第6話 伝説メニュー
昼休み。
俺は人生最大級のピンチに陥っていた。
普段ならば薫と食堂で昼食を取るところなのだが、昨日の時点で今日は用事があって食堂に行けないということが分かっていたため、薫にはその旨を伝えていた。
薫は他の人と食べるから気にすんな的なことを言っていたので、今更食堂に行くことも出来ず。
他に友達が居ればよかったのだが、生憎俺には昼飯を共にする程の仲の奴も居ない。
結論。
隣に清瀬がいます。
「あなたがこの時間教室に居るなんて珍しいわね。今日は食堂に行かないのかしら?」
臙脂色の弁当箱を机の上に出しながら、清瀬が俺を見た。教室で食べるということは、必然的に隣の席である清瀬と共に昼食を取ることになる訳で、つまり俺的には物凄く好ましくない状況になっているのだった。
「ああ、まぁな。早めに食べて勉強でもしようかと思ってさ」
「それは感心ね。勉学は学生の本分だもの、殊勝な心掛けだわ」
「そりゃどうも」
相槌を打ちながら、俺は胡桃沢から貰った弁当箱を机に出してランチクロスをほどく。
女子の手作りという、男ならば嬉しくない訳がない逸品を前に、俺は少し緊張感を感じていた。
……なんかやたらと清瀬の視線も感じるし。
「……今度はなんだよ」
「別に。ただ、どんなお弁当なのか気になっただけよ」
「あのな、人の弁当をまじまじ見るなんて、不躾だと思わないのか? もしやたらと茶色い弁当だったり、冷凍食品ばっかだったらどうすんだよ。そういうのいじって来る奴もいるし、言われた方は割と傷付いちゃうんだぞ」
「妙に情感たっぷりな口調で話すけれど、実体験なのかしら?」
「こ、これはあれだよ、一般論ってやつだよ!」
あっぶねーっ。中学時代の悲しい思い出が蘇って来てちょっと熱く語っちゃったよ。
お弁当事情なんて中高生の会話で触れたらダメなこと第八位くらいだからな。そりゃあ俺にだって嫌な思い出のひとつやふたつある。
清瀬は納得したのか、俺の言葉にふむと頷いた。
「確かに、そういう話は聞いたことがあるわね。わかったわ、そういうことなら何も言わずに静観することにするから」
「結局見るんかい」
「横目でちらっと見るだけよ。別に何も言ったりしないわ」
「ほんとかよ……」
お前の『何も言ったりしないわ』ほど信じられない言葉もないっつーの。
とは言っても、いつまでも弁当をお披露目しない訳にもいかない。俺は覚悟を決めて弁当箱の蓋に手を伸ばし、留め具に指を入れた。
ぱかり。
……あ、これあかんやつや。
タコさんウインナーや卵焼き、ミニトマトやブロッコリーといったカラフルなおかずはまぁ問題ない。
しかし、弁当箱の半分を占めるご飯の方がまさかの爆弾だった。
真っ白なキャンバスの上に、桜でんぶで器用に描かれたハートマークと『なおくんLOVE』の海苔文字。
伝説メニュー『バカップル弁当』の御開帳である。
「へえ。随分と可愛らしいお弁当だこと」
清瀬は身を乗り出してまじまじと弁当に視線を注ぎながら、開始十秒で前言撤回行動に出ていた。
いやまあ元から信じてなかったけどね。
「何も言わないんじゃなかったのか?」
「さすがにそれを見て何も言わない訳にはいかないじゃない」
「なるほど一理ある」
俺も同じ立場ならば恐らく何も言わずにはいられないだろう。
寧ろ何も言われなかったらたぶんちょっと気になる。
それにしても、ここまでこてこての弁当が出て来るとは思っていなかった。つまりこれは、胡桃沢の脳内にある『恋人だったらこういう弁当だよね』というイメージの具現化に他ならない訳だが、あいつの憧れる方向はちょっとバカップルと言わざるを得ない。
たぶんペアルックとかめっちゃ好きだよ胡桃沢。俺の予想が当たってるかどうか今度聞いてみよう。
「それで、このお弁当は一体誰が作ったものなの? さすがにご家族が作ったものだとは到底思えないのだけれど」
清瀬は真っ直ぐに俺を見て言った。
当然そこが気になるよな。この場面ならばきっと誰でも同じような質問を投げかけるだろうが、清瀬の場合は俺に好意を寄せているという前提条件がある。こいつはそういう意味で聞いているのであろう。
しかしどうする? 母親が作ったと説明しても現実感に乏しい気がするし、マザコンだの笑われる可能性だってある。
いっそのこと可愛い弁当を作る練習みたいな方向性にした方が説得力は生まれるのではないだろうか。
例えばそう、妹の実験台みたいな感じで。
「実はこれ、妹が作ってくれたんだよ。恋人が出来た時の練習とかなんとか言って、めでたく俺が実験台に選ばれたってわけだ」
「へぇ?」
俺の言葉の真偽を推し量るようにして、清瀬がじっと見て来る。
少し苦しいか、そんなことを考えて背筋に冷や汗が流れたとき、清瀬が俺から視線を外した。
「……そう。可愛らしい妹さんね」
「あ、ああ、そうなんだよ」
どうやらこの場は納得して貰えたようである。
すまない妹よ。今度お前の好きなプリン奢ってやるからお兄ちゃんを許してくれ。
「てっきり彼女でも出来たのかと思ったわ」
「うっ」
まだお前のターンなのかよ。もしかして全然疑い晴れてないのか?
清瀬の言葉と表情には、どこか俺を試すような色が滲み出ている。
「あら、どうしたの? 動揺しているのかしら?」
「うっ、ウインナーをタコさんにするって、どう思うって聞こうとしたんだよ」
「流石にさっきの文脈的にその質問はキャッチボールになっていない気がするのだけれど」
「し、質問はすぐにしないと忘れる質なんだよ。ほら、イモムシの脳味噌しかないから」
「……ん?」
「いやお前が言ったんだからな?」
なんだその「何言ってるのかちょっとよくわからない」みたいな顔は。やめろやめろ、首を傾げるな。
「まぁいいわ。あなたのような天井の染みみたいな顔の男に彼女が出来るなんて、ビッグバンからやり直したってゼロに等しい可能性だものね」
「俺の恋愛事情は宇宙からも見放されてんのかよ」
さすがに酷い気がする。つーかよくよく考えたら意味わかんねぇよ、その例え。
あと断じて天井の染みみたいな顔ではない。自分で言うのもなんだが、俺の顔面偏差値は中の上か上の下くらいはあると思っている。
清瀬は俺を弄ることに満足したのか、笑みを浮かべながら口を開いた。
「色々と言ったけれど、そのお弁当は妹さんが作ったということにしておいてあげるわ。いただきます」
「どんな流れで昼飯に突入してんだよ……」
清瀬は手を合わせると、何事もなかったかのように弁当を食べ始めた。
相変わらずというか何というか。朝の胡桃沢に対する姿勢はどこに行ったのやら、清瀬は今日も清瀬だった。
何はともあれ、これで胡桃沢に対する彼女疑惑は表面上は無さそうだ。
俺も弁当を食べるべく箸を持って卵焼きを掴み上げる。うまい。胡桃沢はどうやら料理上手のようである。
「今度私も実験用のお弁当を持って来ようかしら」
「お前の実験用はマジで実験用っぽく聞こえるからやめろ」
とりあえず、こいつと二人きりで昼飯を食べるのはこれっきりにしたいものである。