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3:聖女は魔獣を祓いたい

<黄昏の宮>に、私の居場所はなかった。

 食事は、毎日違う人がやって来ては作ってくれる。掃除も同様で、私が手出しできることはなかった。ジェラルドは気ままに眠り、空腹を感じたときに食事をとり、部屋に籠って何かをやっているようだ。

 私は誰からも何も言われなかったため、一階の適当な部屋を陣取って勝手に自室としていた。聖女として目まぐるしく働いていたときとは違い、やることが全くない。それでも体に染み付いた習慣で夜が明ける頃に目覚め、庭で鍛錬をし、夜が訪れてしばらくすると眠る。そんな日々を繰り返して十日が経った頃、我慢の限界が来た。

 魔獣との戦いはどうなっているのだろう。

 私は鍛錬のために振っていた剣(物置にあったのを勝手に拝借した)を庭に放り出し、三階の端にあるジェラルドの部屋の前に立った。


「ジェラルド……様! お時間よろしいですか!」


 呼び方に迷ったが、第二王子というなら敬称をつけたほうが良いだろう。私は声を張り上げ、それから耳を澄まして室内の様子をうかがった。

 紙束が床に散らばるような音がしたかと思うと、ゆったりとした足音が近づき、キィと音を立てて扉が開いた。

 私より頭二つ分は高いところから、ジェラルドが見下ろしている。今日は簡素なシャツに、ゆったりとしたズボンを着ている。曲がりなりにも王族の血を引いているとは思えないほど素っ気無い服装だった。


「なんだ?」


 金の瞳がじろりと私に向けられる。私は精一杯顎を上げた。


「魔獣がどうなっているかご存知ありませんか?」


「なぜそれを俺に聞く」


「それは……」


 私は目を瞬かせた。


「私がここに来た日に、聖女を解任されたことを既にご存知だったでしょう。だから王宮に伝手があるんだと思いました。だから何かしら情報をお持ちでないかな、と。違いますか?」


 ジェラルドが意外そうに眉を上げた。


「あの状況下でよく覚えているもんだな」


 褒められている気が全くしない。私は曖昧に頷いた。


「お前が気づいたのは俺の落ち度でお前の手柄だ。入れ」


「何かご存知なんですね」


 ジェラルドが部屋に招き入れる。私はその後ろをついていきながら、部屋を見回した。

 入って両側の壁が、ぎっちり本の詰まった本棚に覆われている。正面には大きな黒檀の机と椅子が鎮座しているが、その上には得体の知れない色の液体が入った薬瓶や、開きっぱなしの本が雑然と置かれている。床には何かの報告書と思しき紙が散らばり、本の塔が積み上がっていて足の踏み場もない。


「掃除しないんですか」


「どこに何が置いてあるかは把握している。絶対に動かすなよ」


「さすがに他人のものに勝手に触るほど無礼じゃないですよ」


 客用の椅子もないので、私はかろうじて露出している床板を選んで足を置いた。飛び石を踏むような変な格好だが、まあいいだろう。

 ジェラルドは慣れた様子で机まで歩いていくと、一枚の紙をくしゃくしゃに丸め、私に放り投げた。


「わっ、なんですか」


「次の魔獣の出現予測地だ」


「は……?」


 目を見開く。今聞いた言葉が信じられない。この男はなんと言った?


「出現予測って……そんなことできるんですか」


「できる。そんなもん見れば分かるだろ」


 素っ気なく言い捨て、それから私の表情を見てジェラルドは言葉を継いだ。


「俺のもとにはあらゆる情報が集まる。過去の魔獣の出現地、種類、地形、地質、気候、日付、街の人口、その他諸々。文字通り、ありとあらゆる情報だ。それを見れば、次にどこにどんな魔獣が現れるか予測は立つ。俺は生活を保障される代わりに、そういうことをやっているんだよ」


「魔獣の出現予測を?」


「魔獣だけじゃねえが。穀物の収穫量、税収、人口の増減、他国の情勢……情報さえあれば大抵のことは導き出せる」


「どうしてそんなことができるんですか?」


 私は顔をしかめる。そんな夢のようなことが可能だなんてすぐには信じられない。魔獣のことなんて何も知らず、適当なことを言って私を煙に巻こうとしているだけではないのか。

 ジェラルドは肩をすくめる。


「信じないなら信じないで構わない」


 短く言い捨てた。椅子に体を投げ出し、


「俺だって知らねえよ」


 それは、私にも覚えのある感情だった。私は念ずるだけで魔獣を祓える。聖女様はどうしてそんなことができるのですか、と人々によく聞かれた。けれど、その問いには答えられず、微笑んで首を横に振るだけしかできなかった。そんな私を、周囲は慎み深いと称え、聖女と祭り上げたのだ。

 自分のことを聖女だなんて思ったことは一度もないのに。

 私は肩の力を抜いた。だらしなく椅子に腰掛けているジェラルドに笑いかける。


「確かに。あなたはただ自分にとって当たり前のことをしているだけで、それを信じるか信じないかは周りの人間に委ねられていますからね。──それなら、私はあなたを信じることにします」


 投げ渡された紙を開き、そこに書かれた文章を読む。魔獣が現れると予測されているのは、<黄昏の宮>から歩いて一日ほどの街だった。出現日時は、明日。


「これ、この街の人たちに知らせて、避難させるべきじゃないですか」


「それは俺やお前が決めることじゃない。情報は全て王宮に送っているが、そこで誰が何を判断するかは、王宮の

人間が決める」


「そんな」


 弾かれたように顔を上げると、ばちりと音がしそうなほど強く目が合った。ジェラルドは眉を寄せ、まっすぐに私を見つめている。


「忘れるなよ。お前は<黄昏の宮>に追放された元聖女で、今はもう無力な人間だってことをな」


 その言葉が頭に重くのしかかる。私が聖女だったなら、すぐに兵たちを集めてこの街に向かっただろう。そして街の人々を避難させ、魔獣を迎え討つ。それが許されるのが、聖女だった。

 けれど、今の私には何もない。


「……分かり、ました」


 私は言葉を飲み込んで、手にした紙を強く握りしめた。紙にシワがより、端正な文字で綴られた文章が歪む。

 ジェラルドはもう私には興味を失ったかのように本のページをめくると、片手で出口を指さした。出ていけ、ということだろう。私は一礼し、彼の部屋を後にした。

 階段を一段飛ばしで駆け下りる。庭に放り出した剣を引っ掴み、自分の部屋に飛び込む。目立つ赤毛を一つにくくり、拝借した帽子をかぶって押し込める。腰に剣を縛りつけ、体をすっぽりと覆い隠せる上衣をまとった。靴は頑丈な皮でできている。徒歩の旅でも足を守ってくれるだろう。

 ジェラルドから渡された紙をもう一度目に焼き付け、私は部屋を飛び出した。


 私はもう聖女じゃない。非力で無力な小娘に過ぎない。

 それでも。

 もうすぐ人々が襲われることを知って、黙っていられるわけがなかった。

 ああそうだ。私はただの娘だ。ちょっと魔獣を祓うのが得意なだけの、ただの人間だ。

 魔獣を祓い、人々を守る。


 それだけが私の存在意義なのだから。

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