21:聖女は魔獣を祓い、
一つ目の魔獣の周りに王宮兵たちが集まり、魔導具を使って祓おうと試みている。しかし、巨人には全く効かず、つま先で吹き飛ばされている。剣や槍で抵抗しているものもいるが、巨人が気付いているかも怪しかった。
宰相は笑い続けている。
「あれにはもはや魔導具など効かない! 馬鹿みたいに図体だけ育ってな。隠すのも大変だったよ。もし祓えるとしたら、それこそ本物の聖女だけだろうよ!」
私は地面を蹴り、大広間の中央に飛び出す。刺さるような人々の視線を集めながら、宰相に掴みかかった。
「あいつの弱点を教えなさい。眼球以外に何かないの」
「あるわけないだろう! あいつは無敵だ。眼球だって、潰してやったから外界を認識するかも分からない。気が済むまで破壊し尽くして、蹂躙するだけだ」
「なんてことを……」
私は拳を振り上げようとして思いとどまる。こんなことに時間を使っている場合じゃない。一刻も早くあの魔獣を倒さなければ。
「ロージー!」
シルエスが叫んで、私に剣と弓を放り投げる。私は両手で受け取った。
「ありがとう」
「魔獣を頼む。僕が言えた義理じゃないが……祓えるのが聖女だけだとしたら、それはロージーだ」
一途に見つめられて、息を止めた。言葉が心に届くのを待って、微笑む。
「ええ、任せて」
剣を腰に差し、弓を背中にかけてしっかりと頷く。
「私は聖女、ロザリンド=イース。人々を守るために聖女になった女よ──今も、これからもね!」
安心させるように笑って、私はジェラルドの方を向いた。
「ジェラルド様、来てください!」
貴族たちがさざめく。人の波が割れて、ジェラルドのために道を作った。その間を彼は王族然として歩いてくる。
「なんだ?」
「王宮の地図やら兵士の位置やらを一番把握しているのはあなたのはずです。魔獣に一番近づける場所まで案内してください」
「……いいだろう」
ジェラルドが私の手を引く。貴族たちの間を通り抜けるとき、陛下がジェラルドを見ていることに気がついた。けれどそれは一瞬で、私はすぐに大広間を駆け出した。
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ジェラルドに案内されたのは、東の尖塔だった。螺旋階段を駆け上がって頂上までたどり着くと、確かにすぐ目の前に巨人の眼球があった。
「……ロザリンド」
「大丈夫、分かっています」
私は振り向いた。何か言いたげなジェラルドに精一杯の笑顔を向ける。
「言ったでしょう? 私はもう、何のために聖女になったのか知っています。だから、二度目なんてありません。そんな顔しないでくださいよ」
ジェラルドは息を吐き出した。
「まあ、いざとなったら盾くらいにはなってやる」
「そんなことには、絶対に、させません」
風が頬を撫でる。髪がさらわれ、旗のようにたなびく。射つときにはこれも計算に入れないといけない。
私は弓を構えて巨人の目に狙いをつけた。
巨人は庭園を踏みつぶし、王宮の東棟の半ばを破壊して、今は立ち尽くしていた。
「見たところ、目が潰されて何年も経っている。痛覚が機能しているか分からないぞ」
「それでも、やれることはやらないと」
限界まで弓を引き絞る。視線の先には巨人の眼。あれだけ巨大な的だ。外すことはない。
肺の呼気を吐き切り、息を止める。体の振動を最小限に抑え、射った。
放たれた矢は真っ直ぐに飛んでいく。その勢いのまま、矢尻が眼球を貫いた。
「──よし!」
ジェラルドが拳を握る。私は変化を見逃すまいと、息を殺した。
巨人は大きな両手で一つ目を覆う。それから頭を振り乱し、空気を揺さぶる痛苦の咆哮を轟かせた。
「来なさい!」
私は叫び、もう一度矢を射ち放った。二の矢も巨人の眼球を突き抜け、確実に痛みを与える。巨人はさらに激しく頭を振り、地団駄を踏んだ。その衝撃は尖塔をも揺さぶる。私は体勢を崩し、膝をついた。ジェラルドが肩を支えてくれる。
巨人を睨み付ける。
矢は効いた。だが、視力が失われているからどこから攻撃を受けているのか分からないのだろう。だから、私を把握することができない。
こちらを向け。
私は強く祈った。
私に気づけ。その痛みを与えたものはここにいる。お前にとっての脅威が、お前を見ているぞ。
奥歯を噛み締め、立ち上がる。
「こっちを見ろ!」
鞘に納めたままの剣を握りしめ、石突きを地面に叩きつける。鈍い音がして、巨人の耳が動いたのが分かった。
巨人がのっそりと、顔をこちらに向ける。灰色に濁った瞳が見開かれる。
私は確かに、目を合わせた。
巨人の様子が、やけにはっきりと見えた。
矢の突き刺さった眼球から青色の液体が流れ出、涙と混ざって地上に落ちていく。
大きな手のひらが眼球を覆い、伸びた爪が顔の皮膚を引っ掻いていくつもの細長い腫れを形作っている。空気を揺さぶる咆哮を生み出す口は痛苦に歪み、薄汚れた歯が噛みしめられていた。悶えるようにその場で足踏みを繰り返し、前屈みになって背中を丸めている。
その痛みに苦しむ様が、あまりにも私たちとよく似ていて、顔をしかめた。人々が憎くて惨殺しているわけではないのだろう。ただそうするしかないから暴れているのだ。それなのに、剣で切られ、目を射抜かれ、死を願われる。ただあるだけで存在を許されない哀れな生き物。
魔獣にこんなことを思うなんて、初めてだった。この巨人が人間の形に似ているからだろうか。それとも私が変わったからだろうか。
足を踏み出し、巨人に近づく。
それでも私は、お前を祓う。あなたは私の大切なものを壊すから。けれどもせめて、優しく祓ってあげましょう。
尖塔から身を乗り出し、両手を掲げる。巨人が緩慢に動き、鼻先をすり寄せるようにして首を垂れる。私はその硬い皮膚に口づけを贈り、別れを告げた。
「──おやすみなさい」
巨人の曇った目が閉ざされる。眠るようにくずおれ、その体は塵となって消えていった。
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辺りは静まりかえっている。
塵は風にさらわれ、巨人の姿は跡形もなくなった。ただ破壊された王宮のみが、その存在を証明している。
と、手を叩く音が潮騒のように沸き起こった。それはやがて地面を足で鳴らす音になり、地響きになり、歓声となった。
「ロザリンド様だ!」「ロザリンド様が魔獣を祓ってくださったんだ!」「見たか? 魔獣が聖女様に自ら身を差し出したぞ」「まさしく慈悲の聖女様だ!」「聖女様万歳!」
地上にいた兵士たち、崩れかけた王宮に取り残されていた人々が、両手を上げて雄叫びをあげている。向けられる言葉に笑ってしまった。
くるりとジェラルドの方を向く。
「慈悲の聖女様ですって。私は一度も、慈悲深くあったことなんかないのに」
「……ロザリンド」
ジェラルドが私の手を取る。片眉を上げ、愉快そうに目を細める。
「お前にとっては当然のことをした。それを見てどう思うかは、まあ、あいつらの自由。そうだろう?」
面食らって、取られた手をぎゅっと握る。いつか私は似たようなことを彼に言った。覚えていたのだ、と頬が緩む。
「ええ。そうですね」
私にとって自然なことが、人々の目には慈悲に映った。それはきっと、そう悪いことではないだろう。
ジェラルドが私の横に並んだ。地上を見渡しながら、凪いだ口調で言った。
「魔獣は二度と生まれない。この国に聖女はもう不要だろう。だから──ただのロザリンドを望んでもいいだろうか」
私は隣を見上げる。ジェラルドは私の手を取ったまま、恭しく跪いた。
「あらためて約束させてくれ。俺とともに砂漠の国へ行こう。世話係のふりも、夫婦だという偽りも無しで、ロザリンドと一緒にいたい。ロザリンドを見ていると、俺にも出来ることがあると信じられる」
彼の真剣な瞳に射抜かれて、私は寸の間立ち尽くした。それから腰を折って膝をつく。同じ高さで視線を合わせ、彼の手を強く引き寄せた。そのまま手首に口づけを落とす。
「──ええ、喜んで。どこまでも二人で旅をしましょう」
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かくして聖女の物語は終わりを告げる。
後に残されたのはただのロザリンド=イースで、砂漠の国へ行ったり、復興の手伝いのために各地を駆けずり回ったりするが、それはまた別のお話だ。




