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18/22

18:第一王子は聖女を落とす

 久しぶりに会ったロージーは、ずいぶんと柔らかく笑うようになっていて驚いた。

 馬車に揺られながら、シルエスは思い返した。


 かつての彼女は、気づけば灰となって燃え落ちてしまいそうな危うさで成り立っていた。しかし今それは鳴りを潜め、夜空の中心に座す極星のような輝きが瞳に宿り、彼女を彩っていた。


 ──ジェラルドとも親しくなったようだし。


 苦い笑みが唇に滲む。間が悪かったとはいえ、明らかに牽制してくるのだからあの男も大概性格が悪い。少しくらい邪魔をしたって罰は当たらないだろう。


 ロージーと初めて話したのは、十歳の誕生日を少し過ぎた日のことだった。彼女は教会に引き取られたばかりで、聖女という呼称もまだ馴染んでいなかった。彼女をそう呼ぶのは、ともに魔獣と戦う兵士の一部くらいだったように思う。しかし、各地に現れる魔獣を確実に祓い、着実に実績を積み上げていくロージーに、シルエスの父親が興味を持ったのだ。


「ロザリンド=イースと申します。お目にかかれて光栄でございます」


 謁見の間にて国王の前で挨拶をする彼女を見たとき、なんと烈しい目をした少女なのかと驚いた。顔立ちは凡庸。一張羅と思しきドレスの裾を持ち上げる仕草には、優雅さも淑やかさもなく、ただ教本通りに淡々とこなしているようにしか見えない。鮮やかな赤色の髪の毛も、すらりと伸びた手足も、珍しくないものだ。


 それでも、その葡萄色の瞳に根差す真っ黒な光に、シルエスは頭を殴られたような気分になった。


 その目が何を見ているのか知りたくて、謁見のあと、薔薇園の真ん中で立ち尽くしていた彼女に声をかけた。


「その薔薇が気に入ったかい?」


 ロージーは、真っ赤に咲き誇る薔薇の一つに視線を落としていた。シルエスの声にぴくりと反応し、素早い足捌きで振り返る。背筋はまっすぐに伸びていて、幼い少女には似つかわしくない厳しい雰囲気をまとわせていた。


「……はい。こんなに綺麗な花は初めて見ました」


 無表情に、小さく首を動かす。


「また見にくるといい」


「え?」


「君は聖女だろう? なら、王宮に出入りしても誰も見咎めないさ。今度はまた別の薔薇を咲かせておくよ。君は何色が好き?」


 ロージーは戸惑うように眉根を寄せた。シルエスを見て、薔薇を見て、またシルエスを見て、おずおずと答える。


「私、青色が好きです」


 その答えに、彼女は本当に世間のことを何も知らないのだな、と哀れむような気持ちになった。青い薔薇なんて、存在するはずもないのに。


 しかし、シルエスの口は内心とは裏腹に勝手に動いていた。


「分かった。だけど、青色の薔薇は咲かせるのに時間がかかるんだ」


「そうなんですか……」


「うん。でも、青薔薇が咲いたら、必ず君に一番に贈るから──だから、それまでは別の色で我慢してくれないか?」


 ロージーは葡萄色の目を瞬かせた。それから、宝物を抱えるように優しく笑った。


「はい。そのときを楽しみにしていますね」


 小さな体を包んでいた厳めしい空気が霧散する。

 確かにその一瞬だけは、彼女の瞳の中にシルエスが映っていた。



■■■



 そうやって、ロージーはシルエスのもとを訪れるようになった。何度も会って、たわいもないことを話すうちに、彼女の口調から敬語が外れ、年上の王子の名前を平気で呼ぶようになった。


 それは気安さの表れであり、彼女なりの親しみの表現であり、心を開いていることには間違いなかった。彼女の表情はどんどん豊かになっていった。


 シルエスも、この年下の女の子といるときだけは、楽に息ができるような気がした。彼女は決して、シルエスに王子であることを求めなかった。


 なぜなら、ロージーの視線の先にはいつも魔獣があったから。それに比べれば、シルエス=ド=フォスグレイヴが第一王位継承者であることなど、大したことではなかった。


 魔獣への憎悪が彼女の臓腑を焼き、いずれその身が燃え尽きることがシルエスには分かっていた。


 けれど、他に目移りされるくらいなら、そうなったって一向に構わなかった。


 結局、どこまで行ってもロザリンド=イースは聖女であり、そんな彼女にシルエスは惹かれていたのだ。



■■■



 馬車が王宮に到着した。


 シルエスはその瞬間、完璧な第一王子の顔を作る。彼にとっては慣れたものだ。生まれたときからずっと、こうしてきたのだから。


 御者に見送られ、自室へ向かう。その途中で、不快な人物の姿を見とめ、心の中で舌打ちした。


「シルエス様! こんな時間までどこにお出かけでしたの」


 マリアベルだった。可愛らしい顔に心配そうな表情を浮かべ、廊下の向こうから駆け寄ってくる。もう夜も遅いというのに、胸元を大胆に開けたドレスを着用していた。


「これはこれは聖女どの。こんな夜遅くに私に何か用でも?」


 あくまでも穏やかな物腰で受け答える。シルエスと向き合ったマリアベルは、「ふぅっ」と声に出して呼吸を整えると、ずいとシルエスの方に身を乗り出してきた。


「もうっ。魔獣が出現するかもしれないんですから、夜のお出かけは危険ですよ。どうしてもお出かけしなくちゃいけないなら、私を連れていってください!」


 両手を祈るように組み合わせ、上目遣いでシルエスを見つめる。一途で健気な聖女そのものだった。ただ頬はほんのりと染まり、隠しきれない欲望が目元に滲んでいる。


 それを見て、シルエスはマリアベルの使い道を決めた。


 ──ねえロージー。僕は嘘つきだ。今から君を利用する。


 シルエスは照れくさそうに目線をそらし、低く囁いた。


「大切な薔薇を咲かせる必要がありましてね」


「薔薇……?」


 マリアベルが怪訝そうに呟く。それからハッと息を呑み、体を硬直させた。


 その横を、シルエスはさも機嫌がよさそうに、軽い足取りで通り抜ける。


 これでいい。嫉妬に狂った人間が何をするか、古来より相場は決まっている。


 それでロージーがどんな目に遭おうとも、陰謀を白日のもとに晒すことができれば、王子としては正しい行いだ。民も貴族も国王も、両手を上げて第一王子を称えるだろう。


 そういう道を、シルエスは自分の意思で選んだのだった。

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