1話
「おい、シュウ。時間だぞ」
僕は頭上からした低く、野太い声に閉じていた眼を開けた。
「もう時間か……」
僕は資料を読み込んでいるうちに眠ってしまっていたようだ。直ぐに身体を起こす。
僕が反射的に頬に触れたのはさっき見た夢のせいで、瞳から垂れた涙を隠すためだ。
あの夢、父親を殺したあの日の夢を見た後の僕は涙を流していることがある。
無意識とはいえ泣いているところを同僚に見られるのは好きじゃない。だから気づかれないうちにさっさと拭き取ってしまう。
「ミッション前に寝るなんていい神経してるぜ」
「うるさいよ、アレックス」
僕はそう言ってアレックス……ガタイのいいスキンヘッドの黒人を睨んだ。アレックスはそんな目線には動じず、不思議そうな顔をしながら言う。
「なんか悪い夢でも見たのか? うなされてたぜ」
「あぁ、最悪な夢だったよ」
父親を殺したときの夢。あの日から六年年も経っているのに未だに何度か見る、僕が初めて人を殺した時の夢。
「へっ、天下のゴーストイター様にも怖い夢があるのかよ」
ゴーストイター。僕のもう一つの名前。と言っても僕がつけたわけじゃなくていつの間にかついた、誰がつけたかもわからない通り名。
あまり興味はないが幽霊のように突然現れ標的を喰うそんな意味が込められているらしい。アレックスはその名が大層気に入ったそうで、どこからかその名を聞いてからからかい半分で僕に使う。
最初はやめろと嫌がっていたがそれを含めて面白がっている節があるので否定するのもやめた。
奇怪虫。人間の欲望、妬み、恨みに寄生し人殺しをさせる奇妙な虫。
僕らはそれに寄生された人間を狩るための猟犬。表の世界にその存在を知られることなく闇に葬る。それが僕の仕事。そして僕が所属する螺旋の番人はそんな人間達を束ねる政府お抱えの組織である。
「まぁ、僕も意外と普通の人間だったってことじゃないのかな?」
「お前を含めた俺たち全員、普通の人間なんてかわいい言葉が通じるとは思わないぜ」
アレックスはそう言って笑う。
「まぁ、間違いないな……」
奇怪虫を殺すため人間を捨てた。少なくとも僕はそう思っているし、その考えはおそらく正しい。
奇怪虫に寄生された人間の身体能力は並の人間のそれを軽く超える。それ戦う僕らには当然それと同じかそれ以上の身体能力を求められるわけで、それを見事クリアできる僕の身体はすでに人間のそれとは別物と言っていい。僕が普通の人間? 確かにこれは笑えてくる。
そんなことを考えていると、アレックスが隣に座り込んでホルスターから銃を取り出した。
「なんだよ。準備がまだ出来てないのか?」
「ばかやろうこれは最終点検だよ」
アレックスの持つ銃は定番のAKだ。特別な機能やカスタマイズが施されているようには見えない、ごく一般的な武器だ。
ただ唯一特徴を挙げればグリップに小さな琥珀色をした石が埋め込まれていることだけ。
これは奇怪虫を殺すための武器には必ず取り付けられているコハクと呼ばれる奇怪虫の死骸から作られた石。これこそが僕らを人間ではなくさせる魔法のアイテム。
アレックスは銃に軽くキスをするとホルスターにしまう。僕はそんなアレックスを見て一瞬ぞわっとした。いい歳こいたおっさんのキスなんて見て気持ちのいいものではない。
「ところでシュウ。今回の作戦をどう思う?」
それはこの作戦に参加する全員が気にしていることで、誰も口にしなかったこと。
「それを聞いてどうなるんだ?」
奇怪虫を相手にするのに理由など要らないし、僕達は与えられた任務に対して拒否権を持っていない。
その証明とも言うべきものが僕の左腕につけられている腕輪だ。コハクの制御装置などとされているが、実のところこの腕輪にはいつでも猛毒が打ち込めるようになっていていつでも政府の判断で直ぐに僕達を排除することが出来るようになっている。
首輪をはめられた猟犬。それが僕達。
アレックスはその辺が気にくわないらしくよく愚痴っていることが多い。
「例の新人、あれはダメだろ? 女、それも十六の小娘だぞ? 正直正気とは思えん」
アレックスは少し苛立ち気に言う。気持ちはわからないでもないが結局ここで僕たちがどう議論しようと何も覆らないことは変わらない。
「人員不足は組織の常だ。仕方ないだろう。それに若さで行ったら僕も彼女とは二つしか違わない」
どうしようもないだろう……僕はそう言ってため息をつく。
アレックスの言う新人。僕も昨日顔を合わせたが見た目だけで言えば正直、どこにでもいる女の子といった印象で、とてもではないがこの仕事が向いているようには思えなかった。
だからといってアレックスのように不満があるわけではない。さっきも言ったが、螺旋の番人はいつだって人手不足だ。
確かにあんな女の子に背中を預ける気にはならないのもわかるが、死ぬ奴は放っておいても死ぬ。結局自分の背中は自分で守るしかない。ここはそういう世界なのだ。
「お前は別だろう……なんにせよ俺はあんな小娘に背中を預けるなんてごめんだね」
アレックスはそう言って横に振る。
「ごめんなさいね。小娘で」
突然会話に入ってきた声に少しビックリする。
僕らは声のした方向に目を向けた。