ラーメンの話
ラーメンほど調和の取れていない料理は無いと思っている。
そもそも調和とは何ぞや、という話になると思うのであらかじめ定義しておくと、この話の中での調和とは具材同士が食感や味や香りなどで互いに引き立て合ったり良い具合に混ざり合ったりしていることである。要するにパンとハムとチーズを一緒に食べると美味しいみたいなことで、料理の中に存在することによって美味しくなる組み合わせが多いものを調和のとれた料理ということにしたい。
例えばカレーは調和のとれた料理だ。白ご飯にどろどろでスパイシーな辛みと風味のあるカレーをかけて一緒に食べると非常に相性がいい。ときには肉の旨味がきて、ときには野菜の食感や甘みがある。福神漬けやラッキョウで急に酸味を入れたりシャキシャキとした食感を入れるのも面白い。たくさんの具材があってもきちんと煮込めばカレーの中で溶け合って、渾然一体とした料理となっている。だからカレーは調和がとれていると言える。
ピザも調和がとれている。マルゲリータならばピザ生地の上にトマトソースとチーズ、バジルの葉っぱを乗せてピザ窯で焼くだけだが、これがまた美味い。なにしろトマトとチーズの相性が抜群である。トマトの酸味とチーズの濃厚な甘みととろける食感が組み合わさるだけで美味い。イタリア料理が美味いのはだいたいこのふたつが美味いのだ。ピザの場合はピザ生地の小麦特有の甘みと食感がこれらと合い、さらにバジルの葉の香りとちょっとした苦みがアクセントとなって良い。こんなもの誰が作っても美味いに決まっている。
ラーメンと同じ麺類ならば、そばはどうか。ざるそばの場合、香り高いそばに、同じく醬油の香りの強いつゆをちょっとだけつけて食べる。そばの歯ごたえと香り、のどごしを感じながら、つゆの塩味と醤油の香りが加わると、とたんに味に奥行きが感じられる。たまにネギや海苔、ワサビで新たな香りや食感、辛みを加えても面白い。下手なものはたいして美味くないが、良いところで食うと途端に美味くなるのがそばである。
余談だが天ざるは調和が無い。天ぷらの油のせいでつゆの味が変わってしまうし、そのつゆにつけたそばも油臭くなる。せっかくそばもつゆも冷たいのに天ぷらは熱くてつゆがぬるくなるし、一緒に食べる必要が無い。個人的にはセンスが無い食べ物の筆頭だと思っている。熱い天そばならいいのだが。
さて、ラーメンはどうだろう。麺とスープ。これらはいい。無ければ話にならない。そばに比べるとラーメンの麺は香りが弱いので、そばとつゆよりはカレーとライスの関係に似ているかもしれない。
ここからが問題である。ラーメンの具はなんだろうか。チャーシュー、メンマ、野菜炒め、味付け卵、ネギ、海苔、ナルト、などなど。断言するが、これらは一切互いに高め合わない。別々に食べても同じである。
まずラーメンの具の問題はなにか。でかいのだ。箸でつかむ際、麺と同時につかめるのはせいぜいひとつかふたつだ。つまり、具は互いに同時に口の中で混ざる可能性が極めて低いのである。ということは、ラーメンは具同士を同時に食べることを基本的に想定していないということになる。
いやいや食おうと思えば一緒に食えるだろうと、レンゲの中に小さなラーメンを作って食ってみるとする。さあどうか。チャーシューの味、メンマの味、野菜の味、全部バラバラだ。カレーであれば具同士を一緒に煮込んでいるので互いに溶け合って調和をなしているが、ラーメンは違う。出来上がったスープの中にぽんぽんと具を乗せていくだけだ。だから互いに混じり合わない。しかもどの具もでかいから主張が強い。バンドのメンバーが全員ギターみたいなものだ。上手くてもバンドとしては微妙である。
似た料理ではカツカレーがある。出来上がったカレーライスに出来上がったカツを乗せるとカツカレーである。まあ大抵美味しいのだが、カツの味とカレーの味がそれぞれ美味しいだけで、カツカレーは別に調和がとれているわけではない。あれはただ一緒に食べているだけの料理だ。カツの味がカレーの味に影響を及ぼすことはないし、その逆もない。互いに高め合わない、ただ欲張りなだけの料理である。
ラーメンに高級感が無いというか、俗っぽさが抜けないのはこういった調和の無さが原因だと個人的に思っている。なんというか、麺とスープ以外に必然性が感じられないのに関わらず、チャーシューやら何やらが過度に大事にされている感がある。
ほとんど麺とスープだけで成り立ち、アクセントとして食感や風味を変えるネギや海苔が多少添えられるくらいにすると、調和がとれてさらに発展した料理になるのではないかと思うのだが、どうだろうか。
おそらくラーメンを食べる人間は、そんなことをラーメンに求めていないと答えるだろう。
何を隠そう、実は俺もそうなのだ。ラーメンに調和なんかなくていい、雑でいいんだ。だから食ってるんだ。