14:聖女の物語は終わらない
私の物語は、もう終わったものだと思ったのに。
「え……?」
目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に映った。前にもこんなことがあった。あのときは、<黄昏の宮>の自分の部屋だったが。
「やっと目覚めたか」
低い声がして、私はベッドのそばの椅子にジェラルドが座っていることに気がついた。腕を組み、眉を寄せて私を睨みつけている。彼の視線にさらされた肌がピリピリと痛んだ。
辺りの様子を確認する。見知らぬ部屋の知らないベッドに寝かされている。窓から明るい日差しが入ってきて、全体を照らしている。ベッドとサイドテーブルの他に家具はない、殺風景な部屋だ。
私の全身には鈍痛があるが、とりあえず五体満足ではあるらしい。手にも足にも感覚がある。目の前に手を持ち上げてみると、真っ白な包帯が一分の隙もなく巻かれていた。きっと身体中がこんな様子だろう。
「私、よく生きていましたね」
「ほとんど死にかけだった。対処があと少しでも遅れていたら死んでいたと」
吐き捨てるような口調だった。彼は苛立たしげに足を組み換え、膝の上で両手を握りしめている。その手が微かに震えていることに私は気づいた。
「……状況の報告だけしておく。あの魔獣はマリアベルが祓った。被害は甚大。死者三十二名、重傷者五十一名、軽傷者百三名。約七割の建物が全壊して、復興には時間がかかる見込みだ」
「そんな……」
懐かしい景色も、知らない街並みを行き交う人々も、その多くが失われたと知って私は言葉を失った。なぜあの村はこんなにも魔獣に襲われるのだろう。何か魔獣を惹きつけるものでもあるのだろうか。
それに、マリアベルはあの魔獣を祓ったという。私は手も足も出なかったのに。これが本物と偽物の差か。彼女は本当の聖女で、祓えぬ魔獣はないとでもいうのだろうか。
黙って考え込む私に、話が続けられる。
「お前は全治半年の重傷だ。あのあと近くにあったこの病院に担ぎ込んだが、<黄昏の宮>まで戻れるほど回復していない。十日ほど眠っていたが、治癒魔法を併用したせいか目覚めは早かったな。それでもしばらくは絶対安静だ」
「はい……」
しおらしく頷く。聖女であった頃にはあり得ないほどの大怪我を負ってしまった。治療費はどうなるんだろう。頭がぼんやりしていて、とりとめもないことばかりが渦巻いている。
ジェラルドが少し身を乗り出して、私に問いかけた。不自然に平たい声だった。
「以前、お前は同じ行動を繰り返すと言ったな? 文字通りの意味というわけか」
「そうですね。魔獣祓いに危険はつきものですし、私がそれにとらわれている以上、こういうことは今後もあると思います」
「ふざけるなよ!」
ジェラルドが椅子を蹴倒して立ち上がった。両手に拳を作り、必死に激情を抑えているのがわかる。いっそ私に掴みかかりたいほどなのだろう。
「憎い魔獣を祓って、お前は満足か!? 命と引き換えにしても!?」
「ええ、とても」
魔獣への憎悪を果たすためには、命くらい差し出さないと釣り合わない。それくらい、私には価値あるものだった。それが今の私を形作るものだし、人生の大半を憎しみに燃やしてきた。
ジェラルドはゆらりとこちらへ近づいてきて、金に光る目で私を凝視した。その瞳の奥に宿る光の鋭さが、視線をそらすことを許さない。
見つめ合う。いや、そんなに優しいものじゃない。狩人と獣が対峙するように睨み合った。相手の動きも、息遣いも、少しも見落とさないように神経を張り詰める。
やがて、ジェラルドが口を開いた。
「ロザリンド、お前は──本当は死にたがっているんじゃないか」
吐き捨てるような口調とは裏腹に、言った自分が自分の言葉で傷ついたような顔をして、ジェラルドは目をそらした。
私は即座に否定すべきだった。そんなわけないじゃないですか、私が死んだら誰が魔獣を祓うんですか、そんなふうに早口でもっともらしいことを並べ立てて、この話には二度と触れないようにするべきだった。
しかし、私の唇から出てきたのは、
「え……?」
という情けない響きだけだった。
ジェラルドの言葉が、胸に深く突き刺さって喉を塞ぐ。笑い飛ばそうとしても、頬が上手く動かない。ぎこちなくこわばって、今にも泣きそうに歪むばかりだ。じんじんと耳鳴りがする。背中に嫌な汗が流れ、体の末端から血の気が引き、手足が凍りついた。
「私は……」
頭のどこかが痺れたようになって、続く言葉が出てこない。
私は、魔獣を憎んでいて。
だから、魔獣を祓いたくてしょうがない。
そのために聖女になったのだ。
それだけの単純な話のはずなのに。
今までずっと目をそらしていた暗がりが、突然牙を剥いて私に襲いかかってきた。
炎の夢が蘇る。目の前で食われた家族、残された右手、助けを求める悲鳴。
私はそのとき、何を考えた?
どうして私は魔獣を憎まずにはいられないの?
青ざめて口元を押さえる。ジェラルドが私に背を向けた。
「……また来る」
「ま、待って──」
思わずその背に手を伸ばしたが、彼は一度も振り返ることなく部屋を後にした。




