第7話 二人の関係
地獄のランチタイムが終わり、眠たい午後の授業を乗り越えた放課後。俺は胡桃沢から呼び出され、食堂へと赴いていた。
なんでも、今日の一件について謝罪とお詫びがしたいんだとか。清瀬と違い律儀な奴である。
「松陰くん、こっちこっち」
俺が食堂の前まで来ると、胡桃沢の声が聞こえた。テラス席に陣取り、手を振っている。
俺はテラス席に向かい、胡桃沢の対面に位置する通気性の良さそうなガーデンチェアに腰掛けた。
「悪い、待ったか?」
「ううん、全然! 突然呼び出しちゃってごめんね?」
「いいよ。俺も色々と話したいと思ってたからさ」
「そっか。……そうだよね」
胡桃沢は暗い声で呟くと視線を落とした。
「まぁ、なんだ。別に朝のこととか作戦のこととかは気にしてないから。あんまり深刻に考えるなよ?」
「で、でも、松陰くんに迷惑掛けちゃったのは事実だし……だから、その、これっ!」
そう言って胡桃沢が差し出して来たのはりんごの缶ジュースだった。食堂の近くにある自販機で売っているものだろう。
「さっき買って来たの! 一応お詫び、なんだけど……缶ジュース……が……」
徐々に声が小さくなっていき、突き出した手も引っ込めて行く。
確かこの缶ジュースの値段は百円。胡桃沢の反応を見るに、缶ジュースがお詫びになるのだろうかと今になって考えてしまっているのかもしれない。
「ありがたく貰うよ」
「あっ」
俺は努めて優しい口調で言いつつ、胡桃沢の手から缶ジュースを抜き取った。胡桃沢の誠意は十分伝わったし、ここで冗談か何かを言えるような雰囲気でもなさそうだったからな。
俺はさっそくプルタブに指をかけ、ぷしゅっと飲み口を解放すると、リンゴジュースを一口飲んでテーブルの上に置いた。
「うん、うまい。じゃあ、色々と聞かせてもらおうか」
「……あ、う、うん。えっと、清瀬さんのこと……だよね」
「そうだな。そもそも、なんで胡桃沢はあんなに清瀬に嫌われてるんだ? 別に接点も無さそうだけど」
「そう思うよね。高校生になってから話してないし……」
「ん? 高校生になってからってことは……」
「うん。実はあたしと清瀬さん……みーちゃんは、幼馴染なんだ」
「……へ?」
それは予想外の言葉だった。まさに衝撃の事実。
「み、みーちゃんって、なに?」
「気になるのそこなんだっ!? 普通幼馴染っていう方にびっくりすると思うんだけどっ」
「いや、もちろんそこもびっくりしてる。でも、その謎のあだ名っぽいものの方がよっぽど気になるんだけど。語源もわからんし」
「みーちゃんの名前って、優美でしょ? だから最後の『み』を取って、みーちゃん」
「最後から取っちゃったんだ……」
普通そういうあだ名って頭の方から文字を取って作るんじゃなかったっけ。胡桃沢のはなかなか珍しい命名の仕方ではなかろうか。
「でもなんかイメージと全然合わないんだけど。どっからどう見てもみーちゃんっぽさを感じられないっつーか。清瀬にしてはあだ名が可愛すぎじゃねぇか?」
「あはは、確かに。でも、中学まではあたしと二人きりの時は、今みたいに冷たくなくて可愛かったんだよ? あたしのこと『ひーちゃん』って呼んでたし」
「ま、マジかよ……」
あのフレンドシップの欠片も無さそうな清瀬がまさかのあだ名呼び。たぶんひーちゃんは胡桃沢の名前である『姫乃』から取ってるんだろう。
「でも、なんでそんな仲良し関係があんなに冷たくなっちまったんだ?」
「それは……たぶん、あたしたち二人とも半分ずつ悪い」
「んん? どういうことだ?」
「まず、最初に関係を壊すようなことをしたのはあたしなの」
胡桃沢は、どこか遠くを見るような目で語り始めた。
「あたし、中学の頃までは髪も染めてなかったし、もっと地味めな子だったんだけど、高校デビューってやつ? それをしたんだ」
「へぇ、そうだったのか」
別に珍しいことではないだろう。中学校よりも校則が緩くなったとかでイメチェンをする奴は少なくない。俺の幼なじみの薫も例外ではないし。
「そしたら友達付き合いも変わってさ。中学校までは友達も少なくてみーちゃんとばっかり一緒にいたけど、高校からは変わるんだって決めてたから、弘子みたいな子とも仲良くするようになったの」
「なるほどな。だんだん見えて来た気がする」
「うん、たぶんそのイメージ通りだと思う。そうしたら、みーちゃんがあたしに冷たくなっちゃって……。あたしはみーちゃんとも変わらず仲良くしたかったんだけど、そうはならなかった……」
「ふむ……」
つまり、胡桃沢が言っていることはこうだ。
胡桃沢は高校デビューをして新しい友達を作ったが、清瀬とも変わらず仲良くしようとしていた。
しかし、恐らく清瀬は自分は捨てられたとか、浮気者とか、面倒くさい嫉妬でもしていたのだろう。
でも、それってまるで……。
「子供じゃねぇか……」
「でしょ!? だからあたしが悪いのは半分なの。最初の方はみーちゃんに何度も話しかけようとしたんだけど、無視されてちょっと腹も立ってるし!」
「ああ、だからあの時罰とかなんとか言ってたわけね」
「罰っていうのはちょっと言い過ぎたけど……まぁ、そんな感じ」
胡桃沢は昨日、俺に彼氏の振りを頼む際に「無視した罰」と言っていた。ようやく合点がいってもやもやが晴れた気分である。
胡桃沢は俯きがちに話を続ける。
「たしかに、あたしもみーちゃんと同じ立場なら寂しくて冷たい態度を取っちゃうとは思う。だけど、中学生までのあたしたちの関係性って、あんまりよくない気がして」
「共依存ってやつだな」
「そうそれ! だから、あたしも悪いとは思ってるけど、みーちゃんにはもっと人と関わる努力をして欲しいと思うんだ。あたしにだって出来たんだから、きっとみーちゃんにも出来るよね」
そこで胡桃沢は、優しく微笑みながら俺を見た。
「正直、松陰くんと楽しそうに話すみーちゃんを見てちょっとほっとした。ひとりぼっちじゃないってことがわかったから」
「その割にはひどい作戦を考えてたみたいだけどな」
「あっ、あれはちょっと考えなしだったっていうか、勢い余ったっていうか……。もうあれくらいしかみーちゃんと話すきっかけを思いつかなかったし……」
まぁ確かに、あの様子なら二人だけで問題を解決する糸口は最早見当たらなかっただろう。清瀬は相当根に持ってるか、あるいは引くに引けなくなったか。
どちらにせよ、第三者ってやつの介入は必須。この場合の最適な第三者は、両者と接点のある俺以外にはあり得ないだろうな。
そこまで考えると、俺の中でひとつの結論が出た。面倒事に首を突っ込むことになりそうである。
「とにかく、胡桃沢は清瀬と仲直りはしたいんだよな?」
「え? う、うん、そうだね」
「じゃあ、俺も手伝うよ。二人の関係修復」
「ほ、ほんと!?」
胡桃沢はがたっと席を立ち、キラキラとした顔で俺を見た。
尻尾があればブンブン振ってる感じ。
「お、おう。言っとくけど、あんまり期待すんなよ」
「わ、わかったっ! これはあたしとみーちゃんの問題だもんね、あたしが頑張らなきゃ」
「そういうこった。ま、出来ることはやるから」
「ありがとっ! なおくんっ!」
胡桃沢は俄然元気が出て来たようだ。でも急ななおくん呼びはドキッとしちゃうからやめて欲しい。
今まで独りで抱えて来たっぽいし、俺に話せたのはきっと胡桃沢にとっては大きなことなのだろう。
そうであるならば、なおさら清瀬は孤独なはずだ。高校入学頃から胡桃沢から距離を置き始めたとすると、相当胸に秘めているものがあるだろう。
……もしかしてあいつはそれを俺にぶつけてんのか? もしそうなら超迷惑なんですけど。俺はサンドバッグかっ。
「あ、そういえば、お弁当どうだった? ……おいしかった?」
胡桃沢はそわそわした様子で俺を見ている。無論うまかったので俺は頷いた。
「ああ、うまかったよ」
「そ、そっか。よかったぁー……」
ほっと胸を撫で下ろす胡桃沢。そう、味は問題ない。しかし、残念ながら見た目の点ではしっかりと言い含めなければならないことがある。
「ただ、あのバカップル弁当はダメだ。白飯には何もしなくていい。海苔で愛を伝えたりするな」
「なっ! あ、あれはなんかあーいうのの方がカップルっぽいかと思ってやっただけで……。べ、別にあたしが好きでやったわけじゃないからっ」
胡桃沢は恥ずかしそうに顔を赤らめて弁明した。どうやら自覚が無いようなので、俺はあの質問をしてみることにする。
「胡桃沢はペアルック好きか?」
「え? 何急に。ペアルック? まぁ、憧れはあるかも……」
「そういうことだ」
「ええっなにそれっ、どういうこと? あっ、なんかにやけてるじゃん!」
「いや、別に。俺は最初からこういう顔だ」
まぁ、そういう愛情豊かなところは良いと思うぞ、胡桃沢。