34話
「つまり、僕はこいつを倒せばいいわけだ」
突然現れた奇怪虫を前に僕は冷静にそう呟いた。
奇怪虫が目の前にいる。ならば僕のやることは一つしかない。化け物と化した自分に出来る唯一のこと。だから僕に迷いはない。
「消えろ」
飛びつき、奇怪虫の頭を掴むとそのまま投げ飛ばす。
黒人のない今、コハクの力による身体能力の向上は望めない。しかし、僕の中には奇怪細胞がある。今の僕は一つ目を解放している状態に近い。
「ガァッ」
地面に投げ飛ばされ、奇怪虫が呻く。
今の僕はただの人間ではない。奴らの頭蓋をこの手で砕くことの出来る、奴らと同種の化け物。
「あの……」
僕の背後で声がする。奇怪虫との距離が近かったために隔離エリアないに取り残されたのだろう綾音が不安そうに僕の方を見ている。
いや、不安だけじゃない。その瞳の奥にある感情、恐怖が奇怪虫と僕のどちらにともに向けられていることを悟る。僕の力を見た人間はいつもそうだ。だから何も珍しい話ではないのだが、自分が人間でないことを改めて痛感せずにはいられない。
それでも僕は戦わなければいけない。例え周りからどう思われようとも戦わなければいけない。それが僕の背負った罪なのだから。
「ガァァッ」
奇怪虫が叫んで、両腕を振るう。瞬間、両腕から無数の針のようなものが放たれた。
「チッ」
普段なら余裕で躱せるが、今は状況が悪い。僕が躱せば後ろにいる綾音は無事ではすまされないだろう。恐らく死ぬ。だから僕に自分だけ避けるという選択肢はない。
「歯、食いしばっといて」
「えっ……わっ!」
僕は右腕で綾音を抱えると瞬時に横に飛ぶ。飛んできた無数の針をギリギリでやり過ごす。躱さなくとも、腕で弾くことも出来たが、その場合流石に僕も無傷ではいられないだろう。僕には今、武器がない。
綾音を右腕に抱き、さらに飛んでくる針を躱す。
「ガァッ」
奇怪虫が小さく吠え、それと同時に背中に変化、大きく膨れあがり、破裂。するとさらに大量の針の群れが僕達目がけて飛んでくる。
マズイッ! この量の針は今のスピードでは避けきれない。かといってこれ以上のスピードを出すと綾音の身体に危険が及ぶかもしれない。僕と違い、彼女はただの人間だ。化け物ではない。
ならばどうする? 思考を巡らせる。答えは……
「シユウさん!」
美崎の声がする。僕は探していた答えを見つける。綾音を庇うように地面にしゃがむ。
すると数秒後、針は無数の弾丸によって一つ残らず打ち落とされる。針はついに一つとして僕の身体に届くことは無かった。
「大丈夫ですか?」
「ああ、助かった」
立ち上がって言う。正直あの場面を切り抜けるのは難しかった。奇怪化細胞の力を使えるとは言え、黒人の無い状態の今では一つ目も解放はできない。
もっとも、解放できないのではなくするべきではないだけではあるのだが結局、黒人なしでその力を制御するのは僕にとっても賭けに等しい。だからなるべくするべきではない。
あの状況はそのリスクを負わなければならない可能性があった。故にこのタイミングで現れた美崎はまさに救世主だったと言える。
「その娘は?」
美崎が綾音を見て言う。
「巻き込まれた一般人だ。気にするな」
「くるぞ」
僕が言った瞬間。待ってましたかと言わんばかりに一斉に針の雨が美崎に向かって降り注ぐ。だが、美崎に当たりはしない。飛んでくる針の全てを打ち落とす。
しかし、それまでは奇怪虫の思惑通り。奇怪虫は美崎針を飛ばすと同時に僕の方へと向かってくる。
「あくまでも、標的は僕ってことかな……」
武器を持っている美崎よりも素手の僕の方が倒し易い。そう判断したのだろう。奇怪虫のくせに考える脳みそはあるらしい。
でも、それでは足りない。接近戦ならばむしろ戦いやすい。
振り下ろされた右腕。奇怪虫の攻撃を素手で防ぐ。さらにカウンターで奇怪虫に向かって一撃を加える。
右手が奇怪虫の腹部に命中。ぬるりとした嫌な感触が拳にする。この奇怪虫は外皮があまり硬くないようだ。明らかに接近戦に向いていない。
だからそのまま拳を突き上げ、さらなる一撃を加える。左、右、左、交互に拳を放つ。
「ギャァァァ!」
奇怪虫がうめき声を上げる。それでも僕は攻撃をやめない。外皮が破け中から体液が吹き出てきて僕の身体にかかる。ヌメッとした感覚が身体にまとわりつく。それとともに後ろの綾音が悲鳴を上げていたがそれすら構ってはいられない。
さらに一撃を加えると奇怪虫はたまらず後退。距離を取ってこちらの様子を見ている。やつももう接近戦で僕に勝てるとは思っていないだろう。
「あの、あの……」
擦れた声で綾音が僕に何かを言おうとしている。その瞳はもう恐怖しかなかった。それを少し残念に思いながらも僕は無視して奇怪虫に向き直る。
「美崎、僕の刀は?」
武器だ、刀がいる。黒人がいる僕の武器がいる。
「すいません。持ってきていません……」
「なに?」
救援に来たのだからてっきり持ってきていたのだと思っていたのだが……
「しょうが無いじゃないですか。無理やり来たんですから」
言われて確かに納得した。螺旋の番人では出撃の際、緊急の場合でも出撃時のブリーフィングにはそれなりに時間を掛ける。そうすることで死亡を減らし、なおかつ効率的に敵を排除できるからだ。
それを考えれば美崎がここまで早く救援に来たのは異常だといえる。それに美崎一人で来たと言う事からも、どんな方法をとってここに来たことは想像できる。
「無茶をしたな」
呆れたやつだ。そう思う。
「私、謹慎ですかね?」
「さあね。帰ってからのお楽しみだ」
嘘だ。正直心配だ。特に彼女には例の件もある。
これを機に彼女が排除されるという最悪の事態すら待っているかもしれない。
「だがまぁ、ありがたくはあるな」
この場面、美崎だけが唯一の希望だ。
「陽動は僕がやるとどめは頼むぞ」
呟く。そして加速する。
武器のない僕には決定打となる一撃を与えることが出来ない。だからスピード勝負だ。
一瞬で奇怪虫との間合いを詰める、虚を突かれ、奇怪虫の動きがワンテンポ遅れる。
それを逃さない。
「らぁぁぁぁッ!」
右腕を振り下ろす。
奇怪虫の身体が地面に叩きつけられるようにして崩れ落ちる。
「今だ、美崎!」
叫び、直後に後退。その後、間髪入れずに美崎の放った弾丸が奇怪虫の身体を貫いていく。
そしてその身体は二度と動くことはなかった。




