第1話 隣の毒舌美少女が隠していた秘密
「ん? なんだこれ……」
教科書類を机に仕舞おうとして、俺は机の中に何かがあることに気付いた。
腕を入れて引っ張り出す。どうやらそれは手紙のようであった。
ピンク色の封筒の表には『松陰くんへ』と俺の名字が書かれており、裏にはハート形のシールで可愛らしく封がされている。
ということは、つまり……。
――らっ、ラブレターッ……!
ごくりと生唾を飲み込む。落ち着け。落ち着け俺。教室内で皆の注目を集める訳にはいかない。舞い上がりたい気持ちが爆発しそうだが、ここはそっとブレザーに隠して人が居ないところで読もう。うんそうしよう。
「あら? もしかしてそれってラブレター?」
俺が立ち上がろうとしたところで、隣の席から声が掛かる。
声の主は清瀬優美。
学年一と言われる整った容姿を持ち、定期テストと実力テストの点数は常に学年一位というハイスペック少女だ。
故に彼女は有名人であり、この学園でその名を知らない者は居ないだろう。
しかしそんな完璧超人にも大きな欠陥がある。
少々性格に難があるのだ。特に俺に対する当たりが強い。
「な、なんだっていいだろ」
ブレザーにラブレターを隠しながら清瀬を見る。清瀬はちらりと俺の手元に視線を移すと、机に頬杖を突いて実に愉快そうに眉を上げた。
「やっぱりそうなのね。あなたのようなイモムシに好意を向けるなんて、随分と酔狂な人も居るものだわ。よかったじゃない、これで独り身で悲しく生涯を終える準備をしなくて済むわね」
「言い過ぎじゃね? もうそれほとんどいじめだからね?」
泣くよ、俺。
「何を言っているの? こんなに可愛い子から罵倒されるなんて、寧ろご褒美と言って欲しいものだわ」
「本気で言ってる辺りが末恐ろしいな」
いつも通りの会話に、いつも通り肩を落とす。
そうなのだ。清瀬優美という女は、とんでもない毒舌家なのだ。
その言葉はナイフの様に鋭く、容赦なくメンタルを削って来る。俺じゃなければやられていたところだ。
と言いたいところだけど、生徒の中にはそのナイフが好物な野郎どもとか女子たちも一定数居るようで、さっき清瀬の言った『ご褒美』というのはあながち間違ってはいない。
俺には全くもってありがたくないけど。
「それで、読まないの? てっきり嬉し過ぎて奇声を上げながら、あなたの汚い双眸で舐め回すように視姦するのかと思ったわ」
「想像力逞しいな。ラブレターごときでそんな変態が錬成されるわけねぇだろ」
「そうかしら? あなたにはその素質があると思うのだけれど」
「あって嫌な素質なんて生まれて初めて聞いたわ」
変態になる素質って、それもうある意味犯罪者予備軍みたいなものだからね。
俺には無い……はず。無いことを祈る。
それにしても、この女は本当に礼儀知らずだし自信家だし人間愛に欠けるし嗜虐趣味の塊みたいな奴だ。容姿が完璧じゃなかったら絶対敬遠されるような人間になっていただろう。
いや、それは違うか。こんな美貌を持って生まれてしまったがために、ここまで人を見下せるようになってしまったのだ。その上勉強も運動も出来ると来ているからぐうの音も出ない。なんか弱点用意しとけばもっと真っ当な人間になれただろうよ。
そんなことを考えながら清瀬を見ていると、清瀬は俺の視線を嫌がるように体に腕を回した。
「なに? 今度は本当に女の子を辱めようとしているの?」
「人聞きの悪いことを言うな。ちょっと哀れんでただけだ」
「哀れむ? なるほど、自分の容姿と私の容姿との差が天と地ほどもあることにやっと気付いたのね。偉いわ」
「そんな風に見えてたのかよ! うわ、やめろ、頭を撫でようとすんなっ!」
清瀬は同情するような顔を作り、俺の頭に手を伸ばして来ていた。どうせ「不潔な頭ね」とか言って後で石鹸でゴシゴシ手を洗うんだろ。マジで傷付くからやめてね。
「この私の手を払うなんて良いご身分ね。私よりも良い女を見つけたのかしら?」
「暗に自分が良い女だってことをアピールしてるよなそれ……。安心しろ、そんな女は居ない」
まぁお前も良い女では無いけどな。
「ふうん……。まあ及第点ってところかしら。チャイムも鳴ったし、今回はこれくらいで勘弁してあげる」
そう言って、清瀬は黒板の方に向き直った。ちょうど担任の里仲燈子が入って来たので、ラブレターを机に仕舞いながら俺も黒板に向き直る。
清瀬は朝から容赦が無いな。結局ラブレター読む時間が無くなったじゃねーか。
# # #
放課後。俺は課題の再提出を食らい、今日中に出さなければならないということで職員室に監禁されていた。なんとか終わらせたものの、予想以上に時間を取られてしまいいつもの下校時刻よりも一時間近く遅くなってしまった。
「はぁ……」
一応進学校である我らが文之木高校は、割としっかり課題が出ることもあって今日も帰ったら忙しくなりそうだ。簡単な奴だったらいいんだけどなぁ。
職員室を出て廊下を歩いていると、ふと心配になって俺は鞄の中を探った。教科書が無ければ課題が出来ないため、確認しておこうと思ったのだ。さすがに二日連続で再提出を食らうのはヤバいからな。
ある、ある、ある……よし、大丈夫そうだな。
教科書類があることに安堵しつつも、鞄の中にラブレターが無いことに気付いた。どうやら教室に置いて来てしまったようである。
そうだった。俺は今日ラブレターを貰っていたのだ。あれさえ読めばきっと今日を乗り越えるだけのエネルギーが充填されるはずだ。
俄然軽くなった足取りで、俺は教室へと向かう。
少しして、教室の近くまでやって来た。教室から誰かの声が聞こえる。まだ生徒が居たのかと呑気なことを考えながら、教室の入口から二メートルほどに差し掛かったときだった。
……その声がはっきりと俺の耳に『言葉』として認識されたのは。
「はぁ……今日も松陰くんかっこよかったなぁ……」
……なぬ?
俺は聞こえたぞ。鮮明に聞こえたぞ。
確実に俺の名前を言って、しかもかっこいいと言った。間違いない。
――しかし、なんかこう、もの凄く聞き覚えのある声だった。それも、あんまり良い思い出が無い方向の女子の声だ。
……嫌な予感がする。とてつもなく。
「すー……はあっ、良い匂い……」
なおも喋り続ける女の声を聴きながら、俺は恐る恐る窓から中の様子を窺ってみた。
「っ!?」
な、何やってんだあいつ……!?
俺はその様子に驚愕し、混乱した。
教室に居たのは、案の定嫌な予感が的中して毒舌女……清瀬だった。
しかも清瀬は何故か俺の席に座り、机を抱きしめるような形で机に突っ伏している。
「やっぱり松陰くんの匂いを嗅ぐときゅんきゅんするぅ……ううー……」
清瀬は俺の机に頬を押し当てながら、どこか苦しそうに胸に手を当てていた。
……え? 待って待って。一旦状況を整理しよう。
教室内を窺う顔を引っ込めて、俺は教室から少し離れた。
まず、最初に聞こえて来た「松陰君かっこよかった」という言葉。この学年には松陰なんて名字の奴は俺しかいないし、何より清瀬は俺の席に座っている。つまりこの松陰というのは、俺のことだと考えて間違いないだろう。
次に……あの良い匂いとか、なんかやたらと甘い声を上げながら俺の机に突っ伏している行為だが……。まああれは変態ということで片付けてしまおう。あんまり踏み込んで考えたくないし。
そして、教室内には清瀬しか居なかった。バカでかい独り言で正直ちょっと引くが、教室に居るのは確実に清瀬ひとりだった。
つまり、結論だが。
『清瀬は俺にベタ惚れで、かなり変態な美少女だった』ということだ。
――なんでだよ。意味わかんねぇよ。
我ながら頭の痛くなる結論である。まさかあの毒舌を嬉々として吐き散らかすポイズンモンスターが、攻撃対象にしていた俺のことが好きだなんてな。意味わかんねぇよ。
頭が混乱している。あいつが俺のことが好き? あんなに俺を馬鹿にしていた奴が? しかも超が付くほどの美少女が、まるで好きな女子のリコーダーを舐める中学生男子の様に俺の机を抱きしめている。
この状況を飲み込める方がおかしいだろう。そもそもそんな中学生男子なんて実際に見たことが無い。それなのに、いきなり変態美少女女子高生を受け入れろと言う方が無理がある。
……まぁ、とりあえずだ。とりあえず、あのラブレターを回収しよう。差出人はもうほとんど決まってしまったが、まだ他の女子からのものである可能性は残されている。
しかしああも俺の席を占領されていては、いきなり教室に入って手紙を回収する、ということは出来ない。俺の席に座っていたことを俺に知られたときのあいつがどんな顔をするのか……それは少し、いやかなり気にはなるが、色々と怖いのでやめておいた方が良さそうだ。
というわけで、俺は教室から遠ざかる。遠くから大声で独り言を言いながら近づけば、あいつも俺の席から離れるだろう。
そして廊下の端にポジショニング。テイク2、行くか。
「はあー、やっと解放されたぜー」
棒読みで喋りながら、足音も大きめにして教室に近づく。すると、ガタガタッっと椅子から立ち上がるような音が聞こえ、ゴトンッっと机が倒れるような音も聞こえた。慌てすぎだろ。
それから二十秒ほどかけて教室の前方入口に到着。ゆっくりと引き戸を開けると、自分の席に座って勉強をしている清瀬が、あたかも今俺に気付いたようにわざとらしく顔を上げた。
「あら、どうしたのかしら? 何か忘れ物?」
なんでそんなに平然としてるんだよ。怖えよ。
どうやら清瀬はかなりの演技派のようである。表情からは焦っている様子が全くもって見受けられないし、いつものようにどこか俺を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
二重人格を疑うレベルだ。寧ろそうであって欲しい。その方がまだ納得できるから。
「え、ええっと、ラブレターを忘れて」
俺がそう言うと、清瀬は口角を上げ、眉を吊り上げた。
「へえ。随分と不誠実なイモムシなのね。女の子からラブレターを貰うなんて幸運、きっともうあなたには訪れないというのに。何様のつもりなのかしら?」
「お、俺様? なーんて」
思わず変なことを口走ってしまう。清瀬の顔から笑みが消え、汚物を見るような薄目になる。
「……寒っ。今時小学生でもそんなこと言わないわよ。イモムシからグレードダウンしてヘドロとでも命名し直した方が良いかしら?」
「イモムシでお願いします」
俺が即答すると、清瀬はつまらないとでも言いたげに肩を竦めた。
「そう。どうやらまだイモムシらしく小さな脳味噌は残っているようね。……それで、いつまでそこに突っ立っているの? ラブレターを取りに来たんでしょう?」
「お、おう」
教室に足を踏み入れ、窓際最後方の自分の席に近づいていく。その様子を何故か清瀬はじっと見つめて来ていた。
「なんだよ?」
「なんでも。あなたが何もないところで転んで変な展開にでもなるんじゃないかと思って警戒していただけよ」
「安心しろ。ここ数年転んだことは無い」
「フラグみたいなことを言うのはやめてくれる?」
「フラグじゃねぇよ。ほら、転ばなかっただろ」
無事に自分の席に到着すると、俺は清瀬に肩を竦めて見せた。
「つまらないわ。盛大に転んで何故か私のスカートの中に頭を突っ込んで、下着に顔をうずめてくれればあなたを脅す良い材料になったのに」
「それお前の方が損してるだろ」
「そうかしら? 私は別に構わないのだけれど」
「……は?」
机に入れようとした手を止めて、俺は清瀬の顔を見た。
すると、清瀬は罠にかかったとでも言いたげに、いつもの調子で愉快そうに眉を上げた。
「一体何を想像しているのかしら? 冗談に決まっているでしょう? やっぱり変態なのね」
「あーはいはい、そうですか」
やっぱりこいつ俺のこと好きじゃねぇわ。好きな相手をここまで馬鹿に出来る訳がない。きっと松陰君とやらも俺以外の誰かを指しているんだろう。
ラブレターを無事回収した俺は、鞄に入れて立ち去ろうとしたのだが、不意に消しゴムが俺の席の下に転がって来たので足を止めた。
「申し訳ないのだけれど、その消しゴムを取ってもらえるかしら?」
どうやら清瀬のもののようだ。俺は仕方なく身を屈め、消しゴムに手を伸ばす。
拾い上げると、清瀬の前に消しゴムを差し出した。
「ほら」
「ありがとう」
伸ばされた清瀬の手に消しゴムを渡そうとする。
そこで、ほんの少しだけ手が触れてしまった。
「ひゃうんっ!」
直後、清瀬は変な声を上げながら身体をびくりと上下させた。その反動で消しゴムがまた地面に落ちる。
「だ、大丈夫か?」
落ちた消しゴムを拾い上げながら清瀬を見る。
すると、清瀬は顔を赤らめて浅い呼吸を繰り返しながら、濡れた瞳で俺を見ていた。
「す、スタンガンでも仕込んでいたのかしら? 身体に電気が走ったのだけれど?」
「そんなもん仕込んでねぇよ」
「そ、そう、おかしいわね。は、早く消しゴムを返してちょうだい」
今度こそ消しゴムを返す。清瀬は消しゴムを受け取ると、そそくさと問題集に向き直った。
「私は勉強を再開するから、早く帰ってもらえる? 気が散るわ」
「へいへい」
そして今度こそ席を離れる。教室を出たところで清瀬を振り返ると、じっと俺の背中を見ていたようで慌てて問題集に視線を落とした。
……確定だ。確定してしまった。
清瀬は俺に惚れている。しかもベタ惚れだ。指先が触れただけであの反応なのだから間違いない。
これは面白いことになった。これから俺の反撃が始まるのだ――。
毒舌美少女の清瀬優美をデレさせるという反撃が。