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第4話 ショートケーキナイト

「ただいま……」


 家に帰りついた俺は、ため息とともに吐き出すように帰宅を告げた。その声に反応したのか、ぱたぱたと足音が近づいて来る。


「おかえりお兄ちゃん……って、大丈夫!?」


 驚いた顔で中学生の妹の志緒(しお)が駆け寄って来る。


「顔がげっそりしてるよ!? また道に落ちてるものでも食べちゃったの? お腹さすさすしてあげる!」


「またってなんだよまたって。俺はそんなこと一度もした覚えないぞ。あと別にお腹痛くないから。大丈夫だから」


 心配してるんだかふざけてるんだか。いつもの調子で志緒は冗談を言いつつ、俺のお腹をさすってくれた。その様子に苦笑しつつ、そっと志緒の手をどける。


「じゃあどうしたの? 学校で嫌なことでもあった?」


「まぁそんなとこ。ちょっと面倒なことに巻き込まれて」


「ふーん?」


 話ながらリビングに向かい、ソファに腰を下ろす。身体は別に疲れていないが、頭の方が疲れてしまった。


「はぁ……」


「疲れてるね、お兄ちゃん」


 隣に座った志緒が心配そうな顔を向けて来る。


「そうだな。今日はちょっと疲れたな」


 ソファに沈み込み、天井を眺める。


 成り行きで胡桃沢(くるみざわ)の彼氏の振りをするということになり、その覚悟も済ませたつもりだった。

 しかし、時間が経つにつれて、胡桃沢姫乃の彼氏を演じるということがどういうことなのかを冷静に理解できるようになり、今更のように緊張感のようなものを感じ始めてしまった。


 思っていたよりも話しやすくて悪い奴ではなさそうなことは良かったのだが、いかんせん学年における胡桃沢の影響力や知名度が大きいため、今後の展開にはどうしても不安を感じてしまう。


 というのも、胡桃沢はスクールカーストトップレベルグループの一角である早藤(はやふじ)弘子(ひろこ)グループのメンバーなのだ。胡桃沢はそれを鼻にかけるタイプでは無いらしいが、それにしたってもう少しお高く留まってもばちは当たらないだろうに。


 あの分け隔ての無さが、かえって俺のような一般人にとってはデメリットとなっている。こと今回の一件に関しては尚更だ。


「お兄ちゃんお兄ちゃん」


「ん? どした?」


 見ると、志緒がちょいちょいと手招きしているところだった。


「久し振りに膝枕したげる! ほら、横になって?」


 そう言って、志緒はスカートの裾を正して膝をぽんぽんと叩く。非常に魅力的な提案ではあるが、しかし。


「気持ちは嬉しいけど、そういうのは彼氏が出来たらやってあげなさい。あ、待ってやっぱダメだ、彼氏なんて作ったらいけません!」


「もう、変なこと言ってないで早く横になって、シスコンお兄ちゃん!」


「うおっ!」


 有無を言わせず志緒が俺の頭をばふっと膝に押し付ける。耳や頭の側面から柔らかい太股の感触が伝わって来た。


「中三の妹に膝枕してもらう高二の兄ってどうなんだ? 世間体的に」


「よそはよそ、うちはうちでしょ。わたしはお兄ちゃん大好きだし、いつでもこうやって甘えていいんだよ?」


 優しい声で囁きながら、志緒は俺の髪をそっと撫でる。


「ちょっと、お兄ちゃん泣いちゃうからあんまり優しくしないでくれる? もっと突き放してくれないと妹離れ出来なくなっちゃうから」


「妹離れしなくてもいいよ。大人になってもわたしがずっと養ってあげるから」


「そう言ってもらえるのはお兄ちゃん冥利に尽きるんだけど、社会的に殺しに来てるよなそれ」


「ええーそんなこと言うの? ひどいな~」


「嘘です、すみません」


「分かればよし」


 他愛もない兄妹の会話。心地の良い静寂。信頼関係の上にある人間関係というのは本当に良いものだ。

 このまま今日のことは忘れてしまおうか。そんな考えが脳裏にちらついた瞬間、ポケットの中でスマホが振動した。

 起き上がって画面を確認すると、胡桃沢からのメッセージ通知が来ていた。どうやらお呼びのようである。


「どしたの? お友達?」


「んー微妙な関係性だなぁ」


「じゃあ彼女?」


「ではない……と思う」


「ええっ!? 彼女!? うそっ!?」


 志緒はキラキラとした目で身を乗り出す。興味津々の目だ。


「まぁ……色々あってさ」


「ほ、ほんとなの!?」


「いや彼女じゃないから! 悪いけど、この話はまた今度な。膝枕ありがとう」


 話を終わらせるために俺は立ち上がった。志緒はソファに座ったまま唇を尖らせて見せる。


「むー怪しい。今度ちゃんと教えてよ?」


「わかったよ。今度な」


 本当は「お兄ちゃんはわたしのだもん!」とか言って嫉妬して欲しかったんだけどなあ。どうやらうちの妹はその辺の線引きはしっかり出来ているらしい。

 片想いは辛いぜ。



   # # #



 自室のドアを閉め、ベッドに腰を下ろして胡桃沢(くるみざわ)のトーク画面を開くと、『いま電話しても大丈夫?』というメッセージと共に、犬が物陰からこちらを窺っている可愛らしいスタンプが送られて来ていた。


 俺は『大丈夫』と送り、相手の反応を待つ。すぐに既読が付くと、程なくしてスマホが震え始めた。通話を開始して耳に当てる。


「もしもし」


『あっ、も、もしもしっ! 明日のことでちょっと相談したいことがあるんだけどっ!』


「あ、ああ、いいけど……なんかさっきと印象違くない?」


『そ、そうかな? 電話だからじゃない?』


 明らかに様子がおかしいのに、胡桃沢はしらばっくれるようである。めっちゃ声上擦ってるんだけど。

 

「なにかあったのか? もし忙しいなら無理に明日からにする必要はないと思うぞ?」


『だ、だいじょぶだよ、へーきへーき! 今日出来ることは今日しなきゃね! それよりほら、早く作戦会議しよ!』


 話を逸らしたな。どうやら触れて欲しくないようである。

 まあここは紳士的対応で見逃してやるか。


『とりあえず、恋人アピールは朝からしようと思うんだけど、どうかな? あたしが三組に行くから、松陰(まつかげ)くんは席に座って待っててくれる?』


「わかった。何時くらいにする?」


『事前調査によると、清瀬(きよせ)さんは八時過ぎくらいには学校にいるみたいだから、八時十分で!』


「登校時間まで調べてるなんて、抜け目ないのな」


『ま、まぁこれくらいはね! 当然だよ!』


 胡桃沢はどこか恥ずかしそうにそう言った。


「それで? 昼休みは一緒に食べるのか?」


『そーだね。恋人って言えばそれが当たり前じゃないかな』


「じゃないかなって……ちなみに恋愛のご経験は?」


『え!? ん、んーと、たくさん?』


「なんで疑問形なんだよっ。あと随分アバウトだな」


『それはあれだよ、えっと……乙女の秘密っ!』


「物は言いようだな」


『も、もう、いじわるしないでっ! そんなんじゃモテないんだぞ!』


「そ、それは困る!」


『なんかその反応やだ』


 電話越しでもジトっとした視線を感じる声音で胡桃沢が言った。嫌って言われても男は皆モテたいと思っているのだからしょうがない。


「まあふざけるのもこれくらいにして」


『先に仕掛けて来たのは松陰くんだけどね』


「わ、悪かったって。で、どうする? 昼休みになったら胡桃沢が三組の教室に来るか?」


『そのつもり。清瀬さんいつも教室でひとりで食べてるでしょ?』


「ああ、たぶんな」


 俺は学食に行って(かおる)と食べるので詳しくは知らないが、昼休みになって席を立つときも昼食が終わって帰って来たときも、清瀬はひとりで席に座っていた。

 

 清瀬はその容姿や言動から一定数の人気があるため別に煙たがられている訳ではないだろうが、ある意味神格化されているのだろう、彼女のことを遠巻きに見る者は居ても友達になろうと近寄ってくる者は居ないように見受けられる。


 だから、ひとりで昼食を取っているのも恐らくそういうことなのだろう。


『……相変わらずだなぁ』


「え?」


『あ、ううん、何でもない!』


 慌てたような胡桃沢の声。小声で「相変わらず」と言ったような気がしたのだが、どういう意味なのだろうか。


『松陰くんお昼はお弁当?』


「いや、学食だな」


『そっか。……じゃあ、お弁当もうひとつ作っていった方がいい?』


「え? 作るって、胡桃沢が?」


『うん。嫌?』


 マジか。女子の手料理なんて調理実習をカウントしないなら初めてなんですけど。

 俺は歓喜に震えそうになりながら、なんとか平静を装って話を続けた。


「ぜ、全然嫌じゃない。というか、むしろ嬉しいよ」


『そ、そっか、よかった』


 胡桃沢のほっとしたような息遣いが耳をくすぐる。そんな反応されたらなんだかこっちまで恥ずかしくなっちゃうだろ。


「ふ、普段から自分で作ってるのか?」


『いつもはママが作ってくれてるけど、時々自分でも作るよ。あ、ママ直伝だからそんなに変な味にはならないからね!』


「まだ何も言ってないんですけど」


『松陰くんなら言いかねないと思って。さっきのこともあるし』


 悲しいことに、さっきの冗談で胡桃沢の俺に対する信頼度がワンランクダウンしたようである。

 ちなみにワンランクどころではない可能性も否定は出来ないが。


「さっきのはなんというか、雰囲気を和らげるためのアイスブレイクってやつだ」


『物は言いようだね?』


「うっ……」


 俺の言動をそっくりそのまま返されて返答に詰まる。こやつ、やりおるな。


『ふふふっ、じょーだんだよっ。確かに、松陰くんのおかげで話しやすくなったし、あながち嘘ではないんでしょ?』


 あ、良かった、解ってくれてた。

 どうやら信頼度ダウンは免れたようである。


「まぁな。なんか胡桃沢緊張してたみたいだし」


『あ、バレてた?』


「逆にあれでバレてないと思ったのか?」


『うっ……。ま、松陰くんの方は緊張してなかったの?』


「そりゃあ俺もちょっとは緊張してたよ。女子と電話で話すなんて初めてだったし」


『え? そ、そうなんだ、ふーん』


 そもそも通話はおろか、女子とラインでやり取りすることもほとんどないからな。志緒に買い物頼まれたり、母さんに買い物頼まれたりするくらい。

 あれ? 今気づいたけど俺めっちゃパシられてね?


『あたしはその、なんか勢いでこんなことになっちゃって今更緊張してるというかなんというか……あと、耳元で男の子の声が聞こえるっていうのが変な感じがして』


「へえ、胡桃沢も男子と電話するの初めてだったのか」


『そ、そうだけど……変?』


「変と言うか、意外かな。男子と気さくに話してそうだし、さっき恋愛経験たくさんって言ってたし」


『は、はめられた! 誘導尋問だ!』


「いや違うからね? 俺は思ったことを言っただけで」


 全くもってそんなつもりは無かったのでここは否定しておく。あらぬ疑いを掛けられるなんて、どこかの変態美少女だけで勘弁して欲しい。


『ほんとかなぁ』


「本当だって。つーかそれは置いといて。話、脱線し過ぎたな。なんの話してたっけ?」


『えっと……あ、お弁当?』


「ああ、そうだった。じゃあ、弁当は頼むな」


『おっけー。お昼休みになったら持って行くね』


「おう、頼んだ」


 これで大方話したいことは話せたはずだ。さすがに放課後までわざわざ清瀬の前に行く必要はないだろう。あいつたぶん放課後はずっと俺の席を占領してるし、出来れば近づきたくない。

 俺が身震いしていると、胡桃沢は思いついたようにそういえばと口を開いた。


『名前どうする? さすがに今のままじゃ他人行儀過ぎて恋人には見えないかも』


「ああー、確かにな」


 普通、高校生の恋人同士であれば、下の名前か愛称で呼び合うのが一般的だろう。名字呼びもそれはそれでありかも知れないが、プラトニック過ぎてリアリティーに欠ける。


『……じゃあ、なおくんっていうのはどうかな? 直隆(なおたか)だから、なおくん。かわいいし』


「いいんじゃね? 如何にもカップルっぽい響きだし」


『でしょでしょ!?』


『褒めて褒めて~』と言い出しそうなテンションで言って来るが、超安直なあだ名なので別に褒めたりはしない。言うなれば、ショートケーキに乗っている苺を一度持ち上げて元に戻すくらいの成果である。

 ……なんか我ながらこの例えめちゃくちゃ酷いな。すまんやっぱりありがとう胡桃沢。女子に発音してもらえてなおくんは嬉しそうだ。


『あたしのは?』


「んーそうだな……普通に姫乃(ひめの)でいいんじゃねぇの?」


『え~それじゃ普通じゃん! なんかあだ名つけてよ』


「いや、お前もショートケーキだからな?」


『え? ショートケーキ?』


「げふんげふん、何でもない」


 危うく脳内イメージをそのまま出力しちまうところだった。あんなこと言ったら確実に怒られてしまう。

 うーむ、あだ名か。あだ名、あだ名……


「……ひめちゃん。ひめちゃんはどうだ?」


 俺もショートケーキだった。

 ともすれば、『なお』と『たか』の二択だった胡桃沢よりもこてこてかもしれない。

 しかし、それは思った以上に美味しいショートケーキだったようで。


『っ! え、えっと、その、あの……なんか、恥ずかしいからやだっ!』


「えっ……そ、そうか」


 なにその反応。こっちまで恥ずかしくなって来るんですけど。

 

『やっぱり姫乃にしよ! あだ名で呼ばれたら恥ずかしくて彼女の振りどころじゃないし!』


 胡桃沢が慌てたように捲し立てて来る。


「お、おお、そうか、わかった」


『じゃ、じゃあ、作戦会議はここまでね! おやすみっ!』


「おや……ってもう切ってるし」


 逃げるように胡桃沢は通話を止めてしまった。

 どうやら相当恥ずかしい思いをさせてしまったようである。


 何はともあれ、予定が決まったので連絡しておかなければならない奴がいるな。

 俺は薫のトーク画面を開くと、明日の昼食は一緒に食べることが出来ないという旨のメッセージを送った。既読がすぐに付かないことを確認して、スマホをベッドに置く。


 俺はすっくと立ち上がると、部屋を出て階段を降り、一階のリビングへと向かった。

 ソファには、寝そべってスマホを触る志緒の姿がある。俺の足音に気付いたのか、志緒は身体を起こしてこちらを見た。


「あ、お兄ちゃん。どうだった?」


「志緒」


「は、はい」


 俺の様子に尋常ならざるものを感じたのか、妹は律儀にもソファの上で正座した。

 一度深呼吸をして、志緒を見る。


「ショートケーキは好きか?」


「え? ……好き、だけど」


「そうか。お兄ちゃんも好きだ」


「はあ……」


 志緒は意味不明と言いたげな顔で首を傾げた。


 これが後に伝説の一夜となる『ショートケーキナイト』であることを、この時の俺たちは知る由も無かった。

 ……みたいな感じにすると、なんでもかっこよくなりそうでならないことに気付いた夜でした。

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