7話
透を失ったあのミッションから三日後。僕は墓地にいた。
「よう、久しぶりだな」
僕は透の墓の前でそう呼びかける。
もっとも墓の中に彼の遺体はない。奇怪虫に寄生された人間の遺体はそのまま火葬して、埋葬してはい、おしまい。とはいかない。
一度寄生された人間の細胞は頭の先からつま先まで全て寄生虫と同じ細胞に入れ替わっていく。その細胞が問題なのである。放っておけばその細胞は時間が経つと霧散し、それが元で新たな奇怪虫を生み出すことがある。
だから遺体は螺旋の番人に引き取られた後、特別な処理を施される。
そうして姿を変えたそれは僕達もよく知るとある物質となる。
コハクだ。といっても、寄生された人間一人程度ではコハクは生成できない。コハクを生成するには何人もの奇怪虫に寄生された人間の屍が必要だ。そして完成したコハクは誰かの手に渡り、奇怪虫を殺すために使われる。
当然だが、前回の事件で言えば透の遺体の他にも晴臣や人質にとられていた少年の遺体も家族に引き渡されることなく螺旋の番人に回収されている。
今それらの集められた遺体がいったいどんな処理を受けているかは知らないが、たぶん見れたもんじゃないんだろうなということだけは容易に想像できた。
この世界、とりわけこの仕事は見ない方がいいものが多すぎる。
「線香くらい上げてやらねぇなと思ってな」
僕はそう言いながら持って来た線香にライターで火を付ける。線香独特の香りが鼻をつく。灰色の煙が風になびいた。
僕は彼が苦手だったが、心底嫌いだったわけではない。でなければこうして彼の墓を訪れることなどなかっただろう。
昨日の透の葬儀。僕は透の職場の仲間の一
人として参列した。当然身分は隠している。
一般人から螺旋の番人に入った透だったから参列者はそれなり多かった。螺旋の番人のメンバーによっては友人はおろか親戚すらおらず葬儀を行ってもほとんど人が来ないという人間も多いだけに彼の葬儀は僕が経験した葬儀の中ではごく一般的な葬儀と呼べる葬儀だったと僕は思う。
棺の中に透がいないという事実以外は。
透の妹だという十二歳くらいの女の子が棺の前に立つ僕に言った。
「棺中には透兄さんはいないよ。ほら、やっぱり兄さんは生きているんでしょ? お母さん」
僕はその言葉を聞いたとき胸が締め付けられた。
ごめんよ。君の兄さんは今、研究室で小さな石ころにされているんだ。そんな事、僕にはとてもじゃないが言えなかった。
だから僕はただ、透の母親に謝罪することしか出来なかった。
葬儀の合間、葬儀場の奥の薄暗く細い廊下。僕は透の母親に直接謝罪をした。
「彼の死は僕の責任です。僕のミスです」
僕がそう言うと透の母親はなにか悟ったような様な顔をして。
「あの子が私に黙ってとても危険な仕事に就いたのは知っていました。だけど私にはそれをとめることは出来なかった。息子が死んだのは私のせいでもでもあるんです。それに私、何となくわかっていたんです。遅かれ早かれこういう日が来るんだろうなって。でもあの子この仕事に誇りをもっているんだって言っていました。自分の仕事は世界を守る大切な仕事なんだって。そう話しているあの子はとても輝いていたんです」
だから彼女は透を止められなかった。そしてそのまま透は死んだ。自らの仕事に誇りをもったまま、世界を守る英雄のまま、彼は死んだのだ。
「あの子は本当に世界を救っていたのかしら?」
僕は透の母親に真っ直ぐ見つめられて動けなくなる。その悲しい瞳に見つめられ、僕の身体はまるで金縛りに遭ったかのように固まってしまった。そのまま数秒の時が経った後、僕はゆっくりと段々動くようになった唇を動かして言った。
「はい。息子さんは。世界を守って死にました」
それ以上僕は何も言う事は出来なかった。
僕が線香を立てて手を合わせたとき、僕の後ろでガサっという音がした。振り向くとそこには花を持った美崎がいて直ぐに僕から逃げるように去って行く。
「なぜ帰ろうとする? その花、あいつのだろう?」
僕がそう尋ねると美崎は歩を留める。美崎は振り向かない。僕に背を向けたままだ。
「私にその権利はありません」
「だったら、なぜ君は花を持ってここに来た?」
美崎は黙り込んでしまう。彼女は透の葬儀には出席していなかった。たぶんどんな気持ちでそこに行けば良いのかわからなかったからだろう。それを責めようとは誰も思わなかった。彼女のことをあんなに言っていたアレックスでさえ彼女のことを責めたりはしなかった。それは僕も例外ではない。
沈黙の後、美崎がようやく口を開く。
「一つだけ……聞いてくれますか?」
「どうぞ」
僕は素直に彼女の話を聞くことにした。
「私、別に人が死ぬのを見るのは初めてではなかったんです。これまでもたくさん人の死を見てきました。私、研究所でモルモットになってたんです。人体実験ですよ。このご時世にそんなことをやっている場所があるんです」
そのこと自体には特にビックリすることはない。正直、人体実験くらいなら螺旋の番人でもやっている。もっとも寄生虫に寄生された人間のみだと言う話らしいが、本当のところ、それが真実であるのかは僕も知らない。「そこでは一日に人が何人も死にました。それでも私は生き残った。でも私は結局失敗作だった。だから私は研究所から捨てられた……」
それが美崎の螺旋の番人に来た理由。彼女は使えるだけ使われたあげく切り捨てられ、|螺旋の番人(こんな汚れた場所)に捨てられたのだ。それがどんなに辛いことだったのか僕にはわからない。
「私はそれでも見返してやろうと思いました。私は出来損ないじゃない。失敗作なんかじゃないって。けど結果ダメでした」
「で、僕にどうしろと言うんだ? 大丈夫だよって慰めて欲しいのか?」
残念だが僕は聖人ではない。誰かが悩んでいたとしてもそれを全受け止め、慰めるようなことはできないし、しない。
「そんなことは言いません。私が失敗作なのは、もうずっと前からわかっていたことです。そんなことよりも私を驚かせたのは、何人もの死を見てきたはずの私が今回だけは心に靄みたいなものが掛かって取れないこと。こんなこと今まで無かったのに……」
だから美崎は戸惑っている。整理がつかない心に、どうしたら良いかわからない。
「それは助けられたからだ。一つの命を犠牲にして一つの命を守る。それは守られた人間に義務を負わせる。それが君の心について離れない」
「義務?」
美崎が僕の方を振り向く。彼女と目が合う。僕は彼女から目を離すことなく続ける。
「そうだ、生きるという義務。君は死んでいった透の分まで生きなければならない」
「なんですかそれは? 理不尽です」
美崎は悲しそうな顔を食いしばっていう。ギリギリ絞り出したような、かすれた声で。
「けど、君は義務を果たさないといけない」
だから僕は真っ直ぐに言う。決して彼の死を無駄にしてはいけない。彼の思いを無駄にしてはいけない。
「だから、君は生きろ」
「そうですね。ていうか、慰めないんじゃなかったんじゃないですか?」
「そうだったな、悪い」
美崎に言われて僕は謝る。
「なんで謝るんですか?」
「不本意だからだ」
「意味分からないですよ」
美崎が僕の方に近づいてきて悪戯っぽく微笑む。
「うるさい」
僕はそう言ってそっぽを向いた。