8話
「僕はカウンセラーじゃないんだけど?」
螺旋の番人の本部にある作戦ルームのイスに腰をかけて酒を飲んでいるアレックスにそう投げかける。
「別にお前に慰めてもらおうなんて思っちゃねぇよ。ただ、ちょっと付き合えってだけの話だ」
アレックスはそう言った後、ホレっと言って僕に缶を投げる。僕はそれをキャッチすると「未成年に飲酒させる気か?」と笑う。
「バカ野郎よく見ろ。ジュースだよ、ジュース」
そう言われて缶のラベルを見ると確かにアレックスの言うとおりアルコールの入っていない普通のオレンジジュースだった。僕はアレックスの隣に座る。
「お前は今の仕事をどう思う?」
アレックスは持っていた缶ビールに口をつけながら言う。
「カウンセリングはしないって言ったはずだけど?」
「別にそんなつもりで聞いたんじゃねぇよ。純粋にお前がどう思っているかを聞いているんだ」
こんな話を何度しただろう。アレックスはミッションで人が死ぬたびに僕や誰かを呼んではこういう話をする。
「なにも。僕には螺旋の番人以外に居場所は無い。だからここの仕事に文句はないし、何が起きてもそれは僕には関係ない」
「それは、お前の本心か?」
「どうだろうね。最近自分が発する言葉が本心なのか僕自身わかってないからね」
僕は螺旋の番人に入った時から。いいや、父親に虐待をされ始めたあの頃から僕という感情がどんなものなのか自分でもよく分からなくなった。それは感情を押し殺す時間が極端に増えたからだろう。
暴力をふるう父親に、自分の怒りを悟られぬよう。
仲間の死に、少しでも心を痛めぬように。
「そうか……」
アレックスはそう言ってまたビールの缶に口をつける。僕も缶を開けて一口飲む。オレンジの酸味と甘みが口いっぱいに広がる。
「俺が螺旋の番人の初期メンバーだったのは知っているな?」
「あぁ……」
「あの頃は今ほどコハクの研究や装備が充実して無くてミッションの度に死人が出た」
アレックスは当時のことを思い出しながら話す。何度か聞いたことのある昔話だ。
「あの頃の俺は麻痺していた。仲間の死にまったく心が動かなくなってしまっていた。たぶん、人の死を見過ぎたんだと思う」
それはそうだろう。いつかアレックス自身が言っていたがアレックスはもともと螺旋の番人に来る前は紛争地帯で傭兵までしていたという。ならば、アレックスが見て来た人間達の死の数は自分でも数えることの出来ないほどになっていてもおかしくない。
「でも、麻痺しきった俺の心が正常な状態を取り戻す事件が起きた。クリスのことはお前にも話したことがなかったよな?」
「そうだな、初耳だ」
今までのアレックスの話の中には色々な登場人物が存在した。戦闘狂のサム、臆病すぎて初めてのミッションで華々しく散っていたロベルト。だがクリスと言う人物の話は聞いたことがない。
「その日も死人がでた。ミッションに参加した十人の内、生きて帰れたのは半分の五人だけだった。そして死んだ五人の中にクリスもいた。今回の透と一緒だよ、ミッション中に寄生されたところを俺が殺した。今でも思い出せるよ。俺があいつの脳みそを銃でぶち抜いたんだ」
「クリスは俺と同じ傭兵団の出身で付き合いが長かった。親友って呼んでもいいと思う」
驚いた。アレックスに親友などという人物がいるとは思わなかった。というのもそういう存在がいるなんて話を聞いてこなかったから、そういう存在を作らない人間だとばかり思っていた。
特にこの職場は仲の良い人間を作れば作るほど失った時の悲しみが増していくだけに、余計にそう思ってしまっていた。
「クリスが死んだ時、俺の心は久々に人を失った苦しみを感じた。あんなに麻痺って感じなくなっいたってのに、親友の死だけには反応してくれたってわけだ」
「それで、あんたはどうなったんだ? 麻痺っちまった心に気づいて、親友の死の悲しみに嘆いて、そしてあんたは何を見つけたんだ?」
痛みに麻痺ってしまったその先、そこからまた痛みを知った心は何を思った?
「後悔したんだよ。何で俺はこんな苦しいことから目を背けていられたんだって。そう自分に問い続けた。けれど何人もの人間が俺の目の前で死んだってのに俺はそいつらの名前をほとんどを思い出すことすら出来なかった……」
それはそうだろう。それまで無関心でいたのだ。覚えていろという方が無理な話だ。
「その日の後から必死こいて調べたよ。俺の前で死んでいった連中、その全員を俺は思い出す努力をした、記憶にとどめる努力をした。そうしているうちに、徐々にだが俺の心は回復していった」
いつだったかアレックスが自分は螺旋の番人で共に戦い、死んだ人間達の名前を全員覚えていると言っていた。僕も死んでいった仲間を覚えている方だと思っているが、全員となると怪しい。それでもアレックスが覚えていようとするのは自分の心をもう二度と壊してしまわないようにするためなのだろう。
それは酷く辛いことだけど、痛みを忘れてしまうよりはよっぽどいい。アレックスらしい考えだ。
「シユウ、お前は見失うなよ。心は麻痺しちまったら簡単には戻れない。ただ壊れていくだけだ」
「ご忠告どうも」
そう言ってまた僕は缶の中のジュースを口にする。アレックスもビールに口を付けていた。それから少しの沈黙。そしてアレックスがゆっくりと口を開く。
「お前は生きろよ。お前はまだ若いんだ。俺なんかより、可能性は無限にある」
「残念ながら僕は普通の生活ってのを知らない。それにお前も知っているだろう、僕の身体は……」
アレックスの言葉を否定する。僕にはもう輝かしい未来なんてものを掴むことはできない。螺旋の番人は世界の輪から外れた場所。だからこそここが僕の唯一の居場所。十年前のあの日から僕は取り返しのつかない罪を背負い、今も囚われている。
他に居場所なんて無い。あってはならない。未来を掴む権利なんてない。僕に与えられるのは血塗られた正義だけ。それだけで十分だ。
「だが……」
アレックスはそれでも何か言おうとして止めた。僕は席を立つとそんなアレックスの肩に手を置いて言う。
「お前は生きろってのは守らせて貰うよ。僕もまだ死にたくはないからね。ジュース、ありがとう」
僕の顔を見てアレックスがニヤリと笑う。
「馬鹿野郎、おごりなわけないだろう。つけにしておいてやるから今度返せ。その代わり、返すまでは死ぬなよ」
それは今日、明日の話ではない。
「だったら僕はいつまで死ねないんだろうね?」
「さぁ? まぁとりあえず、十年は返してくれるなよ」
アレックスはとぼけたように言う。
「それはなかなか大変だな……」
僕はそう笑って会議室を後にした。
透は死んだ。僕達は後ろを向くことなく進んでいく。透を置いたままにして進んでいく。
そして僕自身もまた、いつの日か誰かに置いて行かれる日が訪れるはずだ。時とは、時間の流れとは、理不尽で絶対的だ。だけど僕はそれでもあがく。与えられた時間の中でただひたすらにあがき続けるのだ。