をしながら、閉塞感で胸が詰まった。

 もう何も考えたくないと思うのに、まだ新しい傷痕は繰り返し繰り返しエマをなじる。

 昨日、後宮でもらった魔法はとうに消えてしまっていた。



 ◆



「エマ!」

「ごめんなさい、レイフ。待たせたかしら」

「ううん、大丈夫だよ」


 すっかり薄暗くなった空の下、エマは迎えに来た幼馴染みと連れ立って人気のない城内の庭を歩いていた。

 横目に見る幼馴染みは相変わらず美しく、さらにその手には似合いの美しい花を持っている。きっと、どこかのご令嬢から"麗しの騎士様"への贈り物だろう。

 エマはふぅ、とひとつ小さな息を吐いて切り出した。


「レイフ、この間後宮で聞いたんだけど、私達の良くない噂が広まっているみたいなの」

「良くない噂って?」

「私とあなたが結婚するんですって」

「……うん?」


 エマはざかざかと俯きがちに歩きながら話し続ける。

 いくら気まずい思いをしても避けては通れない話なのだ。決して自分はその気になったりしていないときちんと伝えなければ。


「あのね、確かに昔そんな話はあったけど、もう気にする必要ないんだから」

「ちょっと待って、エマ」

「だからあなたもちゃんと否定してくれないと」

「ねぇ、エマ、」


 隣にあった気配が消えたことに気付いてエマが振り向くと、こちらを見つめる迷子のような目と視線がぶつかった。


「エマは俺のお嫁さんになってくれないの……?」

「レイフ……?」


 眉間にぎゅっと皺を寄せたレイフが大股にエマとの距離を詰める。


「エマ、ずっと、ずっと好きだった。俺がエマに釣り合ってないのはわかってる。でも、これからもっと頑張るから。どうか俺と結婚してほしい」

「レイフ、あなた何言ってるの?お父様達のことはもう気にしなくていいのよ」


 レイフの父親が治めるエスコラ伯爵領はディンケル子爵領のお隣さんで、昔から両家は仲が良く、レイフとエマは幼馴染みとして育った。

 両家の父親は仲良く遊ぶ子供たちを見て、将来二人を婚約させようと話し合った。継ぐものがない三男坊とパッとしない田舎貴族の娘。どちらも結婚相手として引く手数多とは言えない者同士、ちょうど釣り合いがとれるだろうと。

 しかし、その頃からレイフはとても美しかった。


 エマは不安げに揺れる青い瞳を見つめ、穏やかに続ける。


「レイフ、私もあなたが好きよ。だって幼馴染みですもの。でも、これは違う話だわ。レイフは騎士になったし、私は文官になった。二人とも自分で身を立てる術を持っているんだから、もうあなたが私やお父様達に遠慮する必要はないのよ」

「違う、違うよエマ。俺はエマが好きで、ずっとエマと結婚するつもりだった」


 レイフはエマの手を取るとそっと持っていた百合の花を握らせ、その上から自分の大きな両手で包み込んだ。男らしい手からは想像もできないような繊細さで、どうか振り払わないでくれと祈るように触れてくる。


「これは?」

「……エマが前に綺麗だって言ったから。俺、今日エマに話があるって言われて、浮かれて。花まで買って。馬鹿みたいだろう」

「……レイフは"エリーザ様"みたいな人が好きなんじゃないの……?」

「エリーザ様を好きだったのはエマだろう。俺はエマが一番綺麗で一番賢いって知ってる」


 百合の花が好きだなんていつ言っただろう。レイフの言葉を聞きながらぼんやりと思い返してみるも、すぐには記憶が見つからなかった。

 たくさんの時間を一緒に過ごしてきたはずなのに、エマの思い出にはたくさん零れ落ちたものがあって、レイフとエマの見てきたものは全然違うのかもしれない。


「私、自分がレイフに似合わないことも、外衝の役に立てていないことも知ってるわ」

「そんなことない!エマ、俺を信じて」


 優しく握られたままの手にレイフがぎゅっと力を込める。

 マメだらけの大きな手、節くれだったたくましい指。全てがエマの知るそれと全然違う。

 小さい頃からエマはずっと一つ年下のレイフの手を引いて歩いて来た。ちょっと引っ込み思案で頼りなくて。でも、とても綺麗で優しい男の子。だから、エマが守ってあげなくては。エマから解放してあげなくては。ずっと、そう信じていた。


 それなのに、今目の前にいるレイフの手はこんなに大きく、たくましく、エマを包んでいる。

 やっぱりレイフとエマの見てきたものは全然違うのかもしれない。


「本当に、自分が一番よくわかってる。……でも、あなたがそう言うのならそうなのかもって……少しだけ、思ってしまうわ。仕事だって、まだもう少し頑張れるかもって」

「エマは俺の初恋で、ずっとずっと憧れの人だった。それに城の人間もみんなエマのことすごいって、才女だって言ってる。でも!俺よりエマの良さをわかってる人間なんかいないし、絶対に俺が一番エマを好きだ!」



「……レイフ、あなた本当にばかね」



 ふふ、と笑いながらそう言ったら、はずみでぽろりと涙がこぼれた。毎日毎日たくさん笑顔を作ってきたのに、久しぶりに笑った気がした。


 エマは限界だった。

 美しい幼馴染がハズレ(・・・)を引かされないように、女でありながら文官の道を選んだ。一人で生きていくためには急な異動もどんな激務も飲み込んで必死に喰らいつくしかなかった。どんどん積み上がっていく業務が明らかに自分の能力を超えていても、できないとは言えなかった。図書塔に通い詰め、外交官に頭を下げて教えを請うた。休日には実家から取り寄せた資料をひたすら読み漁った。

 エマには何もない。レイフが幼い頃に夢中だった麗しの王女殿下『エリーザ様』のような美しい金髪も、けぶるような睫毛に彩られた青い瞳も、人より価値のあるものなんて何ひとつ持っていない。レイフが必死に差し出してくる好意はまさに青天の霹靂だった。

 真面目で慎重な性格のエマはきっと明日にはこの決断を後悔しているかもしれない。


 けれど、エマを一番なんて言ってくれるのはこの世界中どこを探しても目の前の幼馴染ただひとりだと知っていた。


外調では響きがいまいちだったので…

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