16話
訓練場を出た湊は長官と共にいぇのフロアにある別の部屋に入った。
小さな部屋だ。部屋の中には物は何もない。あるのは机とモニターが一台だけ。
モニターには訓練場の様子が映し出されていた。シユウが中央で刀を持ったまま座っている。
「湊君」
長官に呼ばれて湊は「はい」と返事をして視線をモニターから移した。
「彼の力について君は全て把握しているのかね?」
「全ては把握出来ていません。彼の奇怪化についてはまだ解明されていないことが多くあるとのことでしたので……」
「確かに。奇怪化についてはまだ解らないことが多い。現状、彼だけが唯一の生き残りなわけだからね」
奇怪化、まだ全てが明かされていない現象。
人間が奇怪虫へと変貌するという恐ろしい現象。奇怪化した人間の死亡率はほぼ百%奇怪虫となるとされている。ただ一つの例外を除いて。
「しかし、信じられません。身体の四分の一が奇怪虫と同じ細胞で出来ているというのにまだ人間としての形を保っているなんて……」
奇怪化細胞。奇怪虫を構成する細胞で、まだまだ謎の部分の多い細胞。それを体内に有しているなど危険極まりない。いつ暴走するかもわからないリスクが彼には付きまとう。
本来なら危険分子として排除されてもおかしくない存在を、ただ唯一の社会貢献のために生かしている。
「問題はないのでしょうか?」
それら事実、すべてが湊には不安要素でしかなかった。長官の決定は絶対だ。それは分かっているし、そこに疑問はない。
それでもどうしても気になってしまう。
「問題はない。彼は過去に自らの意思で奇怪化細胞を押さえ込んだ。それに今の彼にはは黒人がある」
黒人。あれは彼の武器であり、彼の奇怪化細胞の暴走を防ぐストッパーの役目も担っている。
しかし彼が俺から行うのはそのストッパーを緩める行為だ。彼に渡したシリンダー。あの中には奇怪化細胞を活性化かせる薬が入っている。
故にそれ相応のリスクはある。奇怪化細胞に飲まれてしまう可能性は捨てきれない。
「確か、彼が奇怪化したのは六年前とのことですが、彼の身になにがあったのですか?」
「彼は奇怪化したとき、自らの家族を殺したそうだよ。父親を殺し、母親と弟、家族全員を彼は殺した。もっとも彼自身の意思があって殺したのは父親の時だけだろうがね……」
「意思があって?」
「彼が母と弟を殺した時にはすでに奇怪化細胞に支配されていたからだ。よくあの状態から人の姿に戻れたものだ」
「なぜ彼は父親を殺したのでしょう?」
意思があって殺したと言う事は何かしらの恨み等があったはず。六年前となると彼は当時十二歳。そんな小さな少年がなぜ自分の父親を殺そうなどと考えたのかだろうか?
「彼の父親は問題の多い人間だったようだ。重度のアルコール中毒に虐待。挙げ句の果てにはギャンブルで多額の借金までしていたようだ」
それなら彼が父親を殺したのにもうなずける。だとしても殺して良いわけはない。彼の行動が正当化されはしない。だが、動機としては十分なものではある。
「奇怪化と殺人衝動には何かの因果関係があるのでしょうか?」
奇怪化は確か人間の持つ遺伝子の中のどこかのトリガーを引いたとき遺伝子が変化していくと聞いたことがある。そう言えば同僚の監察官が話していたことがあった。
螺旋の番人の螺旋、とは遺伝子を意味しているのだと。もしかしたら最初の奇怪虫は一人の奇怪化した人間から生まれたのではないだろうか。それが産卵を繰り返し増えたのが私たちがいつも相手にしている奇怪虫。そういうことではないのだろうか。
だから螺旋=遺伝子を守る番人なんて名前がつけられたのだというそんな話。あくまで噂だがそれは当たっているのかもしれない。
螺旋の番人上層部にはまだまだ湊ですら知らない闇の部分が多すぎてその実態は計り知れない。
「現状ではわからないが、その可能性は高い。だが、奇怪化自体が極めてレアなケースなため、その因果関係を確かめることが出来ていないのだ。もっとも彼の場合は間違いなく父親を殺害したことが起因していることはまちがいないだろう」
「それより君には地上に戻ってここに連絡を入れて貰いたい」
長官はそう言ってメモの書かれた紙を手渡す。
「長官、これは……」
長官に渡されたメモには螺旋の番人の研究室、その一つの番号が書かれていた。
「今後のための保険だ。今回のような場合に備えてSAYAの運用を検討したい。もちろん、シュウ班長が失敗した場合はすぐに運用することになるわけだが……まぁ、その必要はないだろう」
「わかりました。準備をしておきます」
湊はそう言って部屋を出た。




